
少し色褪せた木目の天井を見つめていた。
見つめておく必要があった。
隣から意識を逸らしておく必要があった。
最初はただの同級生だった。
席替えをした時、前の席に彼がやってきたのをきっかけに、友達同士に変化した。
いつしか親友同士へとなり、……
驚くほど馬が合った。考え方は正反対、好きなものは被らない、けれど他の誰よりも、隣で呼吸をするのが楽だった。
『お前、今こういうこと考えてたろ』
それが彼の口癖となるのに時間はかからなかった。その予言はほとんど当たっていたからだ。
『お前はわかりやすいんだよ。まあ、俺が理解しすぎてるだけかもしれないけど』
ただのからかいとも取れる言葉が、嬉しかった。切れ長の目を細めて、口角を少し上げたさまが、格好いいとさえ思えた。
……逸らす必要があるくらい彼を好きになっていたのだ。
冷房は十分に効いている。
背中にじっとりと感じる熱は、明らかに隣のせいだった。
どうしてこうなったのか思い返してみる。夏休みの宿題を見てもらいたくて――本当は一緒にいたくて――彼の家に押しかけた。一時間もすると集中力は切れて、意外に長い睫毛とか、自分で整えているのかちょうどいい太さの眉をちらちら盗み見るようになったら、呆れたように気分転換のテレビゲームを提案された。それに敢えて熱中していたら思った以上に疲弊してしまい、互いに大の字に寝転んで、気づけば彼だけが寝ていた。そういえば寝付きのよすぎるタイプだと言っていた。
エアコンの風では打ち消せない呼吸音が左耳をくすぐる。――寝息だけを意識的に拾おうとしているのは明白だった。
身体の最奥で激しく打ち鳴らしているような鼓動が続いている。息を吐き出す瞬間も、無駄に熱さを含んだものだった。
視線はいつしか、テレビの左隣にある本棚へと移っていた。知っている漫画もあれば小難しそうな参考書と思われる文庫、分厚い図鑑など、多種多様な本が四段すべてにきっちりと収められている。
ここから視線を下ろしたら、無防備な彼へとたどり着いてしまう。今の状態で寝顔を捕らえてしまったら、どうなるかわからない。
「……、ん」
色を含んだように聞こえたのは特別な目で見ているせいだ。
だからこそ、ここでとめておかなければならない。
「つか、さ……」
名前を、呼ばれた。
今まで一度も、名前で呼ぶなんて、なかったのに。
まさか、夢を見ているのか?
夢の中に、「いる」のか?
「ゆき、と」
魔法にでもかかったみたいだ。鼓動のせいで苦しささえ感じているのに、今にでも飛び立ててしまえそうな気分になっている。
「ゆきと、ゆきと……」
何でも見通してしまう聡明な輝きに蓋をして、普段より柔らかな表情で寝息をこぼし続ける彼は、理性でつくられた壁を簡単に破壊していく。
エアコンは、もう役に立たない。
顔の両端に手をついた。初めて見下ろす、親友と油断している彼の無防備さにむしろ喉の奥を震わせた。
少しずつ肘を折っていき、腕半分を完全に床につける。
呼吸が、唇に触れる。皮膚同士はまだ離れているのに熱が伝わってくるような錯覚が襲う。彼の顔だけが、視界を埋め尽くして離れない。
夢の中でしか成し得なかった距離に目眩がしそうだった。
好きだ。友達として以上に、好きでたまらないんだ。お前しか考えられなくて、どうしようもないんだ。軽蔑しないでくれ。嫌わないでくれ。
初めてのキスは彼の飲んでいた麦茶の味が混じっていた。見た目には薄い唇なのに、心地よさを感じるほどに柔らかい。
口の中に吐息がかすかに入ってくる、それだけで何も考えられなくなる。いつまでも重ねていたいと、欲が頭を出しそうになる。
「っ、んぅ⁉」
あるはずのない衝撃が、後頭部に走った。反射的に身体を引こうとしても動けない。呼吸ごと奪おうとするような、確信的なキスまでされている。
「やっぱり、襲ってきた」
ほんの少しだけ距離を取って、目蓋の奥にあったダークブラウンがまっすぐに射抜く。
再び、唇を塞がれた。
背中をそわりとした感触が這って思わずくぐもった声を漏らすと、湿った塊が差し込まれる。
「ふぁ、は……っ、ん……!」
「ん……っは、ぁ……」
これは彼の舌なのか。苦しい。どう呼吸すればいいのかわからない。気持ちいい。
たくさんの情報が頭の中を圧迫して処理しきれない。ただ口内で余すところなくなぞっていく塊に、ぴくりぴくりと反応するばかりだ。
ちゅ、と唇を軽く吸われた音で、うつつな状態から戻ってくる。彼の細い指が下唇の端から端までをゆっくりなぞって、吐息に甘い音が重なる。
なんで。問いかけようと懸命に開いた口からは、引きつった悲鳴が漏れる。
「せっかくだから、こっちも触ってやるよ」
うそ、だ。
でも彼の手は確かに、ジーンズを押し上げているモノを捕らえている。形を確認するように、あるいは愛撫するように、ゆるく上下に動いている。
鼻で軽く笑う声が聞こえた。ベルトが外され、チャックまで下ろす動作を黙って受け入れてしまう。
両膝が崩れ落ちるのを助長するように、右耳に熱い吐息を注ぎ込みながら直に触れてくる。腰が大げさに跳ねるのも仕方ない。他人に、しかも彼に触れられる日が来るなんて、想像しろという方が無理だ。
自慰をするように、指全体で根元から先までを丁寧に何度もなぞる。たまに先端からにじみ出ている液体を拭うような動きを取り、さらになめらかな愛撫を重ねていく。
「わかるか? ここから、どんどんあふれてるの……」
「っ言う、なぁ……!」
「無理だね……お前が、エロいのが悪いんだ」
最初からエアコンがついていないような暑さにまみれている。汗がにじむ。触れ合ったところすべてが、じっとりとあつい。
「……ねえ。俺のも一緒に、触ってほしい」
触って?
もう一度ねだる声が、波紋のように頭に響く。
向かい合わせの体勢になると、明らかな欲に染まった表情と対面してぼうっと見つめてしまう。
視線で続きを促され、タックボタンを外し、下着越しに一度撫でる。十分な硬度が手のひらに返ってきて、思わず喉を鳴らしてしまう。
「っあ、は……ぁ」
甘く、待ち望んだとわかる溜め息が自らのものと混ざり合って、身体の奥がひどく反応している。
触れられている中心に、集まっていく。
「お前の……っまた、大きくなった、ぞ」
欲情にまみれながらも鋭い光を秘めた双眸と、唇が、ゆるやかな弧を描く。
とめられない。五感すべてが、彼を求めてやまない。
彼の一番の熱を、直接感じたい。下着を下ろして、そろりと手を添える。小さな震えを返してきた彼にいとおしさが増して、あふれる液を塗りつけるように全体を愛撫していく。少しずつ大きくなる濡れた音にさえ、煽られる。
クーラーの風は聞こえない。冷たさも感じない。でも、それでいい。もっとこの熱に浸っていたい。ぼやけた視線を、浮かれた吐息を、交わし合っていたい。
けれど、腰が軽く痙攣するほどに限界が近いのもまた、同様で。
「一緒に、いきたいんだろ?」
ふいに耳元へと落とされた囁きに、素直に首を上下させた。
互いに、撫でる動きを加速させる。鼓動がさらに速さを増す。無意識に伏せていた瞳を持ち上げて彼を捕らえると、唇を重ねた。
身体全体の熱が倍に膨れ上がって……すとんと落ちる。
手の中の感触を確かめるように、ゆっくりと握りしめた。
「全部わかってたよ。お前が寂しくなって、俺のところに押しかけてくることも」
さっきよりも温度の下げられた風が、身体全体を優しく撫ぜていく。
「お前が、ずっと俺のことを好きだったってことも」
繋がったままの手に、力が加わる。
「いつまでもうじうじしてるから、仕掛けてやったんだ。予想通り食いついてくれて、俺としては大満足だね」
隣を見やると、推理が的中した探偵を彷彿とさせる笑みが待ち構えていた。
彼に一番似合う、一番見惚れてしまう表情だった。