星空と虹の橋

【第5話】俺はエメラルドのご主人様じゃない!

「僕、決めたんだ。これからしばらく、あんたと兄さんを見張らせてもらう」
 朝食を食べ終わった頃に予告通り現れたらんは、ぼんやりした頭に活を入れるような声でそんな宣言をしてきた。
「見張るって……まさか、ここで暮らすつもり?」
「違うけど、近いかもね。僕の目的は兄さんに余計な力を使わせないようにすることと、あんたにもっとパワーストーンの主としての自覚を持ってもらうことだもん」
 微妙に頭痛がしてきた。ただでさえ昨夜の言い合いを引きずっているのに、さらなる異分子がやってきてしまった。
「藍、それは天谷あまや様にご了承いただいているのか?」
 問いかけた翠の声は硬い。藍は一瞬怯んだ様子を見せたが、気丈に見返した。
「も、もちろん。僕ら化身のことをちゃんと教えるためだって言ったら、許してくれたもの」
 天谷が謝罪のメッセージを添えていた理由がわかった。翠も呆れたように息をつく。
「天谷様にもご迷惑がかかる。文秋さんと私のことはいいから、主をきちんとお護りするんだ」
「その千晶に、兄さん一人でヒーリングやったって聞いてびっくりしたんだよ! 石七つ分の力を使った自覚、ないわけじゃないよね?」
 やはり、それなりに負担のかかる行為だったらしい。いくら精製より疲れない行為だと言われても、相対的にしか比較できておらず、知識不足を改めて実感する。
「……兄さんは、ちょっと入れ込みすぎだよ。まさかとは思うけど」
「藍。本当に私は大丈夫だから」
 翠の表情はますます硬くなる。首を振る動作が、拒絶に見えた。
「現に、こうして問題なく動けている。毎日、きちんと役目を果たせている。文秋さんが気を配ってくださっているおかげだ」
「で、でも!」
「文秋さんをお護りするのは私にとって何よりも大事な、最優先事項なんだ。パワーストーンの化身である藍が、それを制限するのか?」
 反論が尽きたのか、藍は口元を細かく震わせている。翠の意思は言葉だけでもぶれがなく、完璧だった。
「別に、俺はいいよ」
 だからこそ、自分がいる。
「文秋さん!?」
 驚愕する翠の隣で、藍も目を丸くしている。
 天谷に心の中で深く頭を下げながら、続ける。
「天谷さんが許可してるなら、ちょうどいい機会だし甘えさせてもらおうかなって。藍くんスパルタだけど、いろいろ教えてくれるし」
 翠の無言の圧力が重石のようにのし掛かる。なるべく彼の方は見ないようにして、藍に笑いかけた。
「わかってるじゃない。千晶のことは心配しなくていいよ。何かあったらちゃんと行くし」
「文秋さん!」
 距離を詰めてきた翠の瞳を懸命に見返す。少しの隙も、覗かせてはいけない。
「翠。主人の意思に、背くのか?」
 会社でも、ここまであからさまな先輩面などしない。自分をよく把握している翠にとっては、素人の演技を見せつけられているに過ぎないだろう。
 だが、同時に察するはずだ。
「……いいえ。仰せのままに、ご主人様」
 それだけ、翠と二人きりになりたくないのだと。
 乱されてばかりの感情に、穏やかさを取り戻したい。立ち止まって、ゆっくり呼吸のできる環境がほしかった。


 その日の夜に、仕事終わりの天谷から改まった謝罪の電話がかかってきた。直接謝りたいという言葉に、近くのコンビニに買い物に行くと嘘をついてマンションの前に移動する。
「浅黄さん! ……もう、何と言えばいいのか。本当にごめんなさい」
 深く頭を下げられて、逆に申し訳ない気持ちになる。
「翠にやってもらったヒーリング、藍くんからすれば問題だったみたいですね。俺がちゃんと止めるべきでした」
 顔を上げた天谷は、難問を前にしたように目を細めた。
「……石七つ分の役割を、化身がすべてまかなうという事例はないそうよ。もしかしたら、ヒーリングでなかった可能性もあるかもしれないわね。浅黄さんは効果を実感できた?」
 ヒーリングでないとしたら、あのすっきりした気分はやはり……自身を弄られたせいと、いうことになる。
 曖昧な態度でいると、天谷は考え込むように、顎に手を当てた。
「……翠さんは、他の石を持たせたくないのかしら」
 つぶやかれた内容に苦笑しながら否定する。仲間を拒否するなんて、あるわけがない。いつもの、無駄に頑張ろうとした結果に過ぎない。
「多分、石は揃ってないけどやってあげたいって思ったんですよ。本当に仕事熱心ですから」
 なぜか、まじまじと見つめられる。見覚えのある視線に思えるのは……単なる気のせいだろうか。
「天谷さんはヒーリングしたことあります? あるなら、参考にしたいです」
 敢えて問いかけると、天谷は我に返ったように瞬きを二、三度繰り返してから頷いた。
「ちなみに、藍にしてもらったのはヒーリングに適した石の選別と、最中にアクアマリンの力を高めてもらっただけ」
 翠と全然違うし、そのほうが何倍も効果は高そうだ。
 どうして強行したのだろう。主のためを思うなら、藍のように石の選別から始めてほしかった。
「これじゃあ、藍くんに怒られてもしょうがないですね。やっぱり最低限の知識はつけないとダメだな」
「……私の勝手な想像だけど、浅黄さんが知識をつけても、翠さん相手には意味がないかもしれないって思ってるわ」
 本気で意味がわからなかったのだが、天谷は小さく苦笑するだけだった。
 なぜか、翠がますます遠くに行ってしまったような気がした。

  * * * *

 過去の自分を褒めたい。
 こんなに堪え性のない性格だったのか? 我慢の聞くほうだという認識は間違っていたのか?
「先輩……今週はもう完全に、タバコ吸えなくてイライラしてる人そのものになってますよ……」
「いいから、黙って書類探そうか。ここで手伝い打ち切ってもいいんだぞ?」
「す、すいませーん」
「……いや。悪い」
 後藤がわざわざ手伝いを頼んできた意図は、わかっているつもりだった。バインダーだらけの棚からこちらを振り向いた顔に、かすかな笑みが刻まれている。
 藍は言葉通り、おはようとお休みまでの時間を、過ごすというより見張りのように居座るようになった。藍が「兄を完全に任せても問題ないと納得」できるまでブレスレットの持ち出し禁止に加え、週に数回天谷の店へ出勤する予定も無視した徹底ぶりである。翠がこっそり行っていた力の分け与えも早々にバレて、本当に「無防備」な状態だった。ちなみに、家事もパワーストーンの化身がやることじゃないと止めようとしていたが、翠の断固とした拒否の前にあえなく失敗していた。
 ブレスレットがなく、翠の守護もない。それでも、これでよかったはずだった。翠と距離を置けて、気持ちにゆとりが出て、たとえ束の間でも以前の日常が戻ってくるだけのはずだった。
「……どうして、うまくいかないんだろう」
「え、何か言いました?」
「悪い、独り言だから気にしないでくれ」
 無意識に口から漏れていた。ますます自分らしくない。
 藍は家でも基本的に翠の近くに控えていて、自分と二人きりになるのを阻止している。
 そんな彼に、いつからか苛立ちを向けるようになっていた。翠も主人である自分の意志を尊重してか、藍に対して一切文句を言わないでいる。笑顔は一切見せないくせに、だ。
 ――どうして、黙って受け入れているんだ。
 一度そう訴えかけて、あまりの身勝手さに気づき、愕然とした。
 藍がただ単に気に入らない。そういう感情とも違う。
 藍も、仲の良さ……というより、兄を好きという気持ちをわざと見せつけているわけではない。純粋に心配でたまらないから目を離したくないのだと、言外に語っている。
 わかっているのに、こみ上げてきてしまう。
「先輩……本当に大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
 横で、後藤が眉をひそめていた。
「昨日、寝るのが遅かっただけだよ」
「見え見えの嘘、つかないほうがいいですよ。何か悩んでるでしょ、先輩」
「くだらない悩みだから」
「なら、なおさら言ったほうがいいですって。口に出すだけでも違いますから。……これ、先輩が相談に乗ってくれる時の口癖でしたよね」
 痛いところを突かれてしまった。どのみち、この後輩は簡単に逃してくれそうにない。
「……仲良くしてた人のそばに、他の人がずっとくっついてて、苛々してしょうがないってだけ。くだらないだろ?」
 なぜか、後藤の目が丸く開かれる。若干戸惑っているようにも見える。
「……あの、先輩。それってもしかして、いわゆる『嫉妬』ってやつじゃないですか?」
 突然放り込まれた二文字に、こちらも戸惑ってしまう。
 だが、まるでパズルのピースがぴったりと嵌ったような納得感と説得力があった。
 嫉妬? ……藍に?
「先輩のことだから、恋愛とは関係ないのかもしれないですけどね。例えば友人同士でもそういうのあるって言いますし」
 それは、藍を見ていればよくわかる。彼は本当に兄を大事に想っている。だからこそ自分に対して厳しい。
 だが、この嫉妬は?
 翠をどういう存在だと思っていて、この感情が生まれた?
 大事な存在であるのは事実だ。藍の想いの強さにはかなわないだろうが、方向性は似ているはず。なのに、この嫉妬は?
 ……顔が熱くなってきた。うそだ、こんな反応、まるで……。
「顔、真っ赤ですけど……」
「言うな。わかってるから」
「え、ってか、マジですか? 先輩、その仲良くしてた人って」
「知らない。そうだって決まったわけじゃないし」
「往生際悪っ! なんで素直になれないんですか」
「本当に手伝い打ち切るぞ」
「すいませんもう黙ります」
 大体、翠は人間じゃない。性別も男だ。女性にあまり興味が持てなかったのも、恋愛したいという願望が低かっただけに過ぎない。その時が来れば付き合って結婚するものだと思っていた。
 だから、あるわけがないんだ。
 あるわけがないのに……どうして、心臓の早鐘が、収まらないんだ。

感想ありましたらぜひ

選択式・一言感想フォーム