【エピローグ】夜の太陽はさかさまで輝く

 マンションから数十分も歩くと、海岸に出る。
 最寄りの駅からすぐに行ける方が観光地としてメジャーなこともあって、地元の人間だけが利用するプライベートビーチのような雰囲気を醸し出している。
 引っ越してきてから初めて、この海岸沿いを二人で歩いてみた。人の手がほとんど入っていない砂浜は自然のままで、サンダル越しでもわかる柔らかな感触が気持ちいい。駅のある方向はホテルと思しき建造物が目立っている。確かに、景色は最高だ。
 犬を散歩している若い夫婦もいれば、ランニングをしている中年の男性もいる。その背中を何となく追うと、太ももまでの高さの砂山が海を見守るように鎮座していた。
 俊哉に倣って、その場に腰を下ろす。オレンジが残り火のように、水平線上で燃えている。
「そういえばさ。俺、いつまで高史の奥さんみたいなことすればいいの」
「いつまででもいいですよ。オレがそのぶん頑張りますから」
「じゃあ気兼ねなくおんぶにだっこでいようかな」
 腕を絡めて、俊哉は小さく笑う。
「……なんてね。俺ももう少ししたら、仕事始めるよ」
 俊哉が心身ともにゆったりと過ごすには、一度都心から離れた方がいい。そう訴えて、次の住処を寝る間も惜しんで探した。
 ある程度は生活に不便を感じないこと、という条件が意外に重かったものの、互いにピンときた場所ゆえに心地よさは随一だ。
 就職に失敗してから世話になっていたバイトを辞めるのは寂しさを禁じ得なかったが、快く送り出してくれた仲間たちの気持ちは、日々の励ましとなっている。
「仕事復帰、早くないですか? 無理しなくていいんですよ?」
「……高史って、無意識にダメ人間を量産する天才なんじゃないの」
「な、なんですかそれ。オレ、真剣に言ってるのに」
「天然なのがさらに恐ろしい~」
 こうして軽口を叩き合うのもすっかり定着した。大体は、まさに今現在のように俊哉に言いくるめられてしまうのだが、それでも楽しくて、嬉しい。
 立ち上がって波打ち際へ近づいた俊哉は、こちらを少し振り向く。逆光に目を細めると、唇をとがらせた表情がうっすらと見えた。
「俺の貯金分と今のバイト代だけじゃ、そのうち金尽きるよ」
 実に現実的な意見だった。すっかり主夫が板についているのもあって、家計にも敏感なのだろう。
「それに、高史の時間も増えるでしょ」
 自分の時間なんて考えすらしなかった。それだけ、俊哉のことで埋め尽くされていたとも言える。
「俺のこといつも気にかけてくれるのはありがたいけど、結構心配してるんだからね。ほとんど休みないし、相変わらず掛け持ちバイトしてるし」
 何だか、肩身が狭くなってきた。心配をかけていたことに気づかないとは、意外と余裕がなかった証拠だ。
「……俊哉さんが本当に心配なんですよ。今もまだ、うなされてたりするし」
 あの人の影が完全に消えるには、もう少し時間がいる。
 背後に立ってそっと抱きしめた。あたたかい海風と混じった俊哉の匂いが鼻腔をかすめる。
「……大丈夫だよ。強がりじゃなくて、本当に。だから、これからは高史も支えさせてよ」
 回した腕に、ぬくもりが重なる。
「それに、俺も高史に出迎えてもらったり、おかえりって言われたい」
 あまりに可愛すぎる願望に、つい疑ってしまったのは仕方ない。悟られたら機嫌を損ねるのは必至だから、さらに引き寄せることで誤魔化す。
「……俊哉さんには、かなわないっすね。いろんな意味で」
「これでも、お前より年上だからね」

 再び持ち上げた視線の先に、夜の太陽がある。
 遮るもののない輝きは、半欠けとは思えない力強さをもってこちらを見返し、照らしていた。

←6話へ戻る