【3話】ただずっと、隣で笑い合っていたいから、

『白石、ドライブ行くぞ』
 休日の朝、セットしていないはずの目覚まし音の正体は、西山からのメッセージだった。時間を確認すると九時を回ったばかりで、いつもならまだ布団の世話になっている。
『今日は天気いいから絶好のドライブ日和だ! 絶対後悔しないから行こうぜ』
 働かない頭を持て余していると遠慮ない追撃が来た。さすがに機嫌の降下は隠せず、包み隠さず返信にぶつける。
『なんだよ急に……おれ、寝てたんだけど。まだ寝てたいんだけど』
『ごめんごめん。車の中で寝てていいから』
『行くの確定なのかよ』
 正直気が引ける。車という密閉空間に長時間いるとなると、確実になにかしらされそうだ。
『悪いけど、今日は用事があるんだよ』
『嘘だね』
 あまりにも自信たっぷりに断言されて、二の句が継げなくなる。
『反論してこないってことはそういうことだ。お前は嘘が下手だからな』
 見事に見抜かれてしまった。四年分の付き合いはお互い、伊達じゃない。
 結局、西山にうまく丸め込まれる結果となってしまった。

 考えてみれば、西山の車でどこかに出かけるのは初めてだった。免許を持っているのは知っていたが、遊びに行く時は必ず公共交通機関を利用していたから、なんとなく他人を乗せるのは嫌なのだと思っていた。
「実は、誰かを乗せるって初めてなんだよね」
 敢えて選んだ、盛り上がりっぱなしの音楽がちょうど途切れたタイミングで西山がつぶやいた。
「……ああ、だからちょっと緊張してたんだ」
「あ、気づいてた? カッコ悪いな俺」
 恋人らしい雰囲気やイベントは、その緊張感のせいかはわからないが今のところ一切起きていない。昼食はドライブコースの途中によくあるような店だったし、観光地に立ち寄ることも実はしていない。昼以外、ずっと車の中にいる。
「退屈じゃない? ずっと車走らせてるだけで」
 苦笑する西山に、素直に首を振る。
「景色がきれいだから、見てるだけでも結構楽しいよ」
 海沿いのこの道は、多分ドライブコースとして有名なのだろう。車の数が結構多いし、自転車も何台か走っている。
「そっか、よかった。もうすぐ目的地に着くから、もうちょい我慢してくれな」
 その言葉通り、流れていた曲がちょうど終わったところで車が停止した。
「観光地って感じはしないな?」
 駐車スペースは確かにあるが、周りは観光用の建物はもちろん、店もない。ただ前方に砂浜と海が広がっているだけだ。
「雰囲気はいいだろ?」
 してやったり、と言いたげな西山を軽く睨みつける。
「……確かに、いいムードは作れそうだな。もうすぐ夕方だし、ドラマとかでよくあるシチュエーションだよ」
「んな渋い顔すんなって。半分冗談だから」
「半分なのかよ」
 一ヶ月限定の恋人関係だと頭ではわかっていても、つい消極的な態度になってしまう。わがまま以外の何物でもないのだが、西山は小さく笑うだけだった。
「俺、たまに一人でこういうところまで行きたくなるんだよ。そんで、ただぼーっとするの」
「好きなんだ?」
「そうかも。免許取る前もやってたから」
「一人でぼーっと」するのが好きなのに自分を連れてきたのは……。
 いや、やめよう。自ら穴を掘り進めてどうする。
「意外。お前って賑やかなところが好きなんだと思ってた。遊びに行く時もそういうとこが多かったし」
「よく言われるよ。別に嫌いじゃないけど、そういうのばっかも疲れるだろ?」
 西山をいろんな角度から結構見てきたと思っていたが、また新しい一面が露わになった。この関係になってから断続的に発生している。そのたびに胸の辺りが変にむず痒くなるのだ。
 自然を装って前に向き直り、目を細める。綿菓子のような雲の裏からほんのり熱い光を届けてくれる太陽に内心頭を下げた。
「でも、他の人からすると退屈だと思うよ。お前もそうだろ?」
「いや、そんなことはないっていうか」
「というか?」
「……こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、基本、どこでもいいんだ。おれは」
「考えるのめんどいってことか」
「違う違う。もちろん、行きたいとこがあったらちゃんと言うよ。そうじゃなくて、どこでも全力で楽しめるんだよ」
「へえ? 結構珍しいじゃん」
「なのかなぁ。知らない世界を知れるのが楽しいんだよね。前に付き合ってた彼女には本当に私とデートしたいの? って呆れられちゃったけど」
 西山はふうん、と相槌を打ったまま喋らなくなった。変な居心地の悪さは感じず、手摺りに両腕を乗せて薄いオレンジに染まり始めた海を眺める。
 鼓膜を穏やかな風が優しく震わせる。目を閉じると、海辺のコテージで寝そべる自分の姿が浮かんだ。時折、風に乗って聞こえる歓声や背後を走る車の音に現実へ引き戻されるが、寝落ち防止と思うことにした。それほど頭がふわふわして心地がいい。
「楽しいっていうの、嘘じゃないみたいだな」
 いつの間にか見つめられていたらしい。身体がわずかに硬直する。
「俺も楽しい」
 唇が綺麗な三日月を描いている。薄い茶の髪がふわふわと風に遊ばれて、それでも格好いいやつは絵になるらしい。
「白石が一緒だからすごく楽しいし、幸せだ」
 顔の陰影が濃くなったな、なんてことをぼんやり考えていたら、唇に熱が降ってきた。ああ、またキスをされたと理解した時にはその場所に風を感じていて、西山が微笑を浮かべていた。
「普通に受け入れてくれるんだ?」
「あんな一瞬じゃ何もできないだろ」
「先週遊んだ時もキスさせてくれた。今だって、逃げられるだろ」
 今度は生ぬるい風が当たる。どうして身体が動かない? 都会より少ないだけでゼロじゃないのに。
「……おれ達は、今は、恋人同士だから」
 反論の声はまるで力がなかった。激しく暴れているのは心臓だけだ。
 理性の塊は、全身を緩く包んでいるこの空気を振りほどけと警告している。それ以外はいっそ任せてしまえと、余分な力を吸い取ろうとしている。
「じゃあ、もう一回してもいいよな?」
 選択の余地はなかった。腰に腕が回っているから、そもそも逃げ場がないから。
 小さく音を立てて触れ、離れてはまた触れる。角度を変えながら深くなる寸前で上唇をそっとはさみ、離れる。強引さの全くない、まるで慈しむようなキスが与えられた。

 本当に西山は、おれのことを好きなんだ。
 本当に、恋人になりたいんだ。こういうことをずっと、おれとしたいって思ってるんだ。
 おれは違う。違うはずだ。
「好きだ、白石……」
 そのはず、なのに。
 心臓が壊れそうにうるさいのはなぜ。全身がはっきりと熱いのはなぜ。頬を撫でる西山の手に擦りついてしまったのは、気持ちよさに目を閉じてしまったのは、

「……そろそろ、帰ろう」
 不自然にならないように手を外して、背中を向けた。
 帰りの車内でいつも通りを演じる自分に付き合う西山がいじらしく見えて、そんな自分が人生で一番嫌いになった。
 足を引きずるような心地で帰宅してから、膝を抱え込む。
 ――期限まで、あと何日あるんだろう。
 放り投げたままの鞄の中から手探りでスマホを取り出す。
 あと、一週間。

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