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(画像省略)「おはようございます。文秋さん。具合はいかがですか?」 取り戻したい…

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

#R18

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

第10話 #R18

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「おはようございます。文秋さん。具合はいかがですか?」
 取り戻したいはずの朝がやってきた。意識はそこまで混濁していないのに、まだ夢を見ているらしい。
 上半身を起こした。風邪を引いていたのが嘘のように、気分がすっきりとしている。
「全然、大丈夫みたい」
「そうですか! ずっと眠っておられたので心配でしたが……安心いたしました」
 どうせなら答えてやろうと思っただけなのに、普通に返事が来た。
 改めて、柔らかな笑顔を見つめる。やがて訝しげな表情に変わり、首をかしげられた。
 次第に違和感を覚えていく。
 夢にしてはやけにリアルだし、身体に触れているものすべてにも、確かな質感がある。
「大丈夫ですか?」
 背中に触れる手のひらも、記憶の中と寸分違わない。
「……翠?」
「はい」
 ふたつの、淡く輝く緑がまっすぐに注がれる。
 頬に手を伸ばした。温度は感じない、だが夢ではありえない本物の感触だった。
「ほん、もの?」
 白い手袋を抜き取り、直に触れる。頬と変わらない感触が返ってくる。
「はい」
「夢じゃ、ないのか?」
「……確かに、戻りました。ただいま、と申し上げるべきでしょうか」
 眼差しが、秋の日差しを受けたように優しく煌めく。あの日、エメラルドに惹かれた時と同じような光を放っている。
 自分と一緒に窓の外にあったはずのブレスレットは、ベッドサイドに置かれていた。やはり、藍が来てくれていたみたいだ。
 エメラルドに輝きは、変わらず戻っていない。
 なのに、ただいまと彼は言う。視線を戻した先に、泣きそうな笑顔の彼がいる。
 目の前の光景を本当に信じていいのか、受け入れていいのか、迷いはまだ消えない。
 それでも、触れられている。声も聞こえている。夢で納得できるはずがなかった。
 勢いのままに抱きしめる。ないはずのぬくもりを確かめるように、力を込める。
「なんでだよ……なんで、普通に戻ってきてるんだよ……」
「私にも、よくわかりません」
「俺が、どんな気持ちでいたと思って……」
「……申し訳、ありません」
「もう、あんな無茶、絶対に……!」
 抱き返してきた腕の力に胸が震える。感覚に直せば永久にも長い時間を越えて戻ってきた翠のすべてを、ただ堪能する。
 向き直った瞬間に、自然とエメラルドにとらわれてしまう。妙に熱が秘められている気がして、さりげなさを装って逸らそうとした。
「逃げないでください」
 頬を包まれてしまった。ベッドに乗り上げて、距離を詰めてくる。
「確かめたいことが、ございます」
 背筋が粟立つほどに真剣な声音だった。吐き出す吐息が震える。必死に記憶を巻き戻して言葉の意味を探るが、引っかかるものはない。
「ほんとに、兄さんなの……?」
 翠の背中にかけられた弱々しい声が、流れていた空気を霧散させた。
「藍くん……」
 信じられない。藍の表情は固まっていた。
「小さな気を、感じたと思ったんだ。でも、気のせいだと、思って。期待したら……だめだって」
 声が震えている。翠がそばまで歩み寄り、少し乱暴に頭を撫でた。
「……戻ってこられた理由は、私にもわからないんだ。でも、ここにいる」
 無言で見上げた藍は堪えるように唇を震わせて、姿を消した。
『今日、絶対店に来なよ。来なかったら、承知しないから』
 藍も、同じ気持ちだった。化身ならいつ迎えてもおかしくない結末だからこそ、平常さを装って受け入れようとしていた。
 自分に向けていた言葉の数々を思い出して、胸が締めつけられそうになる。
「……文秋さん。朝食の準備をしますので、少々お待ちください」
 翠の言葉で我に返る。そうだ、出勤の準備をしなければならない。けれど。
「さっき話があるって言ってたけど、いいのか?」
「いえ、大丈夫です。……帰宅してからに、します」
 そこまで出し惜しみされると逆に気になってしまうのだが……答えは通勤中にもらった、後藤からの連絡で察してしまうこととなる。
『昨日、翠さんのスマホから休みますってメッセージ来てたんで、オレが連絡しておきました』
『うわ、そうだったのか! 悪い、助かった』
『代わりに、俺も愛してるって告白送ってきた理由を絶対、包み隠さず! 教えてくださいね。それも先輩のしわざだってのはわかってますから、逃げてもダメですよ』
 翠のスマートフォンを持っていた時に、そんなことを打ち込んだ気がする。一昨日の夜は正直、翠が戻ってきてほしいとひたすら祈っていた記憶だけがこびりついていて、あとは霧にでも巻き込まれたような状態だった。
『……文秋さん。その、お顔が赤いです。大丈夫ですか?』
 返事ができないでいると、ぼそっと翠の突っ込みが入った。
 言うな。しかもその言い方、もしかして理由をわかってないか?
 ……わかっていないほうが珍しいと、気づいてしまった。後藤に「告白する」と宣言を送っている以上、スマートフォンを見ないわけがない。
 ますます、熱が上がりそうになった。


 店に来るまで気持ちが落ち着かなくて大変だったと語った天谷は、翠の姿を見た瞬間に自分のことのように喜んでくれた。
「もう、絶対に無理だと思っていたから……奇跡としか、言いようがないわ」
 全く同じ感想だった。ブレスレットに残ったエメラルドは完全に輝きをなくしているのに、翠は全く変わらない姿で隣にいる。
「やっぱり、このエメラルドはただの石だよ。パワーストーンの力は完全に消えてる」
 ブレスレットを丹念に観察していた藍は、眉根を寄せたままこちらに返す。今度は自分の全身を訝しげに眺め始めた。
「でも、翠さんはここにいる。力があるということなのよね?」
 翠は曖昧に頷いた。
「自分のことながら、私も本当に謎なのです。以前よりも力は弱まったような気はいたしますが、使うこともできますし」
「あんた、一体何をやったの?」
 翠がいる手前、白状するのは勘弁願いたかったが、一斉に向けられた六つの目からは逃げられそうになかった。諦めて、エメラルドの欠片を飲み込み、ムーンストーンを口に含んで願い事をとなえたことを伝える。
「まさか、それで本当に願いが叶ったと、いうのかしら……?」
 信じられないとでも言いたげなつぶやきだったが、同じ気持ちだった。だが、パワーストーンの化身という非現実的な光景を目にしている以上、否定もできない。
「……だから、あんたからエメラルドの力を感じてたのか」
「俺、から?」
 翠も驚いている。
「前より弱いけど、感じるんだ。僕もこんな現象は初めてだから、理由とか全然わかんないけど……感じるよ」
 藍の言葉を噛み締めながら、腹部に手のひらを当てる。
 確かに、ムーンストーンはなくなっていた。無意識に飲み込んでしまった可能性もあるだろう。
 それでも、信じたかった。最後のチャンスを与えてくれたのだと思いたかった。
 あるいは、試練を乗り越えてみせると誓った覚悟が本物なのか、見定めるためかもしれない。
 どっちでも構わない。もう二度と、後悔はしたくない。
 肩に触れてきた翠の手に自らのものを重ね、緩く握る。
「……もらった奇跡を、無駄にしないよ。翠が護ってくれたように、俺も護るから」
 エメラルドが、大きく揺らめく。噛みしめるように頷いた。
「これじゃあ……もう、二人の反対なんてできないわね、藍?」
 小さな笑い声に、慌てて二人を振り向く。
 あたたかな微笑みを浮かべる天谷と、苦虫を噛みつぶしたような不機嫌顔の藍が並んでいる。正反対だが、自分たちの想いを完全に把握しきっているとわかる表情だった。
「でも、監視はやめないからね。ちょっとでも怠惰な言動を取ったりしたら承知しないから。兄さんが止めてもやめないよ」
「……ありがとう。まだ頼りない主だけど、藍くんに認めてもらえるように、頑張るよ」
 藍は身体ごとそっぽを向いた。照れ隠しなのは、誰の目から見ても明らかだった。
「天谷さんも、いろいろありがとうございます。これからも、また相談させてください」
「もちろんよ。お二人のことも、ずっと応援しているわ」
 純粋な気持ちに、お礼を言うのが精一杯だった。
「あ、そうだ。今度、俺の後輩連れてきますね。実家が天然石の店をやってるらしいので、きっと打ち解けると思いますよ。……翠のことも、知ってますから」
 一瞬目を見開いた天谷だったが、「楽しみにしています」と一言返してくれた。
「……兄さんを助けてくれて、ありがとう。文秋」
 店を出てからつぶやくように告げられた礼に驚いて、背後を振り返る。
 藍の姿はなかった。姿を消したまま佇んでいるのか翠に訊こうかと思ったが、頭を軽く下げるだけに留めておいた。
「弟まで名前呼びなんて、ちょっと妬けますね」
 少ししてからぼそりと嫉妬を露わにした翠に、突っ込む余裕はなかった。
 翠は多分、スマートフォンを確認している。自らへの返事を、読んでいる。
 ……帰ったら、文面では交わし合った想いと改めて向き合わねばならない。
 それでも、内にあるのは緊張だけだ。覚悟は、とうにできている。

  + + + +

 藍の願いでなければ、翠は仕事が終わったら一分一秒でも早い帰宅を催促したと思う。
 後藤は、今日は時間を取れないと告げたらあっさり納得してくれた。にやついた笑みが気がかりだったが、無駄な怪我は負いたくなかった。
 まるで、身体が微妙に浮いているように足元がおぼつかない。鼓動もずっと速い。いつもの調子で湯船に浸かったらのぼせそうになってしまった。せっかくの夕食も味が全然わからない。
「……文秋さん。そんな、あからさまに緊張なさらないでください」
 ついに、隣の翠から苦笑交じりの突っ込みが入ってしまった。
「ご、ごめん。こういうの、ほんと慣れてなくて……気分、悪いよな」
 だが、首を振った翠は歯切れの悪い物言いを繰り返している。訝しげに見つめると、目を逸らされた。
「……率直な感想で恐縮なのですが、文秋さんがあまりにも可愛らしいので、すでに我慢の限界を迎えそうです」
 観念したように飛び出した台詞に、一瞬思考が停止する。
 反射的に立ち上がりかけた身体は、背後から抱きしめられてしまった。
「申し訳ありません、文秋さん」
 予想外の謝罪に、間抜けな声が漏れる。
「今の私は、従者失格ですね。文秋さんの身体を労る余裕もありません。正直、情けないです」
「……風邪のことなら、すっかり忘れてたよ」
 日中は溜まっていた仕事を必死に片付け、夜は天谷の店で報告と、本当に濃い一日だった。
 翠から返ってきたのは短い否定だった。
「文秋さんと私のような事例は本当に聞いたことがないのです。予想もつかない事態が起きないとも限らない。ですから……本来ならば、しばらく様子を見るべきなのです。少しの負担もかけるべきではないと、わかっているのです」
 腕に、力が込められる。
「文秋さんを傷つけたくない。それなのに、私は……」
 こんな時ですら堂々と甘えていて、呑気な自分が恥ずかしい。本当に翠は、優秀な「従者」だ。
「俺は、大丈夫だよ」
 そんな翠にしてやれるのは、羞恥心を捨てて覚悟を示すことだった。
 自らの使命に蓋をして構わないと、主として告げることだった。
「全然根拠はないけど、大丈夫だって信じてる」
 翠に向き直り、安心させるために口端を持ち上げてみせる。
「実際、一日分溜まってた仕事をひたすら片付けてた疲れはあるけど、それだけなんだよ。変な感じとか全然しないし、ほんと普通。お前も嫌な予感とかしないだろ?」
「それは、確かに……しかし、藍は力が弱まっていると言っていましたから、信憑性は」
 唇に指を当てて、それ以上の言葉を封じた。そっと抱き寄せて耳朶に触れる。
「俺は、今すぐ話が聞きたい。……これは、命令だ」
 一瞬、息が詰まった。その力に心を震わせながら、ほんの少しの隙間も埋めるように、自分の熱が翠にも伝わるように、固く引き寄せる。
「文秋さん。朝の話の続きを、させてください」
 鼓膜にかかる囁きに、小さな声を上げながらひとつ頷いた。
「後藤様にお送りしていたメッセージを、読みました」
「……うん」
「あのお言葉は、本心と受け取ってよろしいのでしょうか? ……文秋さんの想いは私と同様だと、そう考えても、よろしいでしょうか?」
 よく聞くと、声は震えていた。
 翠も、緊張していた。同じだった。それだけなのに、胸の奥からあたたかいものが広がっていく。
 翠とまっすぐ向かい合う。風で揺れる木々のような揺らめきを、エメラルドは発していた。
「好きだ。これからもずっと、俺の隣にいてほしい」
 呆然としている翠の唇に一瞬触れて、胸元に頬をすり寄せた。
「文秋、さん……!」
 触れた箇所から伝わる細かな震えが、翠の内心を一番に表しているようだった。愛おしさのままに腕を回す。
「こうして抱きしめられる日が来るなんて、思いもしませんでした……絶対、叶わないものだと思って、私は……」
 互いに、さらに力を込める。想いがあふれて止まらない。身も心も、もっと翠を求めてしまう。
 宝物を扱うように頬に触れ、唇をふさぐ。重ね合わせるだけのそれはすぐに終わり、口内を柔らかいものが撫で回していく。
 呼吸のタイミングがわからないほどに、激しい。思わず無理やり顔を逸らす。
「ばか、がっつきすぎ……」
「申し訳、ありません。でも」
 もう、我慢ができない。
 敬語の取れた口調と掠れた声に意識をとられていると、噛みつくように再び奪われた。勢いのあまり身体が傾いで、ソファーに押し倒されてしまう。
「っは、ふ……ぅ、ん!」
 両肩を押さえ込まれ、完全に舌を絡め取られる。粘着質な音が絶えず鼓膜を愛撫し、余すところなく自らの舌をなぞろうとする動きに背筋が甘く痺れて、力が抜けていく。
「ずっと、こうしたかった」
 跨り、見下ろすふたつのエメラルドは穏やかな光ではなく、底の見えない深い緑で照らしていた。森の陰からこちらを狙いすます、鋭い双眸にも見える。
「本当に、愛しています。あなただけが、私のすべてです」
 身体が浮き上がった。いつぞやのように、寝室まで運ばれる。抵抗するものはすべて、とうに失せている。
 手袋が外された瞬間、背中にぞわりとした感触が走り抜けた。首筋に顔を寄せて、鋭い痛みを一瞬生み出す。
「……お前、どこでこんな知識、知ったんだよ」
 吸われた箇所をなぞる指がシャツの裾まで辿り着いた時に、つい尋ねてしまった。嫌なわけではもちろんないが、男同士の行為は初めてだからなおさら、恐怖を隠せない。
「不安に思われるのもわかりますが、お任せください」
 内心を読みきった台詞と共に、柔らかな笑みで見下される。
「絶対に、怖い思いはさせません」
「そ、んなこと言われても……っん!」
 裾から滑り込んだ両の手のひらが胸元を撫でた。そのまま何度も、円を描くように動き回る。
「胸、文秋さんは弱いんですね……」
 男は触られても何も感じないと思っていた常識が、覆されてしまう。
 引っ掻くように指先が掠めた時も、一際大きな悲鳴を上げてしまう。
「やめ、やだ……も、いじるな……!」
「でも、とても気持ちよさそうです。ね……?」
 言いながら片方を強めに摘まれ、もう片方を湿った感触に包まれた。溜め息にも似た声が鼻を抜ける。
 下半身の震えを止められない。熱が収束していくのを止められない。
「可愛いです、文秋さん……」
 うっとりと呟きながら、服の上から緩く反応を示している自身に触れる。形を確かめるように握り込まれた。手のひらが上下するたびに、ぴくりぴくりと腰が跳ねる。
「っあ、ん……!」
「大丈夫……逃げないで、私に委ねてください……」
 外気に晒されたそれに直接触れられた瞬間、吐息までもが震えた。快楽しか生まない手の動きに、羞恥も声も我慢する余裕すらない。粘着にまみれた音さえも、甘い痺れに変換されてしまう。
「す、い……も、いくぅ……っ!」
 先端を手のひらで撫でられ、乳首を強く吸われる。強い刺激に耐えられるはずもなかった。
 頭が一瞬白く弾ける。熱が吐き出されていくのを他人事のように感じながら、全身にかかった力が一気に抜ける。呼吸がまともにできない。
 何も考えられないくらい、それこそヒーリングの時のものとは比べられないほどの倦怠感が襲う。
「……文秋さん、とても色っぽくて、可愛くて……ずるいです」
 頬を愛おしそうに撫でる動きとは裏腹に、翠の表情から普段の柔和さは消えていた。
 余裕の全くなかったキスを思い出す。ずっとこうしたかったという言葉を思い出す。
「我慢、しなくていいよ」
 自然と、つぶやいていた。
「翠がどんな風にしてきても、全部受け止める」
 重い頭を持ち上げて、一瞬だけ唇に触れる。
「今は、俺たちはただの恋人同士だから……思うまま、してほしい。俺も、頑張る、から」
 のたうち回りたい気持ちを、ベッドに横たわり固く目を閉じて耐える。
 布の擦れる音が聞こえて、うっすらと開けた目を見張った。
 翠が、プレゼントした服に着替える時以外、決して脱ごうとしなかった執事服に手をかけていた。上着を取り、中のベストを外す。シャツのボタンを外そうとしたところで、そっと留めた。
「俺に、やらせて?」
 誠心誠意の奉仕を表した服を、すべて取り去る。
 改めて見る翠の裸体は、素人目で見ても惚れ惚れするほどに均衡のとれた美しさだった。中心で屹立しているものさえ、いやらしさをあまり感じない。
 そっと身を寄せる。この身体に抱きしめられ、護られてきたのだと思うだけで、喉の奥が震える。苦しくて愛しくて、同じように護りたいと心から思う。
 翠の中心に触れようとすると、やんわりと止められた。
「先程、言いましたよね? 愛してほしいと」
「い、言ったけど! 俺も」
「今夜は、すべて私にお任せいただきたいのです。……私が、どれほどにこの瞬間を求めていたかを、知っていただきたい」
 後半を耳に注ぎ込まれ、短い悲鳴が漏れる。
「す、翠……なんか、キャラ違う」
「そうでしょうか」
 どこか爽やかに答えながらも、ベッドに押し倒してくる。
「そうだとしたら、文秋さんのせいです。……本当に、限界です」
 いきなり、自身を濡れた感触が走った。翠に咥えられたのだとわかって頭を掴んでも、動きは止まらない。引きつった悲鳴がただ漏れるばかりだ。
「そ、んな……きた、ないだろ……!」
「いいえ。文秋さんは、きれいです」
 物語にしか出てこないような台詞を平気で返しながら、全体を柔らかいものが撫で回していく。形だけの拒否ばかりがこぼれる。もっとほしいと、揺れる腰が訴えている。
 自身から届く音で、達したばかりとは思えないほどに先走りがあふれていることを知り、熱が集中していく。手のひらすべてで扱かれているだけでも、大きさを増しているように聞こえてしまう。
「っ、あ!?」
 息が詰まった。ありえない箇所に、ありえない異物感がある。
「な、んでそんなと、こ……!」
「少しだけ、我慢してください」
 無理だ。中で指が動くたび、まともに呼吸ができないくらいに苦しい。
 名前を呼ばれて答えた唇を、緩く食まれた。伸ばされた舌は表面を愛撫するだけで、中には差し込まれない。
 心地よさに、少しずつ全身の力が抜けていく。その隙を狙ってか、埋め込まれた指が再び動き出す。
「絶対に、痛い思いはさせません。……私を、信じてください」
 何度も頷く。言葉通りにいつも護ってくれていた男を、信じないわけがない。
 一度引き抜かれ、再び侵入してきた指の威圧感が増した。一本増えたようだ。苦痛はだいぶ和らいできたものの、変な気持ち悪さは抜けない。
 中で指が折り曲げられた。ぼんやりそう思った瞬間だった。
 重ねられた唇の隙間から、男とは思えない高い声が、響いた。
「っな、に……!?」
 自分でもよくわからない。いやだと訴えようとしたが、翠は再度その箇所を擦り上げる。
「や、やめ……そこ、だめだ、って!」
「いいえ。むしろ、よいのです」
 歓喜さえ滲ませながら重点的に突かれ、押される。さっきとは違う意味で声が我慢できない。
 前を全く弄られていないのに、射精感がこみ上げる。意味のわからないまま欲には勝てず、再び熱を吐き出した。
「今の場所が、文秋さんが一番に感じるところです」
 それを、探していたというのか。まさか、男にもあるなんて。
「……文秋さん」
 呼吸がいくらか落ち着いたところで名前を呼ばれ、包装を開ける音で翠と目が合った。
 ただの男の顔がある。自らの欲に支配され、止めることもかなわないけれど、本気で拒否をすれば従うぎりぎりの理性も残している。わずかに下がった眉尻がそれを物語っているように見えた。
「……言っただろ? お前に、愛してほしいって」
 もちろん、意思に変わりはない。
 今は恋人という対等な立場なのだから、余計な気遣いはいらない。
「今だけ……『さん』は、取ってほしい」
「文秋、さん?」
「それ、いらない。名前だけを、呼んでよ」
 今のでなけなしの理性は吹き飛んだだろうと、頭のどこかで察知していた。
 翠自身が、一気に埋め込まれた。比べものにならない苦しさに、喉が一瞬詰まる。
「文秋、私を煽った、結果です……」
「まだ……こんなものじゃ、ないんだろ?」
 従順な裏にある翠の姿が、どんどん顕になっていく。貪欲に求めるだけの男へと変貌していく。
「っあ! ひ、ぁ……!」
 接合部から響く濡れた音と肌のぶつかり合う音、鼓膜を愛撫するような甘い囁きに全身が溶けてなくなりそうだった。本当に自分のものなのかわからない声を絶えずこぼして、快楽を受け止めるだけで精一杯だった。
 繋がれている手に力を込めると、同じ力を返してくれる。いつの間にか下りていた瞼を持ち上げると、薄闇の下でも美しく輝くエメラルドが待っていた。
「俺の、エメラルド、だ……きれいな、俺の……」
 二度と、曇った姿は見たくない。いつまでも、初めて見た時と変わらない輝きで魅了してほしい。癒やしてほしい。
 腹の底から、抗えない熱が押し寄せる。収束して、弾けようとする。
 声にならない悲鳴が、喉から吐き出された。腹に湿った感触が走り、意識が急速に霞んでいく。
「文秋、愛しています……もう、絶対に離れない……」
 俺もと、答えたつもりだった。
 唇と頬を撫でる感触に安堵しながら、繋がっていた糸を自ら切った。

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(画像省略)「僕、決めたんだ。これからしばらく、あんたと兄さんを見張らせてもらう…

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

#R18

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

第5話 軽く #R18

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「僕、決めたんだ。これからしばらく、あんたと兄さんを見張らせてもらう」
 朝食を食べ終わった頃に予告通り現れた藍は、ぼんやりした頭に活を入れるような声でそんな宣言をしてきた。
「見張るって……まさか、ここで暮らすつもり?」
「違うけど、近いかもね。僕の目的は兄さんに余計な力を使わせないようにすることと、あんたにもっとパワーストーンの主としての自覚を持ってもらうことだもん」
 微妙に頭痛がしてきた。ただでさえ昨夜の言い合いを引きずっているのに、さらなる異分子がやってきてしまった。
「藍、それは天谷様にご了承いただいているのか?」
 問いかけた翠の声は硬い。藍は一瞬怯んだ様子を見せたが、気丈に見返した。
「も、もちろん。僕ら化身のことをちゃんと教えるためだって言ったら、許してくれたもの」
 天谷が謝罪のメッセージを添えていた理由がわかった。翠も呆れたように息をつく。
「天谷様にもご迷惑がかかる。文秋さんと私のことはいいから、主をきちんとお護りするんだ」
「その千晶に、兄さん一人でヒーリングやったって聞いてびっくりしたんだよ! 石七つ分の力を使った自覚、ないわけじゃないよね?」
 やはり、それなりに負担のかかる行為だったらしい。いくら精製より疲れない行為だと言われても、相対的にしか比較できておらず、知識不足を改めて実感する。
「……兄さんは、ちょっと入れ込みすぎだよ。まさかとは思うけど」
「藍。本当に私は大丈夫だから」
 翠の表情はますます硬くなる。首を振る動作が、拒絶に見えた。
「現に、こうして問題なく動けている。毎日、きちんと役目を果たせている。文秋さんが気を配ってくださっているおかげだ」
「で、でも!」
「文秋さんをお護りするのは私にとって何よりも大事な、最優先事項なんだ。パワーストーンの化身である藍が、それを制限するのか?」
 反論が尽きたのか、藍は口元を細かく震わせている。翠の意思は言葉だけでもぶれがなく、完璧だった。
「別に、俺はいいよ」
 だからこそ、自分がいる。
「文秋さん!?」
 驚愕する翠の隣で、藍も目を丸くしている。
 天谷に心の中で深く頭を下げながら、続ける。
「天谷さんが許可してるなら、ちょうどいい機会だし甘えさせてもらおうかなって。藍くんスパルタだけど、いろいろ教えてくれるし」
 翠の無言の圧力が重石のようにのし掛かる。なるべく彼の方は見ないようにして、藍に笑いかけた。
「わかってるじゃない。千晶のことは心配しなくていいよ。何かあったらちゃんと行くし」
「文秋さん!」
 距離を詰めてきた翠の瞳を懸命に見返す。少しの隙も、覗かせてはいけない。
「翠。主人の意思に、背くのか?」
 会社でも、ここまであからさまな先輩面などしない。自分をよく把握している翠にとっては、素人の演技を見せつけられているに過ぎないだろう。
 だが、同時に察するはずだ。
「……いいえ。仰せのままに、ご主人様」
 それだけ、翠と二人きりになりたくないのだと。
 乱されてばかりの感情に、穏やかさを取り戻したい。立ち止まって、ゆっくり呼吸のできる環境がほしかった。


 その日の夜に、仕事終わりの天谷から改まった謝罪の電話がかかってきた。直接謝りたいという言葉に、近くのコンビニに買い物に行くと嘘をついてマンションの前に移動する。
「浅黄さん! ……もう、何と言えばいいのか。本当にごめんなさい」
 深く頭を下げられて、逆に申し訳ない気持ちになる。
「翠にやってもらったヒーリング、藍くんからすれば問題だったみたいですね。俺がちゃんと止めるべきでした」
 顔を上げた天谷は、難問を前にしたように目を細めた。
「……石七つ分の役割を、化身がすべてまかなうという事例はないそうよ。もしかしたら、ヒーリングでなかった可能性もあるかもしれないわね。浅黄さんは効果を実感できた?」
 ヒーリングでないとしたら、あのすっきりした気分はやはり……自身を弄られたせいと、いうことになる。
 曖昧な態度でいると、天谷は考え込むように、顎に手を当てた。
「……翠さんは、他の石を持たせたくないのかしら」
 つぶやかれた内容に苦笑しながら否定する。仲間を拒否するなんて、あるわけがない。いつもの、無駄に頑張ろうとした結果に過ぎない。
「多分、石は揃ってないけどやってあげたいって思ったんですよ。本当に仕事熱心ですから」
 なぜか、まじまじと見つめられる。見覚えのある視線に思えるのは……単なる気のせいだろうか。
「天谷さんはヒーリングしたことあります? あるなら、参考にしたいです」
 敢えて問いかけると、天谷は我に返ったように瞬きを二、三度繰り返してから頷いた。
「ちなみに、藍にしてもらったのはヒーリングに適した石の選別と、最中にアクアマリンの力を高めてもらっただけ」
 翠と全然違うし、そのほうが何倍も効果は高そうだ。
 どうして強行したのだろう。主のためを思うなら、藍のように石の選別から始めてほしかった。
「これじゃあ、藍くんに怒られてもしょうがないですね。やっぱり最低限の知識はつけないとダメだな」
「……私の勝手な想像だけど、浅黄さんが知識をつけても、翠さん相手には意味がないかもしれないって思ってるわ」
 本気で意味がわからなかったのだが、天谷は小さく苦笑するだけだった。
 なぜか、翠がますます遠くに行ってしまったような気がした。

  * * * *

 過去の自分を褒めたい。
 こんなに堪え性のない性格だったのか? 我慢の聞くほうだという認識は間違っていたのか?
「先輩……今週はもう完全に、タバコ吸えなくてイライラしてる人そのものになってますよ……」
「いいから、黙って書類探そうか。ここで手伝い打ち切ってもいいんだぞ?」
「す、すいませーん」
「……いや。悪い」
 後藤がわざわざ手伝いを頼んできた意図は、わかっているつもりだった。バインダーだらけの棚からこちらを振り向いた顔に、かすかな笑みが刻まれている。
 藍は言葉通り、おはようとお休みまでの時間を、過ごすというより見張りのように居座るようになった。藍が「兄を完全に任せても問題ないと納得」できるまでブレスレットの持ち出し禁止に加え、週に数回天谷の店へ出勤する予定も無視した徹底ぶりである。翠がこっそり行っていた力の分け与えも早々にバレて、本当に「無防備」な状態だった。ちなみに、家事もパワーストーンの化身がやることじゃないと止めようとしていたが、翠の断固とした拒否の前にあえなく失敗していた。
 ブレスレットがなく、翠の守護もない。それでも、これでよかったはずだった。翠と距離を置けて、気持ちにゆとりが出て、たとえ束の間でも以前の日常が戻ってくるだけのはずだった。
「……どうして、うまくいかないんだろう」
「え、何か言いました?」
「悪い、独り言だから気にしないでくれ」
 無意識に口から漏れていた。ますます自分らしくない。
 藍は家でも基本的に翠の近くに控えていて、自分と二人きりになるのを阻止している。
 そんな彼に、いつからか苛立ちを向けるようになっていた。翠も主人である自分の意志を尊重してか、藍に対して一切文句を言わないでいる。笑顔は一切見せないくせに、だ。
 ――どうして、黙って受け入れているんだ。
 一度そう訴えかけて、あまりの身勝手さに気づき、愕然とした。
 藍がただ単に気に入らない。そういう感情とも違う。
 藍も、仲の良さ……というより、兄を好きという気持ちをわざと見せつけているわけではない。純粋に心配でたまらないから目を離したくないのだと、言外に語っている。
 わかっているのに、こみ上げてきてしまう。
「先輩……本当に大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
 横で、後藤が眉をひそめていた。
「昨日、寝るのが遅かっただけだよ」
「見え見えの嘘、つかないほうがいいですよ。何か悩んでるでしょ、先輩」
「くだらない悩みだから」
「なら、なおさら言ったほうがいいですって。口に出すだけでも違いますから。……これ、先輩が相談に乗ってくれる時の口癖でしたよね」
 痛いところを突かれてしまった。どのみち、この後輩は簡単に逃してくれそうにない。
「……仲良くしてた人のそばに、他の人がずっとくっついてて、苛々してしょうがないってだけ。くだらないだろ?」
 なぜか、後藤の目が丸く開かれる。若干戸惑っているようにも見える。
「……あの、先輩。それってもしかして、いわゆる『嫉妬』ってやつじゃないですか?」
 突然放り込まれた二文字に、こちらも戸惑ってしまう。
 だが、まるでパズルのピースがぴったりと嵌ったような納得感と説得力があった。
 嫉妬? ……藍に?
「先輩のことだから、恋愛とは関係ないのかもしれないですけどね。例えば友人同士でもそういうのあるって言いますし」
 それは、藍を見ていればよくわかる。彼は本当に兄を大事に想っている。だからこそ自分に対して厳しい。
 だが、この嫉妬は?
 翠をどういう存在だと思っていて、この感情が生まれた?
 大事な存在であるのは事実だ。藍の想いの強さにはかなわないだろうが、方向性は似ているはず。なのに、この嫉妬は?
 ……顔が熱くなってきた。うそだ、こんな反応、まるで……。
「顔、真っ赤ですけど……」
「言うな。わかってるから」
「え、ってか、マジですか? 先輩、その仲良くしてた人って」
「知らない。そうだって決まったわけじゃないし」
「往生際悪っ! なんで素直になれないんですか」
「本当に手伝い打ち切るぞ」
「すいませんもう黙ります」
 大体、翠は人間じゃない。性別も男だ。女性にあまり興味が持てなかったのも、恋愛したいという願望が低かっただけに過ぎない。その時が来れば付き合って結婚するものだと思っていた。
 だから、あるわけがないんだ。
 あるわけがないのに……どうして、心臓の早鐘が、収まらないんだ。


 戸惑いながら玄関のドアを開けると、やはり通常通りの出迎えが待っていた。
「お帰りなさいませ。お仕事、お疲れ様です」
 向けてくれる微笑みも変わらないが、心からのものだとわかる。藍という、翠にとって招かれざる客がいるからこそ、余計にわかる。
 後藤のせいだ。後藤が変にけしかけるから、何の変哲もない光景にさえ反応してしまっている。
「文秋さん?」
 距離を詰められて、全身が固まる。
「いかがなさいましたか? 具合でも悪いとか……?」
「ちょっと、いつまでそこに突っ立ってんの? まさか、変なことしようとしてないよね?」
 遠慮なしに近寄ってきた藍が、無駄に入ってしまった力を抜いてくれた。
「ごめん、何でもない。……もう、風呂入るよ」
 鞄を翠に押しつけて、洗面所に逃げ込んだ。深く息を吐き出す。
 平常心を無理やりにでも呼び戻さないと、絶対に翠から追求されてしまう。それだけは避けないといけない。
 唯一一人きりになれる風呂場の存在が、こんな時だからこそ余計にありがたかった。
 入浴剤を混ぜた湯船に、四肢を投げ出す。季節関係なく、長湯してものぼせない程度の温度が一番好きだ。
 気分が落ち着くと、今度は後藤との会話を巻き戻そうとしてくる。頭を振ってもにやついた笑みが離れない。
 帰宅中もスマートフォンに届く興味津々な質問たちに、あの時うっかり相談してしまった自分を激しく後悔した。
 きっと人の気も知らないで、脳天気に楽しんでいる。うっかり言いふらしたりしないようにと釘をさしておいたが不安は残る。
 恋愛感情なんて、あるわけがない。
 翠も主、というより男相手とは思えない言動を取ることもあるが、すべて「使命」のためだ。忠誠心あふれた姿を見れば絶対わかってくれるのに、言えないのがもどかしい。

『さっき言ってた仲良くってどれだけです? 一緒に遊んだりとか?』
『遊ぶっていうか、なんて言ったらいいのか』
『はっきりしないですね~。なんか、具体的な行動とかされてないんですか?』
『具体的ってなんだよ?』
『自分だけにやたら優しいとか、笑いかけてくれるとか、触ってくるとか、いろいろありますよ』
『……ないよ。多分』
『絶対多分のとこ大事ですって! ほんとにないんですか?』

 本当は、ある。
 正面から、背後から、抱きしめられた。それは翠の持つ力を分け与えるため。
 よく笑いかけてくれる。それは彼の仕事ぶりを褒めたりした時限定だ。
 ヒーリングをした時は……うっかり、股間付近をなぞられて反応してしまったために、処理を手伝わせて、しまった。
『文秋さん……』
 耳元で、翠の心地いい低音がよみがえった。思わず両耳を塞ぐと、全身を包む腕の強さとかすかな香り、撫でる手のひらの優しさまでもが次々と呼び覚まされていく。
 久しくされていない行為だから、記憶も感覚も薄れていくのが普通じゃないのか。なのに……どうして、こんなに鮮明なんだ。
『怖がらないで……私に、ただ身を預けてください……』
 台詞までが、リアルに耳元をくすぐる。呼応するように、中心を撫でる手のひらを思い出してしまう。止めようにも止められない。
「いや、だ……」
『大丈夫……ここにいるのは私だけです。怖がらないでください』
 幻聴まで聞こえてきた。体温が上昇して、思考の動きが鈍くなっていく。見慣れたタイル状の壁もどこか霞んでいる。
 耳の覆いを外した両手が向かう先は、中心だった。包み込んで、生まれた甘い熱に背中が震える。
 無心になって、翠の動きをなぞろうとしてしまう。普段以上に刺激が強いのは、そのせいなのか。
「っあ、はぁ……っ」
 声が反響して、鼓膜を否応なしに攻める。羞恥心もあるのに、手の中のものはさらに大きさを増していく。
 翠の声が、手つきが、離れない。
 両手の動きを、止められない。
「す、い……っ」
 名前をつぶやくと同時に、湯の中で熱が吐き出されたのを感じた。徐々に正常を取り戻していく思考回路が、詮を抜くようにと命令を送る。
 湯が、穴に吸い込まれていく。すべてをなかったことにするように、したいという願いを叶えるように。
 ……叶うわけがない。
 記憶喪失にでもならない限り、この残像は脳裏にこびりついたまま、離れる気配は訪れそうにない。
 見えない柵で、周りを少しずつ囲まれている気分だった。


「……あれ、藍くんは?」
 簡単に風呂掃除も終えて戻ると、リビングには翠の姿しかなかった。
「天谷様に仕事の相談を持ちかけられたようで、一旦帰りました」
 よりにもよって、こんな時にいなくなるとはタイミングが悪すぎる。
「あ、ありがとう……」
 水を飲もうと思っていたら、翠がコップを差し出してくれた。思考を読まれたのかと一瞬焦ってしまう。
「ずいぶんと長風呂でいらっしゃったので……具合を悪くされたのではないかと、心配で様子を伺いに行くところでした。何事もなくて安心いたしました」
 内心で深い溜め息をつく。あんな姿を見られでもしたら、一ヶ月は家に帰りたくない。
 ふと、静寂が降りかかった。翠に、いつも以上に見つめられている気がして落ち着かない。多分自意識過剰だ。
 コップを翠に渡して、髪を乾かしに再度洗面台に向かう。普段ならテレビを観るなりして少し落ち着いてから行うのに、聡い翠は違和感を覚えたのかもしれない。
「な、なんでついてくるんだよ?」
「文秋さん。今日は、私にさせてくださいませんか?」
 まさかの申し出だった。そんな照れくさいことを許可するはずがない。
「今日だけ、お願いします」
 切実な声と縋る瞳を向けられて、完全に反論を詰まらせてしまう。ずるい。卑怯だ。
「……ドライヤーの風、大丈夫なのか」
「短時間でしたら、問題ございません」
「……今日だけ、だからな」
 安堵と歓喜を混ぜた笑顔でドライヤーを手に取る。
 他人に髪の毛を乾かしてもらうなんて、小さい頃以来だった。髪型に気を遣うようになった大学生までは、自然乾燥が当たり前だった。
 頭をくまなく撫ぜる動きに眠気を誘発される。他人に乾かしてもらうのは、予想以上の気持ちよさを生み出すらしい。
 鏡越しに盗み見た翠は、とても穏やかで満ち足りた表情を浮かべていた。この時間を、とても堪能している。
 いつしか、自分も同じ心地だった。こんな空気は、藍が来てから久しくなかった。
「文秋さんの髪の毛は、柔らかいですね」
 温風を止めて、櫛で丁寧に梳かしていく。
「まあね。だからワックス使わないとすぐ崩れちゃうんだよ」
 髪を下ろすと歳より若く見られがちなのも理由だった。
「翠の髪も柔らかそうだよな」
 振り返り、訝しげな翠の頭に手を伸ばす。ストレートで艶のある黒髪は、いつでも完璧に整っている。
「うわ、さらさら」
 ひと房摘まんでみたり、軽く撫でたりしてみる。翠は風呂にも入らないが、そうと信じられないほど、世の女性たちの嫉妬が集結しそうな手触りだった。
「……あ、悪い。髪、乾かしてくれてありがとう」
 呆然と見つめる翠の視線に我に返り、そっと手を引っ込めた。気持ち悪く思われて当然な行為をしてしまった。
 最後の蛇足はともかく、予想以上のリフレッシュ効果だった。先程の風呂場での醜態も忘れられそうだ。
「……せっかく、これで我慢しようと、思いましたのに」
 ついでに歯磨きもしてしまおうと鏡に向き直ったと同時、そんな言葉が背後から聞こえた。
 聞き返そうとした声は、途中で短い悲鳴に変わる。
「な、なんだよ。今は、力を使う必要ないだろ?」
 翠の表情は肩口に押しつけられていて、見えない。
 当たり前の突っ込みでもしないと、心音の強さが伝わってしまいそうで怖かった。背中から回された腕を振りほどきたいのに、敵わない。
「文秋さんのご意思に背いた願望であることを承知で、申し上げます」
 悲痛ささえ感じる、必死に絞り出したような声が、首筋までをもくすぐる。
「藍に構わず、どうかまた私をお連れください」
 さらに、引き寄せられた。口からこぼれる吐息はただ、あつい。
「文秋さんが私をお迎えしてくださってから、持てる力のすべてでお護りしたいと、一番のパートナーでありたいと、願ってきました。だからこそ、それが叶わない今が本当に辛くてたまらない……」
 声が震えている。心臓まで締めつけられているような心地だ。
「私は確かに、文秋さんに入れ込みすぎなのでしょう。……藍が気にかけるのも、無理はありません」
 特別な理由が、あるというのか。だが、問いかける余裕はない。
 ないはずのぬくもりが伝わってくる気がするのは、自らの熱のせい?
 苦しい。でも、いやじゃ、ない。
「でも……もう、無理です。もう、私は……」
 言葉を連ねるたびに唇が擦れて、風呂場での自慰を思い出してしまう。否応なしに熱が高まっていく。
 必死に拳を握りしめて、湧き上がる高揚感を抑える。口を開いたら、どんなものがこぼれるかわからない。
 抱擁が解かれた隙に逃れようと後ずさって、失敗した。背中に当たる壁は、何度力を込めてもびくともしない。当たり前なのに、繰り返してしまう。
 正面に立った翠は、両脇に手をついて逃げ場を封じた。
 強く輝くエメラルドに、囚われる。
「お願いです。またお側にいさせてください。文秋さんを護る、たったひとつのパワーストーンでいさせてください」
 触れて、しまう。
 息がかかって、口の中に入り込んで、唇が……重なって、しまう。
「もー、やっと戻ってこれたー!」
 反射的に、目の前の身体を突き飛ばしてしまった。操られたようにトイレに逃げ込む。
「兄さん、こんなところで座り込んでどうしたの?」
「いや、ちょっと探しものをしてただけだ。もう見つかった」
 完全に遠ざかった気配に、ようやくまともに息を吸えた。

 誤魔化せない。
 明らかに、自分は期待していた。あのまま唇が触れればいいのにと、願う心があった。
 そう願う理由は……目を逸らしても、逸らしきれない。

 あんな、異性相手にするような行為でたたみかけてくるなんて、ずるい。
 おかげで、自覚してしまった。後藤の思惑通りに、なってしまった。

 すべてを遮断するように目を固く閉じても、うるさい心音や先程の光景がよみがえるだけだった。ベッドに横たわっても変わらない。
 今だけ、エメラルド部分を握りしめて眠りにつきたい。
 翠が実体化してなければいいのにと、つい願ってしまいたくなった。

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(画像省略)「先輩、もしかしてもしかすると、彼女ができたんじゃないですか?」「は…

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

#R18

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

第4話 軽く #R18

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「先輩、もしかしてもしかすると、彼女ができたんじゃないですか?」
「は?」
「だって、やっとブレスレットしてきたと思ったら今日はしてないし。だから『私とブレスレット、どっちが大事なの!』って日夜痴話喧嘩を」
「違う! お前のその妄想力はどこから出てくるんだよ!」
 二人だけで残業に勤しんでいるから、現実味のない妄想など生まれてきてしまうんだ。早いところキリのいい部分まで終わらせないと、翠にも無駄に心配をかけてしまう。
 日曜日に、あるルールを設けたいと提案した。
 平日のうち、一日は休息日、いわゆる浄化メインの日を作ること。
 翠は予想通りの反論をしてきたが、もちろん想定済み。あらかじめ購入していたスマートフォンをプレゼントして、互いに連絡し合う案も付け足した。
 これはかなりの威力を発揮したようで、まるで宝物を扱うような手つきで端末を眺めていた翠だった――が、まだ粘られてしまった。
 困り果てた末に取った手段は、「情に訴える」というシンプルながら強力な方法。
『俺だって、ブレスレットがないのは心許ないよ。でも、まだ俺は翠の力をちゃんと把握できてないから、余計に心配なんだ。俺を助けると思って、頼むから聞き入れてほしい』
 端末ごと両手で包み込んで頭を下げると、翠はほぼ反射的に案を受け入れることを了承してくれた。


(全くの嘘じゃないけど、利用したみたいで良心は痛むよな)
 改札を抜けて、足早に駅の出口へと向かう。週の中日はどうしても疲れが溜まるから、早く帰ってベッドにダイブしたい。
 スラックスのポケットから振動が伝わった。画面を確認して、返事の早さにびっくりする。電車を降りる前に連絡を入れたばかりだった。
『お仕事本当にお疲れ様でこざいます! 首を長くしてお待ちしております。何かありましたらすぐにご連絡くださいね』
 やっぱり親みたいだ。
 胸の辺りがほのかに温かい。気を抜くと口の端が持ち上がってしまいそうになる。
「お帰りなさいませ! 鞄、お持ちしますね」
 出迎えてくれた翠が忠犬のようにも見えてきた。鞄を持ってリビングに向かう後ろ姿は、尻尾を激しく振りながらおもちゃを咥えて駆け出しているようだ。
「……え、何か、やけに豪華じゃない?」
 すっかり翠の手料理が落ち着いた夕食だが、今日はまるで地元に愛される定食屋のような、シンプルな盛り付けながら食欲をそそる洋食の数々だった。品数が少ないのにそう見えるのは、翠の盛り付け方がうまいのだと何となく理解できる。
「はい! 残業でお疲れの文秋さんのために、腕によりをかけました。先日、ご迷惑をおかけしたお詫びも兼ねております」
 翠は苦笑を浮かべる。割合としては後者のほうが多そうに見える。あの三日間のことは、よほど悔しかったのだろう。
「……ありがとう」
 ただ礼だけを告げると、翠は口元を綻ばせた。


 思えば、誰かとテーブルを囲んで食事をするのは、年末年始に実家に帰って以来だった。
 作ってもらった料理を食べながら、会話を楽しむ。残業終わりだからこそ、のんびりとしたこの空間が贅沢に感じる。
 翠が一生懸命に話を聞いてくれるのも何だかんだで嬉しい。つい、次から次へと言葉が出てきてしまう。
「後藤様と残業でいらしたのですね」
「明後日までにまとめないといけない資料があってさ。ある程度まで目処はついたから、何とかなりそうだよ」
「月曜日に、課長の大田様からご依頼されていた件ですね。文秋さんが関わっておられるプロジェクトとは別件でございました」
「そう……って、翠まで把握してなくていいって」
「何を仰いますか! 従者として、仕事面でもご助力できるようにしておかなければ」
「本当に、いいんだよ」
 仕事中、やけにおとなしかった理由がようやくわかった。つくづく、自らの使命に対して常に全力な男だ。
 だが、翠に求めている範囲ではない。箸を置いて、改めて向き直る。
「職場だと、ずっと気を張ってないといけないだろ?」
「え、ええ……。確かに、文秋さんの神経は緊張に包まれておりますね」
「最近忙しいのが続いてるから余計にだと思うけど、そんな状態だからこそ家ではリラックスしてたいんだよ」
 言わんとしていることを、翠も把握してきたらしい。二つのエメラルドが大きくなって、自分を照らしている。
「癒やしって役割はお前にしか務められないんだから、それで俺を助けてほしい。もちろん、無理は厳禁だからな」
 翠はぶるぶると全身を震わせると、立ち上がって深く頭を垂れた。相変わらず大げさな反応に口元が緩む。
 癒やしてほしい、だなんて言葉が自然と言えてしまうのも、彼の持つ力の影響なのかもしれない。だが、悪い気はしなかった。
「しかし、文秋さんと特に関わりがある方のお名前や人となりはある程度把握しておきたいと思います」
「え、なんで?」
 顔を上げた翠の笑みが一層深まったが、なぜか背中の辺りに冷たいものを流された気分に襲われたので追求は避けておいた。


「文秋さん。よろしければ、ヒーリングなどいかがでしょう?」
 風呂から上がると、キッチンもリビングのテーブルも綺麗に片付いていた。翠の機嫌も元通りだった。
「ヒーリング?」
「ご説明するより、こちらのページを見ていただいたほうがわかりやすいかもしれません」
 渡されたスマホを受け取る。早速使いこなしているようだ。
「……ああ、天谷さんからちらっと聞いたことがあるかも」
 チャクラというエネルギーの溜まり場みたいな箇所が、上半身の中心を走るように七つ――尾骨、下腹部、へその辺り、胸、喉、眉間、頭頂――ある。チャクラを象徴するカラーもそれぞれ決まっており、例えば緑ならば胸、青ならば喉となる。
 それらの色と同色の石を置いて仰向けにゆったりと寝そべり、石の力で弱ったエネルギーを回復するのがヒーリングというものだ。
「石が揃ってないけど、できるって?」
「問題ございません。私が立派に務めてみせます」
 やけに自信たっぷりなのが逆に気にかかる。
「……もしかして、結構力を使うんじゃ? 石が七ついるのに問題ないって」
「一晩、水晶と月光浴で浄化していただければ回復します」
「ってことは結構消費するんじゃないか!」
「文秋さん。先ほど仰っていただいたことをもうお忘れですか?」
 翠は笑みを深める。嫌な予感も深まる。
「私は癒やしのエメラルドだから、その方面でもっと助力してほしいと」
 自らの言葉で首を絞められる時が、こんな最速でやって来るとは思わなかった。
「それに、嘘は申しておりません。一晩の浄化で充分に回復するのは本当です」
「いかにエメラルドの精製が重労働だったのかがわかるなぁ」
 半目でつぶやくと、翠はわざとらしく咳払いをした。パワーストーンの化身なのに、仕草はどんどん人間に近づいていく。
 就寝の支度を整えて、念のためブレスレットも水晶の上にスタンバイしてからベッドに仰向けになる。いつもはTシャツにトランクスの格好で寝るのだが、今日はハーフパンツを身につけておいた。
 間接照明を背にした翠が、こちらをまっすぐに見下ろす。いつもの柔らかさは鳴りを潜めていた。森の中で寝そべり、ぽっかり空いた空間から夜空を眺めているような気分に包まれる。
「文秋さん、ゆっくり目を閉じてください」
 意識せずとも、瞼が下りた。
 変に緊張が始まってしまう。様子がわからないとこんなに不安になるとは。
 瞬間、身体がぴくりと跳ねた。
 無機質な感触が、股間に近い下腹部から伝わってくる。しかしそれも一瞬で、染み渡るようなぬるい熱に変わる。
「ひ、ぁ……す、翠!」
「お静かに」
 下腹部からへそ、胸の中心へと、翠の手のひらが優しく緩く撫で上げ、熱を与えていく。全身が宙に浮かんだような爽快な気分と、神経の糸が一本でも途切れたら眠りに落ちてしまいそうな緊張感が同居している。
 確かに気持ちいい。いい、のだが。
 くすぐったいだけではない。変な声が漏れてしまう、表現しきれない感触が走っている。
 翠の手は頭頂までたどり着くと、再び下降していく。少し乱れた吐息を吐き出したと同時に指先が通過して、唇を掠めた。
「んっ……」
 短く、息を吸う音が聞こえた気がした。
 止まった指先は、円を描くように全体をなぞる。これも、ヒーリングの儀式なのか?
 謎を残したまま喉と胸を通過し……へそをなぞり、先へと進む。
「あ、ぁ……」
 だめだ、声を我慢できない。下腹部がこんなに弱いとは思わなかった。自ら生み出した熱が中心に集まるのを、いやでも実感してしまう。理性とは裏腹に、かき集めようとしてしまう。
「……文秋さん、終わりました」
 声をかけられても、視界を何とか確保するしかできなかった。気だるくて、うまく四肢を動かせない。
 濃い青と薄い橙の混ざった空間に、翠の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。また余計な心配をかけてしまうと焦るのに、言うことを聞かない。
「文秋さん、大丈夫ですか? もしかしてご気分が優れないとか」
 首を振ると、少しだけ意識が戻った。上半身を懸命に持ち上げる。
 短くも誤魔化しようのない悲鳴が、唇からこぼれてしまった。反射的に腰を引いてしまったのが決定打になる。
 反応している。下着とハーフパンツを窮屈そうに押し上げて、先端を緩く擦りつけている。
 同性相手、しかも性とは全く関係ない行為でこんな反応を示してしまうなんて思いもしなかった。確かにご無沙汰だったが、ここまで見境がないなんて泣きたくなってくる。
「翠、ありがと。すごくよかった。ちょっと、トイレ行ってくるから」
 おざなりな礼になってしまったのを心の中で詫びながらベッドから降りる。この気だるささえなくしてしまえば、ヒーリングの効果を実感できるはずだ。
「お待ちください」
 左腕を捕らわれた。強制的に向かい合わせにされた先の翠は、無駄な真顔で見下ろしている。恐怖さえ感じる。
「っま、てって!」
 腰を引き寄せられ、懸命に足掻いてもさらに力を込められる。早鐘を打つ心臓も、熱が暴走を始めている中心も、翠と触れ合ってしまう。
 彼が知らないことを祈るしかなかった。それならばまだ、うまく逃げるチャンスは残っている。
「……こちらも、私にお任せを」
 囁かれた言葉の意味が、理解できない。
 ハーフパンツの中に滑り込んだものが下着越しに自らの昂ぶりを撫で上げた瞬間、ようやくスイッチが入った。
「や、めろって……翠……!」
 拒否とは裏腹に、翠の手つきに敏感になっていくのがわかる。さらに求めてしまう。
 翠の吐息だけが首筋を何度もなぞっていく。そんな、ほんのわずかな刺激にさえ背筋を震わせて、抵抗する力をますます失っていく。
「怖がらないで……私に、ただ身を預けてください……」
 もはや暗示のようだった。直接触れられているのに、口から漏れるのは吐息混じりのか細い声だけ。翠に全身を預けて、初めての甘すぎる痺れに酔いしれていた。
「も、だめ……い、きたい……」
「ください。あなたのすべてを、私に……」
 囁きが終わると同時に、自らを擦り上げる力が一層強まった。
 全身が引きつり、頭の中が真っ白になる。確かに抜けていく熱と同時に詰まっていた息を吐き出しながら、急速に弱まる意識を他人事のように感じていた。

  + + + +

 昨夜の記憶は曖昧でいたかった。
 ヒーリングをしてもらうためにベッドに仰向けになったところから先は、蜃気楼のように揺らめいたまま、形をなさないでいてほしかった。
 翠はいつも通り、決まった時間に起こしてくれて、朝食の用意も完璧だった。一晩浄化すれば大丈夫、という言葉が本当だったのがわかる。身体も残業だったのが嘘のように軽く、心身ともに爽快感であふれている。
 ……どうして、何事もなかったように翠は振る舞えるんだろう。
 今も、おとなしく姿を消していられるんだろう。
 あくまで、「仕事」の一環だというのか。あんなのも、仕事?
 おかげで問い詰めるきっかけも掴めず、飲み込めも吐き出しもできない塊が喉の奥につかえて、取れないでいる。


「先輩、ぼーっとしてますけど大丈夫っすか? 昨日の残業疲れが残ってます?」
「いや、大丈夫だよ。後藤こそ疲れてるんじゃない?」
「まだ余裕ですよ~。先輩より家近いですしね。余裕で日が変わる前に寝れました」
 休憩所、もとい喫煙所の先客だった後藤と鉢合わせて、やっぱり突っ込まれてしまった。
 昨日残業をしておいて本当によかった。後藤が手際よく作業してくれたのもあって、業務時間内に完成できそうだ。ブラックの缶コーヒーに口をつけて、残りすべてを喉に流し込む。
 ブレスレットは、今は机の引き出しにしまってある。どうしても離れた時間がほしかった。翠も珍しくわがままを言ってこなかったので、気持ちを汲んでくれたのかもしれない。
 それならいっそ、正直に内心を吐露してもらいたい気持ちもあるのだが。
「……あのさ。ちょっと変な質問してもいい?」
 後藤は人懐こい丸い瞳をさらに丸くした。
「先輩が質問なんて珍しいっすね。もちろん、オレでよければ」
 若干、いやだいぶ後悔が押し寄せてきた。だが、今さら取り消しもできない。
 空になった缶をぐぐぐと握りしめて、懸命に声を絞り出す。
「……うっかり」
「うっかり?」
「うっかり、男に股間触られたら、やっぱ気持ち悪いよな?」
 確実に、時が止まった。
 やっぱり引かれた。いくら大らかな後藤でも、さすがに無理な内容だったんだ。自分に置き換えたらどう思う? 真剣に考えようにもふさわしい返答が見つからないし、笑い飛ばしても失礼な気がするし、処理に困るじゃないか。
「わ、悪い! やっぱ俺疲れてるな。忘れて」
「それって、痴漢でもされたってことですか?」
 後藤は、真剣な声と顔で告げてきた。
「い、いや、そう、なのかな……?」
「今は男も女も関係ないって言いますからね。電車の中でされたんでしょうけど、次はちゃんと駅員に突き出したほうがいいですよ」
 ここぞというところで男前を発揮する後藤が、やけにまぶしく見える。
 答えはずれている。それでも、冗談に受け取らず真面目に考えてくれたことがとても嬉しかった。
「……ありがとう、後藤。変な質問したのに、本当に、ありがとう」
「いいえ。っていうか、オレから見ても先輩って可愛いなーとか思うことあるし、そういうことがあってもおかしくないって、実は思ってました」
 感謝の気持ちが、急速に萎んでいく。
 ほんのわずか上にある瞳を睨みつけると、首を思いきり左右に振り返された。
「あ、誤解しないでくださいね! オレそういう気は全然ないんです。ないんですけど、そう見える時があるんだから仕方ないじゃないっすか」
「……感謝して損した」
「す、すいませんって! でもさっき言ったことはほんとですから! だって男女関係なく、痴漢されたら気持ち悪いのは当たり前でしょ?」

 後藤は、またも正しい意見をくれた。
 気持ち悪いと、思うのだ。……「普通」は。

「……あの、先輩。実はオレも、ちょっと訊きたいことが」
 聞いたことのない着信音が鳴り響いた。ポケットからスマホを取り出した後藤に軽く頭を下げて、重量のある扉を開ける。

 何が一番問題なのか?
 それは、「普通」の感情が一切、浮かんでいないことだった。

  + + + +

 酒は敢えてあまり飲まないようにしているのだが、飲み会の雰囲気はわりと好きだ。
 緊張を解いて各々が盛り上がっている姿を見るのが楽しく、微笑ましい。
「浅黄先輩! ちゃんと飲んでます?」
 隣に腰掛けてきた、飲み会企画者の後藤が晴れやかな笑顔を向けてくる。課長に提出した資料が無事通ったのも関係していそうだ。
「飲んでるよ。俺はのんびりやってるから、みんなと盛り上がってきなさい」
「またまた、遠慮しちゃってー。ま、でも先輩はそういう楽しみ方する人ですもんね」
「さっきまで俺巻き込んでわいわいやってたくせによく言うよ」
 頭の中で、感心したように唸る翠の声が聞こえる。一体何を参考にしているのやら。
 あの夜のことは、もう気にしないことにした。気持ちよかったのも、ヒーリングのせいだったと考えればむしろ自然だ。
 念のため天谷に、化身が行うヒーリングについての質問を送っておいた。翠の言葉を疑うわけではなかったが、どれだけの力を消費するのか、ある程度の把握だけでもしておきたかった。
「急に企画したからあんまり集まれなかったのが悔やまれますかね~」
「それでも俺たち入れて十人いるんだろ? 充分だよ」
 後藤はおそらく、自分のために飲み会を開催してくれた。その気持ちだけでもありがたいのに、これだけの人数が集まってくれた人徳にも感謝だ。
 同期に呼ばれた後藤は、再び一番賑わっている男女の輪に紛れていった。
『後藤様は、本当に文秋さんをよく理解しておられますね』
 頭の中にマイクでも埋め込まれたような、翠の声が響き渡る感覚はまだ慣れない。
『いっそのこと、後藤様とお知り合いになれれば私もいろいろと勉強になりそうなのですが……』
「馬鹿、どうやってお前のことを説明するんだよ」
 思わず小声で突っ込んでしまった。
『普通に文秋さんの忠実な従者としてご紹介いただければ構いませんとも』
「それだと俺がかまうの! 全く、しょうがないな相変わらず」
「何がしょうがないんですか?」
 いつの間にか、隣に見慣れない女性が座っていた。他部署の子だろうか?
「い、いや、なんでもないよ。ええと……」
高野涼香(たかのすずか)って言います。部署は違うんですけど、浅黄さんとよくいる後藤くんと同期なんです。こうやってたまに集まったりしてるんですよ」
 容姿も声音も、可愛いという言葉が一番似合う子だった。彼氏がいなければ、水面下では男性社員の凄絶な奪い合いが繰り広げられているに違いない。
「ああ、もしかして後藤待ち?」
「いえ、浅黄さんと一度お話してみたかったなって思って……ご迷惑じゃないですか?」
「いや、そんなことないよ。ありがとう」
 高野の笑顔が一層輝く。酒のせいもあるだろうが頬も薄く色づいて、より可憐さが増している。そんなに喜んでもらえて予想外だが、悪い気はしない。
「後藤くんが、浅黄さんのお話をよく聞かせてくれるんです。優しくて、いい意味で先輩っぽくなくて話しやすいって」
「先輩っぽくないか。それ、俺も最近気にしてるんだよ。威厳なさすぎじゃないかって」
「そんなことないですよ! すごくお話しやすくて、私はむしろ嬉しいです」
 気のせいか、やけに距離が近い。もう数センチも近づかれたら、左腕に彼女の胸が当たってしまう。さりげなく座り直しても、また詰められた。
「後藤くんが、浅黄さん結構人気あるって言ってたんですけど、なんとなくわかります。隣にいるとほっとしますし、笑顔も素敵です」
「褒めすぎだよ。人気あるのは後藤のほうじゃない? 結構いいやつだろ?」
「確かにいい人ですけど、なんていうか……気の合う友達って感じです。本人はよく彼女ほしい! って言ってますけどね」
「それ、俺にもよく言ってる。もうちょっと落ち着けばできるんじゃないか? って言ったら無理だって即答されたよ」
 控えめに高野は笑う。
 どうにも居心地が悪いと言うか、初対面なのにやっぱり距離が近い。どう切り抜けようか、鈍った頭に発破をかける。
「……あの、浅黄さんは、付き合っている方とかいるんですか?」
 こちらを見上げる双眸は、酒のせいか微妙に潤んでいる。丁寧に整えられたまつ毛が細かく震えていた。
「いや、そういう人は特にいないよ」
「そうなんですね! よかったぁ」
 どうにか、声を上げるのだけは堪えられた。
 テーブルの下で、彼女の手が太ももに触れている。
 これは、いくら鈍いと言われる自分でも意図がわかった。わかったが、あまり経験のない事態なのでどう切り抜ければいいのかわからない。度数の低いカクテルを無駄に体内へと流し込むと、小さな笑い声が聞こえた。ますます頭に熱が集中していく。

「失礼、いたします」

 不意に伸びた第三者の黒い腕が、高野の手を持ち上げる。
 短い悲鳴が、騒いでいた後藤たちの空気も変えた。

「……あ、大変申し訳ございませんお嬢様。彼が、私の主人とよく似ておられたゆえ、人違いをしてしまいました」

 ただ、硬直するしかできなかった。
 優雅に頭を垂れて持ち上げる動作を、黙って見つめるのが精一杯だった。
 翠は襖を閉めて、おそらくすぐにある突き当たりの角まで進み、曲がった瞬間に消えた。店の出入口付近は居酒屋らしくオープンな空間だが、このエリアは個室が多い。それが幸いした。
 呆然としていた高野は、駆け寄ってきた他の女性たちに囲まれた途端に我を取り戻した。芸能人を前にした一般人のように、甲高い声で盛り上がっている。
 自分の周りにも、テンションの上がった男共がやってきた。
「いやーびっくりしましたね浅黄さん! あんな執事みたいな人、実際にいるんですねぇ」
「俺コスプレだと思ったよ」
「いや、動きとかマジっぽかったじゃん?」
 もう、笑うしかできない。笑って、迂闊な言動を取らないよう己を守るしかなかった。
「……浅黄先輩」
 隣に近づいてきた後藤は、周りの空気とは真逆の表情をしていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。いやーほんとびっくりしたよ。撮影でもしてるのかって」
 後藤は乗ってこなかった。何かを探すように、視線を右往左往させている。
 とりあえず、飲み会を締めることにした。二次会に誘われたが当然お断りして足早に帰路につく。
 最寄り駅から、敢えていつもとは違う人気のない道を選んだ。こんな気分でまっすぐ家に向かうなど、とてもできない。
「……本当に、申し訳ございませんでした」
 内心を察知したように、翠が姿を現した。すでに頭は深く下げられている。
「文秋さんがひどく困惑されていると思ったら……どうしても、我慢できずに」
「確かに、困ってたよ。ああいう露骨なことされたのは初めてだし」
 多分、と心の中で付け足したのは、告白されてから初めて好意に気づくパターンが多かったからだ。
『あんなにわかりやすい態度だったのに気づかなかったのか』
 友人から、どれだけそう突っ込まれてきただろう。
「でも、あんなとこでいきなり出てくるのはないだろ。俺がどれだけ焦ったかわかるか?」
 少しずつ声が荒くなっていく。翠も深く反省しているようだしいいじゃないか、場所を考えろと理性の残る部分が訴えるのに、跳ね除けてしまう。
「俺だってガキじゃない、何とか切り抜けようとしてたんだ。仕事熱心なのは結構だけど、あんなことまで助けなくていいんだよ!」
 翠はわずかに眉根を寄せて、ただ自分を見つめている。いつもより煌めきの低いエメラルドは、まるで哀れみを向けられているように感じた。
 腹の底から煮えたぎった塊が押し寄せる。ヒーリング中のあの行為といい、度が過ぎているのは気のせいだろうか。
「……文秋、さん。私は、私は……」
 その先を、封じてしまった。催促しても、閉ざした唇を噛みしめるだけだ。
 翠という存在に、ここまで振り回されるなんて堪らない。忠誠心が高いのは結構だが、そんな理由だけで自分のペースを大きく乱さないでほしい。これ以上侵食しないでほしい。言えるほどの言い訳があるなら聞かせてもらいたいぐらいだ。
 ふと、ポケットの中のスマートフォンが震えた。通知欄には天谷の名前が表示されている。
 思わぬ救世主に内容を確認すると、メッセージの主は彼女ではなく藍だった。
「……藍くんが、明日の朝に話があるんだって」
 追記にある、天谷の「本当にごめんなさい」の一文が目に留まったが、今はそれ以上気にかけることはできなかった。

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(画像省略) 物心ついた時から、心動かされる相手はいつも同性だった。 だから恋を…

夜の太陽はさかさまで輝く

#R18

夜の太陽はさかさまで輝く

第5話:過去の話(朔俊哉視点) #R18

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 物心ついた時から、心動かされる相手はいつも同性だった。
 だから恋をしても基本叶わないものと割り切っていたし、実際その通りだった。
 想いを押し込める技だけは得意だった。少しでも気を緩めて吐露してしまえば、間違いなくつながっていた縁は切れる。
 それが何よりも、怖かった。


「俊哉、祝え。俺は今度、ついに結婚するぞ!」
「……改まって飲みに誘ってきたのは、それが理由か」
「いいじゃねーかよ。一番世話になってるお前に、最初に報告したかったんだからよ」
 仲野洋輔(なかのようすけ)は子どものように唇を尖らせる。思わず苦笑しながらも、祝辞の代わりにビールの注がれたジョッキをコンと当てた。個室ありの居酒屋を選んだ理由もそれだろう。
 洋輔は新卒で入社してから持ち前の明るさと人懐こさで横のつながりを築いていたが、一番気を許してくれているのか、昼食や会社帰りの飲みによく誘われ、他愛ない話から深い話まで交わしてきた。
 もちろん、自分も同様だった。他に谷川という同僚とも仲はいいが、洋輔の隣が一番落ち着く。恋情を抱くのに、時間もかからなかった。
「それって、前から付き合ってたっていう彼女?」
「そうそう。結婚したーいって言いまくられて、折れたってのもあるんだけど」
 苦笑しながらも、もともと柔和な瞳はさらに柔らかくなる。
 二年ほど前に合コンで知り合い、意気投合して付き合うことになったと聞いたのが最初だった。洋輔に負けず劣らずの明るさをもっていて飽きないばかりか、ほしいと思った時にすかさず手を差し伸べてくれるような、まさに完璧な女性らしい。
「あ、何だよその苦い顔。あれか、リア充爆発しろってやつか」
「違うって」
 つい表に出してしまっていたらしい。自ら望んで「友人」の籠にこもっているのに、想う気持ちというのは時々、恐ろしい。
「結婚式は今んとこしない予定なんだけどさ、祝いの品くれ! 金くれ!」
「金目当てだろ結局!」

 結局、同じ展開を繰り返す。
 それでも、慣れていた。また時間をかけて、想いを昇華していけばいい。
 この想いに関係なく、洋輔が大事な人であることに違いはない。親友だって、そうそう手に入るポジションじゃない。互いに笑い合えるだけで幸せじゃないか。
 今までと変わらないレールをただ進んでいた。進んでいると、思っていた。

  * * * *

「……なあ」
 缶コーヒーを片手に喫煙所の前を通り過ぎようとした時、中から谷川に呼び止められた。
 足を止めると、周りの様子を伺いながら中に引き入れてくる。
「どうしたんだ?」
「あのさ。お前、仲野と仲いいだろ?」
 その名前に、手から力が抜けた。一瞬の鋭い痛みで我を取り戻し、慌てて屈む。
「おい、大丈夫かよ?」
「ご、ごめん。大丈夫。……その、洋輔がどうかしたのか?」
「いや、あいつ最近変じゃない? って思って」
 すぐに答えられなかった隙を谷川は見逃してくれなかった。煙を吐き出してから向けてきた視線は、探るように鋭い。
「こう……違和感があるというか。俺、今あいつとチーム組んでるからわかるんだよ。仕事も、前は絶対にしなかったようなミスをするようになってるし」
 どううまく切り抜けるか。そればかりが脳裏をぐるぐると回って、目眩を起こしそうになる。
「リーダーが本人に直接面談してみたらしいんだけど、何も答えてくれなかったんだって。まあ、あいつって意外と溜め込むタイプだからなぁ……」
「だから、俺が何か知ってるかって、思ったの」
「そう。知ってる?」
 確信と、逃避を許さない声音で問われる。せめて逸らさないようにと首に力を入れても、まっすぐな視線につい下を向いてしまう。
 明らかな劣勢を救ったのは、ポケットにあるスマートフォンだった。
「……ごめん、電話だ」
 逃げるように喫煙所を出る。非常口のある階段まで足早に進み、画面を見て喉を引きつらせる。
 ……無視は、できない。震える指で画面をスワイプした。
「出るまで時間、かかったな?」
 感情の抜け落ちた声だった。とっさに、人に呼び止められていたと微妙な嘘をつく。
「今から第二資料室。来れるよな?」
 頷きたくないのに、頷くしかできない。声を絞り出そうとした瞬間、決まり文句が続いた。
「来ないと、今すぐ自殺してやる」

  + + + +

 籍を入れたという報告を笑顔とともに告げられて、三ヶ月が経過しただろうか。
「洋輔……なんか、元気ない?」
「ん、そんなことないって。ほら、結婚するとどうしたって環境変わるって言うだろ?」
 結婚前から関わっていた長期のプロジェクトが終盤に近づき、多忙な洋輔を昼に誘った。自分も別の仕事を任されたばかりで、揃って昼休憩を取るのは久しぶりだった。
 結婚の二文字は口にしていないのにそう返してきた違和感を覚えつつ、当たり障りのない相槌をうつ。
「奥さんは元気?」
「まあ、ね。仕事やめて、家事頑張ってくれてるよ」
 今時、子供もいないのに専業主婦とは珍しい。あるいは、これから授かる予定なのだろうか。

 この時の違和感を、もっと膨らませておくべきだった。
 もっと気にかけていれば、洋輔の性格を改めて認識しておけば、あの夜は訪れなかったと信じたい。


「……洋輔」
 久しぶりの定時退社後の時間を、自宅でのんびり過ごす。明日は土曜日だし、理想的で贅沢な時間の使い方だ。
 明日になったら、今日病欠だった洋輔に連絡でも入れてみよう。ここ数日、目にわかるほどやつれて見えたからむしろ休んでくれてほっとしている。
 そう考えていた矢先の、インターフォンだった。
「えと、大丈夫か? とにかく、中に入れよ」
 廊下の蛍光灯に照らされた洋輔はうつむいたまま、立ち尽くしていた。「癖毛だから毎朝セットが大変なんだ」と困ったように撫でていた茶色の髪の毛はドライヤーで適当に乾かしたように、乱雑に撥ねている。
 肌に感じる空気がずしんと重い。言葉には素直に従ったから、何かしらの目的はあるらしい。
 ……こんな、普段とは真逆の洋輔は初めてだった。かろうじて動いている機械のようだ。
「今日、珍しく休んでたから心配してたんだよ。ずっと疲れてたもんな」
 答えは未だ返ってこない。それどころか、リビングに入ったところで足を止めたまま、視線を床に固定している。
 説明できない気持ち悪さが胸元から広がっていく。どう動くか迷って、とりあえずテレビを消した。彼が好きなコーヒーでも用意してあげよう。
「……せろ」
 聞き間違いかと思った。
 だから足を止めただけで、何も答えようとはしなかった。
 洋輔が、動いた。逃げたいけれどできない身体を無遠慮に抱きしめてくる。
「抱かせろ。俊哉」
 理解できない。したくない。頭が思考を激しく拒否している。
 しっかりしろ。両足を踏ん張って、洋輔の腕の中から逃れた。
「コーヒー、淹れてやるからそこ座ってろ。話なら、ちゃんと聞くから」
「俺は本気だ!」
 急な叫び声に振り向いて、固まる。
 いつもは太陽のように輝いている洋輔の双眸は、すっかり曇っていた。いや、いびつな光を閉じ込めて、こちらを容赦なく照らしている。
 下まつげの裏にある、目と同じ大きさの黒い染みにひどく狼狽する。会社ではあんな痕、ひとつもなかった。
 ……もしかして、化粧でもして、誤魔化していた?
 エンジンがかかったように洋輔が近づき、すれ違う。彼はキッチンに向かい……あるものに、手を伸ばした。
「っ、ようすけ!」
「抱かせてくれないなら、ここで死んでやる」
 銀色の切っ先が自らの喉元をまっすぐ狙っている。よく見ると細かく震えていて、ほんの少しでも誤れば肌に食い込むくらいに近い。
 冗談と言えない。洋輔の目は本気で、妄執に支配されている。
 願いを押し通すまで、あの体勢を解かないつもりだ……!
「何が、あったんだよ? どうして、いきなりそんなこと言うんだよ」
 だとしても、おとなしく受け入れるつもりは毛頭ない。うまく話を引き出せれば、洋輔の抱えているものをわずかでもなくせれば……。
「お前、俺のこと好きなんだよな?」
 二度目の衝撃に耐えうる精神力は、なかった。
 引きつったような笑いをこぼして、洋輔は続けてくる。
「なんとなく、気づいてたぜ。お前が俺のこと、そういう目で見てるんだって。でも、言わなかった。俺は彼女がいたし、それを気遣ってお前も言わなかったんだろ? そうなんだよなぁ?」
 無意識に、首を振っていた。後ずさった瞬間、ダイニングチェアに右足をとられてしまう。
 立ち上がれない。洋輔を見る、気力もない。
「別に気持ち悪いなんて思ってなかったよ。むしろ今はありがたいね! そんなに一途に俺を好きでいてくれたんだって、嬉しくないわけないだろ!?」
 今までの努力が、硝子が崩れ落ちるように弾けて、ぱらぱらと散っていく。
 洋輔のためを想って取ってきた行動は何だったのだろう。積極的にむしろ出るべきだったのか。修復不可能なところまで行くべきだったのか。わからない。わかりたくない。
「お前の一途な愛がほしいよ……なあ、俊哉……?」
「……ざ、けるな」
 侮辱だ。中身のいっさい見えない「愛」を向けられた。
 拳を握りしめ、こみ上げる激情に喉を震わせる。
 頭を持ち上げると、どこぞの貴族のように片膝をつき、うつろな笑みで見下されていた。屈辱までも与えてくるなんて、いくら親友でも許せるはずがない!
「ふざけるな……何が、一途な愛だ! わかったような口を聞くなよ!」
 怯んだ瞬間を逃さず、包丁を奪い取って背後に転がす。シャツを掴み上げて揺さぶった。
「俺がどんな思いで耐えてきたと思ってるんだ! お前の幸せを邪魔したくないって、必死に気持ちを捨てようと、して……!」
 もう少しだった。どんなのろけ話を聞かされたとしても笑顔で、あるいは冗談を交えつつ聞けるだけの余裕を得られるはずだった。
「ああ、やっぱりお前は俺を愛してるんだな……」
 とても静かで、不気味さを感じさせる、声。
「今の……告白にしか聞こえなかったぞ?」
 全身が粟立った。掴んだ手を離そうとして、捕らわれる。
 やさしい笑顔だけがそこにはあった。期待をもたせるような、警戒をさせないような、笑みが。
「なあ、素直になれよ。少しでも、俺に愛されるんだって期待したんだろ?」
「ちが、う……こんなの、間違ってるだろ……」
「だって、俺は今、とてもお前がいとおしいよ? キスして、抱きたいって思ってるよ?」
 抗いたいのに、鼓膜を震わせる声が頭を痺れさせ、力を奪っていく。
 贋物だとわかっている。単なる逃げ場として扱われている。けれど、理由なしに卑劣な行動に出る男でないのも知っている。
 だからちゃんと話を聞かせてほしい。助けになりたい。こんな方法、さらに傷を抉るだけだ。
 わかって、いるのに。
「俺にくれよ……お前の愛を、俺にぶつけろよ……」

 洋輔は泣いていた。声が、潤んでいた。
 でも、ここで身体を投げ出すのは間違っていた。
 脅迫に負けず、真正面から洋輔と向き合うべきだったのだ。

  + + + +

「やっと来たのか。遅かったな?」
 第二資料室は、今は物置としての役割が中心になっていて、ほとんど足を踏み入れる者がいない。
 棚こそそれなりに整理されているが、口の開いたままのダンボールが通路の真ん中を陣取っていたり、部屋の隅に置かれた半透明のゴミ袋に何かが詰め込まれていたりと、長い間放置されているのがまるわかりだった。
 扉から見えない位置で、壁側の棚に寄りかかっていた洋輔は、社内用の仮面を知っているからこそ余計に、不気味に映る。
「十五分後くらいに、チームの会議があんのよ。俺、昨日のお前思い出してたら勃っちまってさぁ……こんなんじゃ集中できないから、お前、抜いてくんねぇ?」
 形だけの問いに、拒む権利などなかった。
 素早くベルトを外し、下着を下ろして半勃ちのそれを口に含む。髪の毛をぐっと掴まれて顔をしかめたが、かまわず行為を続けた。
「積極的じゃん? 俺としては大歓迎だけどな」
 早く終わらせたい。あくまで事務的な態度で、全体に舌を這わせて袋を揉みしだき、吸い上げる。
 唾液に苦味が混じり出す。吐き気を覚えることもあったが、どんな感情も向かなくなった。
「あ、あ……お前、ほんとうまいな……どこで、学んできたんだよ……?」
 目を閉じて、無理やり集中する。イかせるだけで終わるんだ。これくらい、なんてことはない。
「無理、我慢できないわ。……中に、いれさせろ」
 無心になっていたせいで、反応が遅れてしまった。両手を素早く頭上にまとめられ、ベルトに手をかけられてしまう。
「や、やめろ……! 会議に、間に合わなくなるだろ!?」
「静かにしろよ。こんなのがバレたら、お前も終わりだぜ?」
 一瞬で息をつまらせる。愉快でたまらないと言いたげな笑い声が鼓膜を打った。
 遠慮なしに指を突っ込まれても痛くない秘部の代わりに、心臓がきしむ。心と切り離された身体は、洋輔をすんなり受け入れるようにできてしまった。
「あ、う……っ!」
 それでも、洋輔自身で貫かれる瞬間だけは圧迫感で苦しい。深い溜め息をこぼして激しい律動を始める洋輔についていくのが精一杯だ。
「口、ふさいどけ……お前、声が大きいからな……」
 ようやく両腕が解放されてすぐ、片手を口元へ持っていく。がたがたと揺れる棚を気遣う余裕もない。
 感じたくないのに痺れは容赦なく押し寄せてくる。いっそ、身体を新品と交換できたらいいのに。心と身体が連動するように、改造してほしい。
「中に、出すからな……ちゃんと、受け止め、ろよ……っ!」
 埋め込まれたものが痙攣して、じんわりとした熱が広がっていく。素早く引き抜かれて支えを失い、その場に崩れ落ちる。
「やっぱ、お前最高だわ。……あいしてるぜ、俊哉」
 ――お前は絶対に、逃がさない。

 まるで呪縛だった。
 彼の目の届く範囲にいる限り、絶対に捕らえてしまう黒い無数の糸。
 逃れたい。どんな手を使っても、振り切りたい。
 誰かに愛されたいなんて二度と望まない。結末がバッドエンドばかりなら、物語自体を綴ろうなんて思わない。
 欲望を吐き出すための人形の役目を続けるのは、もう、限界だ。
 ……逃げるんだ。
 気取られないよう、追いつかれないよう、どこでもいいから遠くへ、逃げるんだ。

 実家が大変なことになっているとの嘘が通り、一ヶ月後には退職が決まった。
 洋輔にはなおも激しく求められ、絶対に嘘だと決めつけながら時には虐待じみた行為までされたが、決して口を割らなかった。一ヶ月後の自由を思えば、増える傷などいくらでも耐えられた。
 念のために、端末に登録していた実家の電話番号を筆頭に、少しでも手がかりとなりそうな情報は片っ端から破棄した。両親だけは絶対に守り通さないといけない。
 そして当日……定時と共に会社を飛び出し、自宅とは反対方向の電車に乗った。
 この日に解約できるよう、マンションの管理人と話をつけていたのだ。

『お前が……お前が、俺の拠り所をなくしたせいで……』
『殺してやる……お前も、俺と同じ場所へ、引きずりおろしてやる……!』
 背中を常に狙われていても、自分にとっては間違いなく自由だった。
 ――悪夢に、うなされるまでは。

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(画像省略)「あ、あの、今日、ですか? ってかオレ、告白とかしてない……」「した…

夜の太陽はさかさまで輝く

#R18

夜の太陽はさかさまで輝く

第6話 #R18

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「あ、あの、今日、ですか? ってかオレ、告白とかしてない……」
「したようなもんだろ?」
 明らかに誘った目で舐めるように見上げてくる俊哉に、本気でめまいがしそうだった。


 部屋に戻った瞬間、俊哉に背中から抱きしめられた。思わず食料品が詰まったビニール袋を床に落としてしまう。
「しゅっ、俊哉さん? いきなり、何を」
「ちょっと、動揺しすぎじゃない?」
 どこか楽しそうに小さく笑いながら突っ込む俊哉の腕を外して、落とした袋を拾う。そのまま部屋に上がると、背後からどこか戸惑った声がかけられた。
「黙ってスルーするの、そこ」
「敢えてです。すげー緊張してるんで」
 あんまりくっつかれると、名前呼びを受け入れてくれた嬉しさも手伝って先へ先へといってしまいそうになる。
「じゃあ、すごく意識してるんだ?」
 隣に立って、買ってきた物の整理を手伝いながら俊哉はまた笑う。もしかして試されているのだろうか?
「俊哉さん、オレの気持ち知らないわけじゃないっすよね?」
 帰り道、電車に揺られながら今後のことを妄想していなかったわけじゃない。あの人への気持ちの整理がちゃんとついたらもっと仲を深めていって、ここだというタイミングで告白しよう、なんてプランを練ったりしていた。
 まるで学生のようだと笑われるだろうが、それだけ真剣で慎重なのだとわかってもらいたい。他の誰よりも、俊哉には。
「まあね。高史、すごくわかりやすいから」
「なら、なおさらからかうような真似はやめてください。オレ、ほんと真剣なんです。あなたのこと、大事にしたいんです」
 強引にキスマークをつけておいて、どの口が言うんだと突っ込まれてもいい。これは紛れもない本心だ。
 目元を緩めた俊哉は、ふわりと身体を預けてきた。
「しゅ、俊哉さん! だから……!」
「わかってる。お前が俺を大事にしようとしてくれてるのは、わかってるよ」
 こちらを見上げた俊哉の視線がただ、柔らかい。何でも受け止めてもらえそうな、しなやかな強さを感じる。
「高史が一緒に生きてほしいって言ってくれて、俺がどれだけ嬉しかったかわかる? まともに礼も言えなかったくらい嬉しくて……たまらなかった」
 涙で歪みかける顔を、懸命に笑みの形にしようとする俊哉がたまらなくいとおしくて、震える両腕で抱きしめ返した。
 もう、絶対に離さない。傷もつけさせない。
「ね、高史……お願い。キス、して」
 蠱惑的な誘いだった。それをかわす余裕は、今の自分にはかけらも残っていない。
「んん、っふ……ぁ!」
 唇だけを交わすのはそこそこに、呼吸ごと奪うように隙間をなくして、舌と唾液を勢いのままに絡める。主導を自分が取っているようで経験値の差か、なめらかに動く俊哉の舌に背筋を甘い痺れが幾度となく走る。
「……っは、たか、し……」
 押しつけてきた中心の昂りを感じて、どきりと胸が高鳴る。同時にこちらの調子も筒抜けとなってしまった。
「あ、あの、今日、ですか? ってかオレ、告白とかしてない……」
「したようなもんだろ?」
「しゅ、俊哉さんはどうなんですか。ほんとに、オレのこと」
「好きだよ」
 声も視線も、ひとつの歪みなく貫いてくる。
「放っておけないって理由だけで赤の他人拾って、身体張って自殺止めて、一緒に生きてほしいなんて言ってくれる高史が……俺にはもったいないくらい、好きだよ」
 少し背伸びをして、耳朶に柔らかく熱い感触を当ててくる。それが夢ではないと繰り返し訴えている。
「だから、今がいいんだ。今、お前に抱いてほしい」
 俊哉の想いの前では、自分の覚悟などちっぽけな存在だった。

「……ホテルまで、我慢できますか」
「生殺し?」
「ここ、安アパートだから壁薄いんです。俊哉さんの声を、誰にも聞かせたくない」
 言葉を詰まらせた俊哉は、俯きながら小さく首を上下させた。

  + + + +

 駅前にあるビジネスホテルは、ダブルベッドの部屋だけが空いていた。
 本当に、なんて奇跡だろう。
 バスローブ姿でベッドの縁に腰掛けたまま、視線だけを四方八方に散らす。自分よりも長くシャワーを浴びているのは、これからに向けての準備を進めているためだろう。
 ――俊哉を抱くんだ。間違いなく、この手で。
 緊張と不安と歓喜と申し訳なさと……浮かぶ感情にいちいち名前をつけるのも忙しい。きっと笑われる。
「めちゃくちゃ緊張してるじゃん」
 いつの間にか、俊哉がシャワーを済ませてこちらに歩み寄っていた。
 雰囲気のせいか、バスローブのせいか、いつもより色っぽく見える。濡れた髪の毛が首筋に張り付き、そのまま目線を追うと見えるか見えないか絶妙な位置で白い布に覆われた胸元にたどり着いて……それきり、移動できない。
「お前、今、どんな顔してるかわかる?」
 隣に腰掛けてきた俊哉は、猫のように身体をすり寄せた。
「すごく、俺を抱きたくてたまらないって、顔」
 間近で微笑み、吐息を乗せて唇をひとつ、舐める。
 ――頭の中で、何かがぶちりと千切れた。
 その場に押し倒して、噛みつくように口づける。おねだりとわかる伸ばされた舌を絡め取り、自らのそれと擦り合わせながら股の間をぐいぐいと膝で押した。
「んぁ……あ、や、だ……」
 とろんとした瞳で見上げる俊哉から、視線が外せない。
「……自業、自得です」


 初めて指を差し込んだその箇所は、想像を遥かに越えた軟らかさだった。
「っは、もっと、そこ、上……こす、って」
 そこだけではない。胸元も腹部も背中も、俊哉の身体は細身とは思えない柔らかさだった。そして、敏感だった。
 尻を突き出した格好でねだる姿が扇情的で、また喉を鳴らしてしまう。
 とっくに理性はやられていた。「決して嫌がることはしない」という誓いだけは何とか頭に刻み込めているが、経験者の俊哉にうまくコントロールされている気がしないでもない。
「きもち、いいですか」
「いっ、い……たかしの、太くて……っあ、あ!」
 指示された箇所を強めに押し上げると、内側が生き物のようにうねる。透明な蜜をとめどなく垂らしている俊哉の中心にも手を添えて、同じくらいの力で扱き上げた。
「ばっ……や、一緒に、するな……!」
「一回、イった方がいいんじゃないですか」
 経験者の余裕を、崩してやりたかったのかもしれない。止めようと伸ばされた手をかわして、同時に刺激を与えていく。
「すごい……俊哉さん、腰、すごく揺れてる。気持ちよすぎるんだ?」
「おかし、なる……ぅ、あ、んぁ……!」
 正直、こっちもおかしくなりそうだ。多分ものすごく必死な顔をして、暴走しそうな自分を抑えている。吐き出す息は獣のように荒いし、中心に無視できない熱が集中して、苦しい。
 俊哉の呼吸が一段と荒くなってきた。二本の指の抜き挿しをさらに速め、先端の割れ目に爪先を当てた瞬間、そこが弾けた。
「……めちゃくちゃ、出た」
 濃い白濁まみれの手を呆然と見つめる。
「当たり、前だろ……っ」
 肩で呼吸を繰り返しながら、俊哉はこちらを軽く睨みつける。
「こういうの、久しぶりなんだぞ……少しは、手加減、しろよ……!」
 ようやく、彼が自ら指示を出していた理由がわかった。少しずつ、自分を受け入れる身体に慣らすためだったのだ。
 いくら初体験とはいえ、あまりな行動に思わず正座して俯いていると、シャンプー混じりの柔らかな香りが鼻腔をくすぐった。俊哉の頭の撫で方は、恋人というよりは子ども相手に近い。
「可愛いな、ほんと」
「可愛いのは、俊哉さんです」
「図体のでかいやつがそうやってしょんぼりしてるとこの、どこが可愛くないって?」
 触れるだけのキスが降ってくる。
「……もう、大丈夫だから」
 どういう意味だろう?
「ここからは、お前の好きにしてくれていいから」
 俊哉は満ち足りた笑みを浮かべる。
「お前に、上書きしてほしい。今までの俺を忘れるくらい、抱いてほしいんだ」
 なんて、殺し文句。
 みっともなく泣きそうだった。固く抱きしめて、俊哉の想いを噛みしめる。
「その前に……俺も、高史を気持ちよくさせてあげるよ」
 バスローブの前を解かれ、手のひらで素肌をなぞりながら押し倒してくる。
 理解する前に、張り詰めていた中心にふわりとした感触が生まれた。
「しゅ、俊哉さん!」
「高史の、すごく大きいな……」
 軽く上下に扱いてから、自らの口元をその場所へと持っていく。やろうとしている行為を把握したと同時に、俊哉の舌が周りを撫で始めた。
「う、あ……っ」
 わざと濡れた音を立てて、ぬるりとした感触が全体に這い回り、擦られる。根元までを咥え込まれた時は頭の中が一瞬真っ白になった。
「ん……どんどん、あふれてきてる……」
 道具を使った自慰とは比べ物にならない。
 腰の揺れも、さらに甘い刺激を求める欲も止められない。他人にしてもらうのが、こんなにも気持ちのいいものだったなんて。
「俊哉さ……っ、オレ、もう……」
「いいよ、咥えててあげるから、イって……」
 頭を上下に動かしながら一層強く吸い上げられて、呆気なく熱を吐き出した。
 力の入らない身体をベッドに沈めるも、確かな咀嚼音を聞いて思わず首を持ち上げる。
「飲んだん、ですか」
 俊哉はただ、微笑んでみせた。口の端から、自らの中にあったものがたらりと筋を作り、喉を伝って胸元までたどり着く。その感触のせいだろうか、小さくも甘い声をこぼす。
 再び、熱が収束していく。頭の中が、俊哉のことだけで埋め尽くされていく。
「早く、きて」
 ベッドに横たわり、両腕を広げてねだられれば――乗らないわけには、いかない。
 勢いのままに繋がろうとして、すんでで装着していないことを思い出す。
「いいから」
 腕を掴まれた。
「そのままで、やって。中に出してかまわないよ」
「いくらなんでも、それは!」
「出してほしいんだ」
 澄んだ、まっすぐな双眸だった。
「出してもらうまでが、上書きだから。……お願い」
 余裕も理性も、とっくにすり切れていた。
 ベッドから浮いていた腰に手を添えると、てらてらと光る蕾に一度触れさせてから少しずつ押し進めていく。
 溶ける。気を抜くと飲み込まれる。それでいて気を任せたくなってしまう。四方八方から誘惑されているような心地になる。
 自身を愛しい人とつなぎ合わせた感想は、ぐちゃぐちゃだった。
 たったひとつの確固たる言葉は、ますます増した「いとおしい」だけ。
「オレ、下手じゃ……っ、ないですか?」
「へたじゃ、な……あ、っああ!」
「いいとこ、あたりましたか……」
「っま、って……ひさし、ぶりだからぁ……あぁ、ん!」
 枕を握りしめて頭を左右に振るたび、黒い髪で彩られた首筋が視界を煽る。見えるところにつけたら俊哉が困るだろうと思いつつも、止められない。
 ――この人は全部、オレのものだ。
「な、に……?」
 薄い痕が生まれた箇所を人差し指でなぞって、律動を再開する。枕にあった両手をそれぞれで絡めると縋るように握り返される。目尻と口端から流れ落ちる雫が、自分のためにあふれていると思うだけで目元が熱くなる。
「……泣いてるの?」
 微笑みながら問われて、初めて気づいた。
 泣くなんていつ以来だろう。自覚したらいたたまれなくなってきた。
「自分でも、よくわかんないです。俊哉さんとこうしていられて、幸せすぎなのかも」
「俺だって、一緒だよ。……本当に好きな人とするのって、こんなに満たされるんだって」

 だから、もっと好きにして。
 もっと、高史で満たして。

 飽きるほど互いの身体を貪って――夢見心地を覚ます音でまぶたを持ち上げて映った、胸元でくるまる俊哉の穏やかな表情に、また涙がこみ上げそうになった。

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(画像省略) ジャケットを脱いでベッドに寝かされた途端、噛みつくようなキスが降っ…

ただずっと、隣で笑い合っていたいから、

#R18

ただずっと、隣で笑い合っていたいから、

おまけ:第4話と5話の間 #R18

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 ジャケットを脱いでベッドに寝かされた途端、噛みつくようなキスが降ってきた。ただ乱暴なようでいて、的確に力の抜ける箇所をなぞっては唇をゆるく食み、呼吸したタイミングでまたなぞられる。互いの唾液を使ってわざと濡れた音を立てるたび、喉が震えてしまう。時々唇をくすぐる西山の吐息と声はもはや毒だった。
「は……っ、あ」
「白石……気持ちいいって顔、してる」
「なん、で顔、わかんだよ……」
 こっちは薄闇ではっきりと見えていないのに、ずるい。恥ずかしい。
「よく見ればわかるよ。……なんて、うそ。お前の声聞けば、わかる」
 西山の唇はそのまま首筋をたどり、胸元に到着した途端に止まった。ワイシャツの上から軽く舌で撫でられて、短く声が漏れる。気持ちいいというよりむず痒いというか、とにかく変な感覚だ。
「男も乳首弄られたら感じるようになるらしいぞ。お前のもそのうちそうなるかも、な」
「っん、ぁ!」
 もう片方の胸をきゅっと摘ままれたかと思うと、押しつぶすようにこねくり回される。布越しのせいなのか、少しずつじんわりとした感覚が生まれ始めた。
「にしやま……なんか、変な、感じなんだけど……っ」
 それに応えるかのようにネクタイを引き抜かれた。ボタンを外すためだと気づいた時には、むき出しになった二つの尖りを西山に愛撫されていた。
 右側は濡れた音を立てながら頂を吸われ、軽く歯を立てられて。
 左側は先ほどと同じ行為を、強弱をつけて繰り返されている。
 短い吐息を混ぜた、変に高い声を止められない。
「……も、やめ……!」
「気持ちよさそうに見えるけど?」
 どこか楽しそうな口調に少し苛立ちが浮かぶも、抵抗する力はもちろんない。
「それとも……早く、こっちを触ってほしいんだ?」
 胸にあった手の位置が下がっていき、ある場所で止まる。わずかに力を込められただけでみっともないほどに反応してしまった。
「ああ、ちゃんとたってる……気持ちいいんだ……」
「ばか、しみじみすんな……!」
「いいだろ。だって、俺、本当に嬉しいんだ。お前とこういうことできるのが、嬉しいんだよ」
 暗闇に慣れてきた目線の先で、西山が柔らかな笑みを浮かべている。
「……なんか、おれ、猛烈に恥ずかしい」
 初めての恋人と迎えた夜を思い出した。確かな充足感と幸福感があるのに、どこか甘酸っぱい気持ちとがない交ぜになって落ち着けなかった時とよく似ている。
 よく聞き覚えのある金属音が耳を打ち、正体を悟った頃には剥き出しの己自身を西山に愛撫されていた。
「あ、っく……ぅ、んっ」
 的確に感じる箇所を攻められて声を、ゆるゆると動く腰を止められない。西山の大きな手のひらがたまらなく気持ちよくて、もっと弄ってもらいたいと欲が生まれてしまう。
「はぁ……っにし、やま……ぁ」
「ん……?」
 返事をしながら、片手は頂を指の腹でぐりぐりと刺激し、もう片手は裏筋から根元にかけて爪先を這わせている。まるで陸にあがった魚のように背中が跳ねて、続けようとした言葉が喘ぎに変わった。
「一回、このままイカせてやるよ……」
 濡れた音を存分に響かせて扱いた後だった。
 爪先を這わせていた箇所に、今度はぬるりとした感触がゆっくりと、通り抜ける。さすがに驚いて、懸命に首を持ち上げた。
 西山が、自分のモノを舌で、愛撫している。
 理解した瞬間、頭の中が真っ白になった。
「ん、っあぁぁ……!」
 溜まった熱が外に吐き出されて、全身の力がベッドに吸い取られる。
 気持ちいい。その感想だけが頭を支配している。恋人という関係を差し引いても、同性にされて文字通りの「骨抜き」にされるとは思いもしなかった。
「お前、そんな顔するんだ」
 息を整えるのに意識を集中していたせいで、西山に観察されていることに気づかなかった。
「ばか、見てんなよ……!」
 身体を横向きにして逃げる。が、あっさり両手を捕えられ、布団に縫いつけられてしまった。
「喜び噛みしめてんだよ。どれだけ待ち望んでたと思ってんだ」
 それを言われると押し黙るしかできなくなる。
「ていうか、お前は……いいの?」
 西山も興奮しているのは、吐息の乱れぶりと熱さで充分に伝わっている。
「ん、俺はあとでたっぷり気持ちよくさせてもらうからいいの。そのために、こうしてお前にいろいろしてんだから、さ」
「っ、ひぁ!?」
 息の詰まる痛みが思いもよらない場所から伝わってきて、たまらず西山に向かって手を伸ばしてしまう。
「ごめん、痛かったよな。でも、今だけだと思うから我慢して?」
 労るように頭を撫でながら、唇を緩く食んでくる。心地のいい刺激に全身から余分な力が抜けていく。最初ほど不快感はなくなったが、まだまともな呼吸はできそうにない。
「く……っあ、はぁ……ん」
 ゆるゆると中心を刺激されて、否が応でも甘い痺れが腰から広がっていく。濡れた音が吐息に混じって響き始めた時には、違和感がだいぶ消えていた。
「痛いとか、ないか?」
「それは、っん、ない……けど」
「けど、なに?」
「へん、きもち……わる、い」
 下腹部が鈍痛に似た刺激を受け続けていて苦しい。どう考えても秘部が西山の指を飲み込んでいるせいなのだが一向に止まる気配はない。
「うん……でもさ、もう指が二本入ってんだよ。お前のここ」
 内部で指が蠢いて、反射的に短い悲鳴が漏れる。
 というか、二本ってどういうことなんだ。とても信じられないのに、蠢くたびに嘘でないのを思い知らされる。
「っ!? ひぁ、あ!」
 下半身が大げさに跳ねた。
「……みつけた」
「な、なに? や、ぁあ!」
 声が、腰の動きが止まらない。わけもわからず西山から与えられる刺激に翻弄されている。さっきとは明らかに違う、油断したらあっという間に支配されて抜け出せなくなるような、あまいあまい刺激。
「ま、にし……っあぁ、ん!」
 圧迫感が増した。まさか、また指が増えたのだろうか。考える余裕はない。理性も本能もすべてが、快楽の先を求めてひたすらに手を伸ばしている。
「しらいし……すげー、気持ちよさそう」
 感嘆したような声で呟く西山の肩を縋るように掴む。視界が少し滲んでいておぼつかない。
 こわい。でも彼だから、西山だから信じられる。与えられるはじめてを受け止められる。
「はぁ、っあ……に、やまぁ……!」
「わかってる。俺ももう、限界」
 ずるり、という擬音が聞こえそうだった。急な喪失感に戸惑っている間に、包装を破く音が響いて一瞬身体が固くなる。
 同性同士との知識はなくとも、さすがにこの後どうなるかはわかる。
「……白石」
 見下ろす双眸はまるでアンバランスだった。気遣おうとする気持ちがなけなしと一発でわかるほど、西山はただの獣と化している。
 一握りの理性など、もう、捨ててしまえばいい。
「はやく……お前のしたいように、して」
 懸命に頭を持ち上げて、熱に浮かされた呼吸を混ぜあう。一瞬で終わるはずもなく、ベッドに戻されながら唾液が頬を伝うほどの行為に変わる。
「いくぞ」
 同時に、先ほどとは比べものにならないくらいの圧迫感が下半身を襲った。
 まともに呼吸ができない。痛い、というよりただ苦しい。悲鳴にならない声が途切れ途切れに喉から溢れる。
「白石……っ、もうちょっと力、抜けるか……?」
 首を振る。西山の訴えはわかるがどうにもできない。
「ふ、っん……ぁ、あぁ」
 すっかり萎えてしまった自分自身をやわやわと愛撫されて、全身のこわばりが少しずつ和らいでいく。啄むようなキスを受け取るたびに鼻腔をくすぐる西山の匂いも、落ち着きを呼び戻してくれていた。
「あ……ぁ、っはい、った?」
「あと、すこし」
 そして、安堵したようにゆっくりと倒れ込んできた。
「入ったよ、白石」
「……うん」
 西山の形がはっきりとわかる。
「やっと、つながった」
「待たせて、ごめんな」
「ばか。そんなこと、もういいんだよ」
 西山の柔らかい笑みになぜか泣きそうになる。
「そろそろ、動いて大丈夫か?」
 頷くと同時に、埋め込まれたモノが大きく律動を始めた。余裕がないとわかる動きに、みっともなく声をこぼすしかできない。羞恥を覚える暇すら与えてもらえない。
 指でさんざん刺激された箇所を突かれるたび、じんわりとした痺れが全身を支配していく。強烈な中毒性をはらんだそれを、必死に追い求めてしまう。
「んあ、あぁ! は、っんぁ!」
「すき、だ……白石、すきだ……!」
 応えたいのに、漏れるのは聞き慣れない悲鳴ばかり。せめてもと、唇に覆い被さった吐息に向かって夢中で舌を伸ばした。意識までも溶けそうなくらいに強く絡め取られる。
 手のひらに重ねられた熱をぐっと握り込む。何かに縋っていないと意識が保てないぐらいにぎりぎりの場所をさまよっていた。
 もう限界だと、朦朧としながらも訴えた気がする。もう少しこの時間に浸っていたい気持ちはあるのに、初めて西山を受け入れた身体は正直だった。
「これからもお前のこと、大事にするから……絶対、守るから……」
 おれも。
 ちゃんと返せたか、自信はなかった。
 過敏になっている自身を絞り出すように扱かれて、頭の中も視界も真っ白に塗りたくられてしまったから。

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