星空と虹の橋

【第3話】夜の太陽はさかさまで輝く

 つながりかけていた互いの縁は確実に切れた。きっと修復もできない。
 認めたくなくても、相手の前に分厚い壁があれば諦めざるをえなくなる。
 もしかしたら、気づかないうちに出ていくかもしれない。
 朝、目が覚めるのが怖くてたまらなかった。バイトもできるなら休みたかった。鎖でつないでおきたいなんて、物騒なことをつい考えてしまいたくなるくらいに。
 さくがやってきてもうすぐ二ヶ月が経とうとしている。すでに一人きりの生活は考えられない状態にまで陥っていた。
 けれど、自分の都合だけで縛りつける権利も当然、なかった。

  * * * *

 夕方からのバイトが始まるまでの時間を使って、アパートに駆け戻った。
 遅刻してもこの際かまわない。朔の姿を確認するまでは、とても仕事なんて手につかない。
 ノブを回すと、鍵がかかっていた。一瞬で駆け巡るマイナスな想像を必死に振り払いながら鍵を外す。
「鞄、ある」
 部屋の隅に置かれた唯一の持ち物を抱きしめて、深い溜め息をつく。おそらく、買い物にでも行っているのだろう。
「オレ、ほんと余裕なさすぎ」
 最高に格好悪い。もう少し感情を制御できる方だと思っていたが、のめり込むほど冷静さを失うタイプらしい。
 朔が戻ってこないうちにこの醜態を隠してしまおう。
 鞄を慌てて元の位置に戻そうとして、うっかり手を滑らせてしまった。A5サイズのクリアファイルが中から飛び出す。
「ん、これは……」
 クリアファイルには、コピーされた新聞の切れ端が挟まっていた。
「自殺……?」
 小さな記事には、二十代の男性が自宅で首を吊っていたという内容が書かれている。遺書と見られる直筆の文書が見つかったこと、事件当日は妻を始めとした知人全員にアリバイがあったことから、自殺と断定されたらしい。
 なぜ、こんな記事を朔が? まさか、自殺の参考にでもしようと思ったのか? いや、それはさすがに飛躍しすぎている。
 瞬間、鋭い声が玄関先から飛んできた。
「さ、朔さん……!」
 ビニール袋をその場に投げ捨てて、見たことのない剣幕で近づいてくる。
「見るな!」
 手の中のクリアファイルを奪い取り、守るように抱き込む。全身が細かく震えていた。
「すみ、ません。オレ忘れ物、しちゃって。探してたら、鞄蹴飛ばしちゃって、それで」
 朔は何も返さない。はっきりとした拒絶だけが伝わってきた。
「……何も聞かないです。忘れ物あったんで、またバイト、行ってきます」
 後ろ髪を引かれる思いでアパートをあとにする。

 事情が知りたい。あなたを救うために、知りたい。
 でも、この気持ちをあなたには知られたくない。

 極端な思いに板挟みにされながら、頭の中はある確信で埋め尽くされていた。バイト中、どうやって仕事をこなしていたのかいまいち思い出せない。怒られていないから目立つミスはしていなかったようだ。
 帰宅中、当たっていないでくれと何度も願った。願ったのに……現実は、清々しく非情だった。
「朔さん……!」
 いない。最初から存在していなかったかのように、彼の姿はなかった。
 感情のままに、再び夜の街に駆け出す。買い物かもしれないと一番近くにあるスーパーに寄って隅から隅まで回ってみたがいない。
 コンビニ、ドラッグストア、飲食店、とにかくあらゆる店に入って探した。死にものぐるいだった。こんなにも離れたくなかったのだと今さらな後悔に襲われながら足を動かして……気づけば、最初に出会った路地に立っていた。
「ここにも、いなかったら……どこにいるんだよ」
 明日には見つかるかもしれない。欠片ほどの希望に縋りついて、仕方なく部屋に戻る。
「鞄……?」
 クローゼットの横にひっそりと、朔の持ち物であるはずの黒い鞄が置かれていた。
 忘れていったのか? それとも、いらないから敢えて置いていった?
 忘れていったと思いたいのに、朔の態度が容赦なく打ち消す。

 ――狭い部屋のはずなのに、どうしてこんなにも広い。
 ――まさか、自殺したんじゃないか。明日のニュースで流れたらどうしよう。

 無理にでもバイトを休めばよかった。それ以前にキスをしなければ、抱きしめなければ。
 今さらな後悔ばかりが、枯れ葉が渦を巻くように頭の中で踊る。
 目を閉じても、恐怖が身体を支配しようと足元から這い寄って、言い様のない気持ち悪さに襲われる。悪夢から覚めるようにまぶたが開いてしまう。
 ふと思いついて、元の位置に戻した鞄を手に取る。中身を探る手に当たったものを引っ張り出すと、予想通りの長財布だった。
「……失礼します」
 身分証明書にある住所を、スマートフォンにメモする。
 今は少しでも可能性のあるものに賭けたかった。

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