
昼飯の誘いは、仕事を理由に断る。
夕飯の誘いも、仕事や他の予定が入っていることを理由に断る。
週の中日<<なかび>>にあった祝日の誘いも何とか断ることに成功した。
とにかく、西山と二人きりの時間をなくしたくて必死だった。
「……白石。お前、露骨すぎだろ」
とうとう痺れを切らしたのか、昼休みになった途端捕まってしまった。西山がいない時を見計らってエレベーターに乗ったのに、見抜かれていたのかエントランスのすぐ外で待ち構えていたのだ。
掴まれた腕を容赦なしに引っ張られ、そのまま人気のない場所まで連れて行かれる。
「何のこと?」
「とぼけんな。今だって無視しようとしただろ」
「昨日、具合悪いから断ったの忘れたのかよ」
「嘘だって俺はわかってるから」
手を振りほどこうとするがびくともしない。早く逃げたい、心が乱される前に、早く。
「……そうやって俺と目、合わせなくなったよな。仕事中もだ」
やっぱり気づかれていた。
「なあ、なんで? 俺、なんかやった?」
していると言えばしている。していないと言えばしていない。
「もしかしなくても、この間のドライブが原因?」
一瞬息をつまらせてしまう。こんな反応、肯定しているも同然じゃないか。
「無理やり連れ出したから怒ってんの?」
「……違う」
「じゃあ、キスしたりしたから?」
「……っ、もう離せよ!」
もう耐えられなかった。心臓が苦しい。早く西山と離れなければどうなるかわからない。
強めに腕を振るとあっさり解放された。彼の優しさのあらわれなのか、単に諦めただけなのか、どちらにせよ助かった。
「これだけ教えてほしいんだけど、お前にとって、俺はどういう存在?」
「……大事な、相棒だよ」
すれ違いざま問われた当たり前の問いに、変わらない答えを返す。西山からの返答はなかったし、あったとしても聞く余裕はない。
重い足取りで会社に戻ると、先ほどのやり取りがまるで夢だったかのように「相棒」の仮面を被った西山がパソコンに向かっていた。
……そう、ある意味現実に戻れていないのは自分。少なくとも会社にいる間は普段通りの自分でいられたのに、公私混同も甚だしい。仕事に打ち込みたくとも、逃避できるほどの忙しさも今はないうえに、担当している案件を西山と受け持っているせいで余計に集中力を乱されていた。
どうしてそんな普通にしていられるんだ。どうして自分だけがこんなにも心乱されているんだ。どこまで惨めにさせれば気が済むんだ。
ため息を押し殺しながらメールを送信する。ここに座っていることが苦痛で仕方ない。
「おい、白石」
妙に堅い声が聞こえて隣を見やると、珍しく焦燥の混じった表情が出迎えた。
「さっき見積のメール送っただろ? 金額、間違えてる」
慌てて送信したメールを開き、添付した見積書と手元の資料を見比べる。
……最悪もいいところだ。
初めて取引をする企業相手に、よりにもよって、注意していれば防げたはずのミスを犯してしまった。
背中に氷を押しつけられているような心地になりながら、西山と共に上司に報告する。
「西山が気づいてくれてよかったよ。白石にしちゃ珍しいが、次からは気をつけてくれよ」
「……はい。本当に申し訳ありませんでした」
震えそうになる声を必死に抑える。いっそ怒鳴り散らしてくれたら、悔しさの矛先を遠慮なく向けられたのに。
「白石」
一段落ついたところで逃げるように席を外す。少しの間、一人きりになる時間が必要だった。
それなのに、なんで彼は追いかけてくるんだ。
「……ついてくるなよ。トイレ行くんだから」
「トイレ、そっちじゃないぞ」
「わかるだろ、察せよ。五分くらいしたら戻るから」
「俺のせいなんだろ? 見ない振りはさすがにできない」
会社じゃなかったら、多分怒鳴りつけていた。
そうだ、全部西山が悪いんだ。心地よかった空気を一瞬でかき乱して、居心地の悪いものに変えてしまった。
「わかってるなら」
急に腕を掴まれた。抵抗する暇もなく、トイレの個室に連れ込まれる。
「ごめん、ここしか思いつかなかった」
「そんなの関係ないだろ、なにすん」
顎を掬われ、唇に親指を押し当てられた。
「お前の中で、俺の印象ずいぶん変わっただろ」
意味がわからない。なぜ、いきなりそんなことを、こんなタイミングで言ってくる?
「俺も同じだよ。ますますお前のことが好きになった。絶対、手放したくない」
ぶっ込みすぎやしないか。いっそ指を噛んでやろうか。
西山がなぜか小さく笑った。楽しんでいるようにも呆れているようにも見える。どちらにしろ不愉快だ。
「悪い。でも、お前があんなに動揺するなんて思わなかったから。『相棒』のままのはずの俺にさ」
まっすぐに、見下ろされる。
見つめ返すことしか許されていないみたいに、身動きができない。
「……あのさ。もう、相棒ってだけじゃないだろ?」
心の中に顕微鏡を埋め込まれた気分だった。隠れようとしてもすぐ発見されて、覗かれる。
唇の表面をすす、と指が移動していく。
「言ってる意味、わかってるよな?」
吐息が混じった声は、ただ柔らかいだけ。だからなのか、容赦なく脳内を支配していく。
流されているだけじゃないかと思いたいのに、強引じゃないかと怒鳴りたいのに、できない。「こいつ」はいつの間に、ここにいたのだろう。いつの間に、心の奥で無視できないくらいに成長してしまっていたんだろう。
「今夜、答え聞かせてもらうから。逃がさないから、覚悟しとけ」
契約終了を迎える明日まで逃げる、という選択肢はこの瞬間、むなしく砕け散った。