星空と虹の橋

【第2話】夜の太陽はさかさまで輝く

 ふいに、まぶたが持ち上がる。
 隣から、苦痛に支配された声が聞こえた気がした。上半身を起こして隣を見やると、うつ伏せでもがく姿があった。
「朔さん、朔さん。大丈夫か?」
 常夜灯をつけると、朔はシーツを握りしめて激しく顔を歪ませていた。まるで急所を刺され、耐えきれない痛みと戦っているかのような状態だ。
 こんな表情は初めて見た。どれだけの恐怖が、彼を飲み込もうとしているのか。
「……や、めろ……」
 肩を揺らしていた手が、止まる。
「ちか、よるな……俺は、俺は……もう」
 誰かから逃げている? それは、彼がひた隠しにしている事情と関係があるのか?
「いやだ……もう……解放して、くれ……!」
 絞り出すようなか細い叫びに、一層強く身体を揺らして名前を呼ぶ。早く現実へ戻すべきだと、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
「……っ、あ?」
 一度息を詰めて、朔はうっすらと目を開けた。呼吸を失敗して咳き込む彼に、背中を支えながら水を差し入れる。大きく上下を繰り返す細い肩が、いつにも増して痛々しい。
「ゆっくり、落ち着いて。ここには、オレしかいません」
 今までは、うなされていても声をかけてやるか、少し時間が経てば規則正しい寝息を取り戻していた。

 一体、どんな夢を見ていたんだ。
 何が、あなたを引きずり込もうとしていたんだ。

 ようやく落ち着いてきた彼はぼんやりとこちらを捉えて、名前をつぶやいた。
「オレです。大丈夫ですか?」
 それがスイッチになったかのように、朔はカップを放り投げると自らを固く抱きしめた。連れ帰った夜のことを思い出す、すべてを拒絶する体勢だ。
「こわ、い……俺は、いやだ……もう」
「朔さん!」
 思わず強く抱き寄せた。子供をあやすように背中をゆっくり撫でる。
「大丈夫だから、ここにはオレとあんたしかいない。あんたが見ていたのは夢だ、現実じゃない」
 どんな夢かはわからない。でも、何でもいいから解放されてほしかった。自分だけを、感じていてほしかった。
 背中に回されたぬくもりが、死ぬほど嬉しかった。震えた手で服を握りしめる感触に、心臓が高鳴った。

 ああ、やっぱりこのひとが好きなんだ。
 このひとを、どんなものからも守ってやりたいんだ。

 抱擁を解くと、朔は涙に濡れた双眸をこちらに向けた。零れ落ちそうなことに気づいて親指で拭うと反射的にまぶたが降りる。
 気づくと、唇を重ねていた。
 くぐもった短い声が口内に響く。それでも、抵抗はなかった。角度を変えてみても朔はおとなしく、なすがままだ。
 もっと、深くつながりたい。
 朔の顎に添えた指に力を込めて、吐息の注がれるその箇所に舌を伸ばす。無抵抗なだけかと思った瞬間、先端に触れる感触が確かにあった。
 背中に指すべてを滑らせて、返ってきた舌を絡め取る。自分こそ、夢を見ているようだ。
「……っ、俊哉しゅんや、さん……」
 呼吸のついでに、名前をささやく。
 つい招いた自惚れが、夢の終わりの合図だった。
「や、めろ……!」
 突き飛ばされた。突然のことに呆然としていると、目の前の朔は胸元をぎゅっと握りしめて小さく震えていた。
「す、みませ……」
 うまく口が回らない。傷つけた、すでに傷ついているこの人に、さらに傷を負わせてしまった。
 謝っても謝りきれない。何をやっても上辺にしかならない。
「オレ、ちょっと、頭冷やしてきます」
 歩きながら思わず見上げた夜空は、雲ばかりに支配され輝きが見えない。
 照らしてほしかった。つい生まれてしまった邪な感情を、すべて浄化してほしかった。

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