星空と虹の橋

【第4話】俺はエメラルドのご主人様じゃない!

「先輩、もしかしてもしかすると、彼女ができたんじゃないですか?」
「は?」
「だって、やっとブレスレットしてきたと思ったら今日はしてないし。だから『私とブレスレット、どっちが大事なの!』って日夜痴話喧嘩を」
「違う! お前のその妄想力はどこから出てくるんだよ!」
 二人だけで残業に勤しんでいるから、現実味のない妄想など生まれてきてしまうんだ。早いところキリのいい部分まで終わらせないと、翠にも無駄に心配をかけてしまう。
 日曜日に、あるルールを設けたいと提案した。
 平日のうち、一日は休息日、いわゆる浄化メインの日を作ること。
 すいは予想通りの反論をしてきたが、もちろん想定済み。あらかじめ購入していたスマートフォンをプレゼントして、互いに連絡し合う案も付け足した。
 これはかなりの威力を発揮したようで、まるで宝物を扱うような手つきで端末を眺めていた翠だった――が、まだ粘られてしまった。
 困り果てた末に取った手段は、「情に訴える」というシンプルながら強力な方法。
『俺だって、ブレスレットがないのは心許ないよ。でも、まだ俺は翠の力をちゃんと把握できてないから、余計に心配なんだ。俺を助けると思って、頼むから聞き入れてほしい』
 端末ごと両手で包み込んで頭を下げると、翠はほぼ反射的に案を受け入れることを了承してくれた。


(全くの嘘じゃないけど、利用したみたいで良心は痛むよな)
 改札を抜けて、足早に駅の出口へと向かう。週の中日はどうしても疲れが溜まるから、早く帰ってベッドにダイブしたい。
 スラックスのポケットから振動が伝わった。画面を確認して、返事の早さにびっくりする。電車を降りる前に連絡を入れたばかりだった。
『お仕事本当にお疲れ様でこざいます! 首を長くしてお待ちしております。何かありましたらすぐにご連絡くださいね』
 やっぱり親みたいだ。
 胸の辺りがほのかに温かい。気を抜くと口の端が持ち上がってしまいそうになる。
「お帰りなさいませ! 鞄、お持ちしますね」
 出迎えてくれた翠が忠犬のようにも見えてきた。鞄を持ってリビングに向かう後ろ姿は、尻尾を激しく振りながらおもちゃを咥えて駆け出しているようだ。
「……え、何か、やけに豪華じゃない?」
 すっかり翠の手料理が落ち着いた夕食だが、今日はまるで地元に愛される定食屋のような、シンプルな盛り付けながら食欲をそそる洋食の数々だった。品数が少ないのにそう見えるのは、翠の盛り付け方がうまいのだと何となく理解できる。
「はい! 残業でお疲れの文秋ふみあきさんのために、腕によりをかけました。先日、ご迷惑をおかけしたお詫びも兼ねております」
 翠は苦笑を浮かべる。割合としては後者のほうが多そうに見える。あの三日間のことは、よほど悔しかったのだろう。
「……ありがとう」
 ただ礼だけを告げると、翠は口元を綻ばせた。


 思えば、誰かとテーブルを囲んで食事をするのは、年末年始に実家に帰って以来だった。
 作ってもらった料理を食べながら、会話を楽しむ。残業終わりだからこそ、のんびりとしたこの空間が贅沢に感じる。
 翠が一生懸命に話を聞いてくれるのも何だかんだで嬉しい。つい、次から次へと言葉が出てきてしまう。
「後藤様と残業でいらしたのですね」
「明後日までにまとめないといけない資料があってさ。ある程度まで目処はついたから、何とかなりそうだよ」
「月曜日に、課長の吉永様からご依頼されていた件ですね。文秋さんが関わっておられるプロジェクトとは別件でございました」
「そう……って、翠まで把握してなくていいって」
「何を仰いますか! 従者として、仕事面でもご助力できるようにしておかなければ」
「本当に、いいんだよ」
 仕事中、やけにおとなしかった理由がようやくわかった。つくづく、自らの使命に対して常に全力な男だ。
 だが、翠に求めている範囲ではない。箸を置いて、改めて向き直る。
「職場だと、ずっと気を張ってないといけないだろ?」
「え、ええ……。確かに、文秋さんの神経は緊張に包まれておりますね」
「最近忙しいのが続いてるから余計にだと思うけど、そんな状態だからこそ家ではリラックスしてたいんだよ」
 言わんとしていることを、翠も把握してきたらしい。二つのエメラルドが大きくなって、自分を照らしている。
「癒やしって役割はお前にしか務められないんだから、それで俺を助けてほしい。もちろん、無理は厳禁だからな」
 翠はぶるぶると全身を震わせると、立ち上がって深く頭を垂れた。相変わらず大げさな反応に口元が緩む。
 癒やしてほしい、だなんて言葉が自然と言えてしまうのも、彼の持つ力の影響なのかもしれない。だが、悪い気はしなかった。
「しかし、文秋さんと特に関わりがある方のお名前や人となりはある程度把握しておきたいと思います」
「え、なんで?」
 顔を上げた翠の笑みが一層深まったが、なぜか背中の辺りに冷たいものを流された気分に襲われたので追求は避けておいた。


「文秋さん。よろしければ、ヒーリングなどいかがでしょう?」
 風呂から上がると、キッチンもリビングのテーブルも綺麗に片付いていた。翠の機嫌も元通りだった。
「ヒーリング?」
「ご説明するより、こちらのページを見ていただいたほうがわかりやすいかもしれません」
 渡されたスマホを受け取る。早速使いこなしているようだ。
「……ああ、天谷あまやさんからちらっと聞いたことがあるかも」
 チャクラというエネルギーの溜まり場みたいな箇所が、上半身の中心を走るように七つ――尾骨、下腹部、へその辺り、胸、喉、眉間、頭頂――ある。チャクラを象徴するカラーもそれぞれ決まっており、例えば緑ならば胸、青ならば喉となる。
 それらの色と同色の石を置いて仰向けにゆったりと寝そべり、石の力で弱ったエネルギーを回復するのがヒーリングというものだ。
「石が揃ってないけど、できるって?」
「問題ございません。私が立派に務めてみせます」
 やけに自信たっぷりなのが逆に気にかかる。
「……もしかして、結構力を使うんじゃ? 石が七ついるのに問題ないって」
「一晩、水晶と月光浴で浄化していただければ回復します」
「ってことは結構消費するんじゃないか!」
「文秋さん。先ほど仰っていただいたことをもうお忘れですか?」
 翠は笑みを深める。嫌な予感も深まる。
「私は癒やしのエメラルドだから、その方面でもっと助力してほしいと」
 自らの言葉で首を絞められる時が、こんな最速でやって来るとは思わなかった。
「それに、嘘は申しておりません。一晩の浄化で充分に回復するのは本当です」
「いかにエメラルドの精製が重労働だったのかがわかるなぁ」
 半目でつぶやくと、翠はわざとらしく咳払いをした。パワーストーンの化身なのに、仕草はどんどん人間に近づいていく。
 就寝の支度を整えて、念のためブレスレットも水晶の上にスタンバイしてからベッドに仰向けになる。いつもはTシャツにトランクスの格好で寝るのだが、今日はハーフパンツを身につけておいた。
 間接照明を背にした翠が、こちらをまっすぐに見下ろす。いつもの柔らかさは鳴りを潜めていた。森の中で寝そべり、ぽっかり空いた空間から夜空を眺めているような気分に包まれる。
「文秋さん、ゆっくり目を閉じてください」
 意識せずとも、瞼が下りた。
 変に緊張が始まってしまう。様子がわからないとこんなに不安になるとは。
 瞬間、身体がぴくりと跳ねた。
 無機質な感触が、股間に近い下腹部から伝わってくる。しかしそれも一瞬で、染み渡るようなぬるい熱に変わる。
「ひ、ぁ……す、翠!」
「お静かに」
 下腹部からへそ、胸の中心へと、翠の手のひらが優しく緩く撫で上げ、熱を与えていく。全身が宙に浮かんだような爽快な気分と、神経の糸が一本でも途切れたら眠りに落ちてしまいそうな緊張感が同居している。
 確かに気持ちいい。いい、のだが。
 くすぐったいだけではない。変な声が漏れてしまう、表現しきれない感触が走っている。
 翠の手は頭頂までたどり着くと、再び下降していく。少し乱れた吐息を吐き出したと同時に指先が通過して、唇を掠めた。
「んっ……」
 短く、息を吸う音が聞こえた気がした。
 止まった指先は、円を描くように全体をなぞる。これも、ヒーリングの儀式なのか?
 謎を残したまま喉と胸を通過し……へそをなぞり、先へと進む。
「あ、ぁ……」
 だめだ、声を我慢できない。下腹部がこんなに弱いとは思わなかった。自ら生み出した熱が中心に集まるのを、いやでも実感してしまう。理性とは裏腹に、かき集めようとしてしまう。
「……文秋さん、終わりました」
 声をかけられても、視界を何とか確保するしかできなかった。気だるくて、うまく四肢を動かせない。
 濃い青と薄い橙の混ざった空間に、翠の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。また余計な心配をかけてしまうと焦るのに、言うことを聞かない。
「文秋さん、大丈夫ですか? もしかしてご気分が優れないとか」
 首を振ると、少しだけ意識が戻った。上半身を懸命に持ち上げる。
 短くも誤魔化しようのない悲鳴が、唇からこぼれてしまった。反射的に腰を引いてしまったのが決定打になる。
 反応している。下着とハーフパンツを窮屈そうに押し上げて、先端を緩く擦りつけている。
 同性相手、しかも性とは全く関係ない行為でこんな反応を示してしまうなんて思いもしなかった。確かにご無沙汰だったが、ここまで見境がないなんて泣きたくなってくる。
「翠、ありがと。すごくよかった。ちょっと、トイレ行ってくるから」
 おざなりな礼になってしまったのを心の中で詫びながらベッドから降りる。この気だるささえなくしてしまえば、ヒーリングの効果を実感できるはずだ。
「お待ちください」
 左腕を捕らわれた。強制的に向かい合わせにされた先の翠は、無駄な真顔で見下ろしている。恐怖さえ感じる。
「っま、てって!」
 腰を引き寄せられ、懸命に足掻いてもさらに力を込められる。早鐘を打つ心臓も、熱が暴走を始めている中心も、翠と触れ合ってしまう。
 彼が知らないことを祈るしかなかった。それならばまだ、うまく逃げるチャンスは残っている。
「……こちらも、私にお任せを」
 囁かれた言葉の意味が、理解できない。
 ハーフパンツの中に滑り込んだものが下着越しに自らの昂ぶりを撫で上げた瞬間、ようやくスイッチが入った。
「や、めろって……翠……!」
 拒否とは裏腹に、翠の手つきに敏感になっていくのがわかる。さらに求めてしまう。
 翠の吐息だけが首筋を何度もなぞっていく。そんな、ほんのわずかな刺激にさえ背筋を震わせて、抵抗する力をますます失っていく。
「怖がらないで……私に、ただ身を預けてください……」
 もはや暗示のようだった。直接触れられているのに、口から漏れるのは吐息混じりのか細い声だけ。翠に全身を預けて、初めての甘すぎる痺れに酔いしれていた。
「も、だめ……い、きたい……」
「ください。あなたのすべてを、私に……」
 囁きが終わると同時に、自らを擦り上げる力が一層強まった。
 全身が引きつり、頭の中が真っ白になる。確かに抜けていく熱と同時に詰まっていた息を吐き出しながら、急速に弱まる意識を他人事のように感じていた。

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