星空と虹の橋

【後日談】夜の太陽はさかさまで輝く・番外編

「それならもじもじしてないでさっさと訊いちゃえよ」
「簡単に言ってくれるよ」
「だって浮気してるとか、そういう雰囲気じゃないんだろ? その意見を信じるなら、多分たいした隠し事じゃないんだよ」
 クリスマスを二日後に控えた今日、久しぶりに谷川涼一((たにがわりょういち))と会った。用事で近くを寄るから、ついでに会えないかと連絡が来たのだ。そういえば引っ越してから初めて顔を合わせる。
 相談するつもりはなかった。けれど付き合いがそれなりに長く、目ざとい彼にはあっさり見抜かれてしまったというわけだ。
「涼一はどうする? 嫁さんが隠し事してるなーって思ったら」
「結構わかりやすい性格だっていうのもあるけど、訊いちゃうかな」
 予想通りの返答だった。涼一は基本、公私関係なくストレートだ。自分では頑張っても持てない部分だからときどき羨ましい。
 すっかり冷めたミルクティーの残りをあおり、ため息をこぼす。
「結構びびってる自分にびっくりしてるよ。今が本当に、大事すぎるんだ」
 過去とはまるで真逆の位置にあるこの環境が、時間が、ほんの少しの衝撃で崩れてしまうのではないかと怯えている自分が常にいる。
 信じていないのと同義だと言われても、反論はできない。
「そうやって一人で溜め込むとこ、全然変わらないな俊哉は」
 涼一は呆れているようだった。これも反論はできない。
「守田くんなら絶対大丈夫だよ。心配いらないさ」
 こちらを見つめる細い両目がどこか柔らかくなった。
「なんで、言い切れるんだよ」
「……今なら言ってもいっか。前に話しただろ? 守田くんに初めて会った時のこと。その時さ、俺に詳しい話を聞きたそうにしてたんだ。でも訊いてこなかった」
『無理に聞きたくないって、思ってるだけです。気にならないって言ったら嘘になりますけど。でも、朔さんがいやなら無理に聞かない。朔さんが、ただここにいてくれれば、それでいい』
 仲野洋輔との過去を訊かない理由を問いかけた時、高史は迷いなくそう答えた。
 知り合いでもない上に、面倒な事情を抱えている人間に対してかける言葉ではない。信じられないと同時に、初めて救われた気持ちになった。その後仕掛けたくだらない誘惑をはねのけた姿を見て、ますます惹き込まれた。
「それ見て、守田くんなら絶対俊哉のことをどうにかしてくれるって思った。結果は、お前が一番わかってるだろ?」
 わかっている。わかりすぎている。夢のような現実を生きている。
「だから俊哉を裏切るような真似は絶対しない。断言してもいい」
 無意識に頷いていた。目元が熱い。気を抜いたらその熱がこぼれ落ちてしまいそうで、必死に奥歯に力を込めた。
 やっぱり、高史は高史のままだったんだ。
「……あ、でも、待てよ」
 何かを思いついたらしい涼一は人差し指で頬を軽く叩き始めた。
「俊哉、やっぱ訊かない方がいいかも」
「な、なんだよその方向転換」
「ていうかお前こそ気づかないの? 鋭いくせに?」
 意味がわからない。わからないからこうして相談しているんじゃないか。
「あー、でも今までこういうのは無縁だったんだっけ。じゃあ仕方ないか……」
 一人で納得して完結しないでほしい。

  + + + +

 ようやく吹っ切れた気がする。
 いや、自棄になったという方が正しい。そうならないと今にも飲み込まんと押し寄せる負の波に負けてしまいそうだから。
「ただ……いま」
「やっと帰ってきたね」
 あと二時間で一日が終わる頃に、高史は帰ってきた。居間に向かおうとしていた足を止めて軽く振り返ると、どこかたどたどしい動きで靴を脱いでいた。家に充満する空気を敏感に感じ取ったらしい。
「そんな顔してどうしたの?」
 敢えて問いかけてみた。
「あの、顔が怖い、です」
 朝は普通だったのにどうして、とでも言いたげだが、隠し事をされている身からすれば白々しいというもの。
「とりあえず靴脱いで。で、ここに座る」
 指示通り、ベランダ側を背にして正座をした高史の向かいに腰を下ろす。少しだけ気分が落ち着いた。そう、冷静にならなければ話はできない。
 内心で我慢できなかったことを涼一に詫びながら、わずかに震える唇を持ち上げる。
「仕事お疲れ様。大変だったでしょ」
「は、はい。クリスマス仕様の弁当がとにかく人気で、客が多かったと思います」
「休憩する暇もなかった?」
「え、いや、ちゃんともらえました」
「じゃあ、その時に出かけてたんだな」
 高史の口元が、不自然に開かれたまま動かなくなった。
「駅前で見かけたんだよ。誰かと一緒だったよね」
 彼女の名前は敢えて言わなかった。
「なにか持ってるみたいだったから、買い物してたんだよね。結構楽しそうにしてたじゃない?」
「っあの、違うんです!」
 浮気を疑われているのだとようやく悟った高史が弾かれたように首を振った。
「高崎さんですよね? 違います。恋人いますし」
「そう、付き合ってる人いるんだ。でも理由にはならないよね?」
 おそらく納得してもらえると思っていたのだろう。目の前で表情が消えた。
「今日だけじゃない。前にもお前と彼女が一緒にいるところを見たんだよ? なのに信じろって言うんだ」
 唇を開きかけては結ぶを繰り返している。この期に及んでまだ足掻こうというのか。
「お前が隠し事してるのはわかってたけど、まさかそういうことだったなんてね……」
「だから、違います!」
 距離を詰めながら否定する高史から、ためらいは消えているようだった。ここまで持っていければ大丈夫だろう。
 すべては、高史から本音を曝け出させるための布石。
「だったら、ちゃんと話してくれるよね。なにを隠してるのか」
「そ、れは」
 高史の勢いが再び弱まる。この期に及んでまだ足掻こうとする恋人に、怒りを通り越して虚しさがこみ上げてきた。
 ここまで問い詰めてもだめなら、一体どうすればいい?
 まさか、本当に浮気をしているというのか? それとも愛想をつかしてしまった? 他に好きな人ができた? 答えに窮する理由なんてネガティブなものしか思いつかない。
 ――ああ、情けなくも涙がこぼれそうだ。泣いても意味なんてないのに。
「しゅ、俊哉さん!?」
 うろたえた声の高史に顔を向けた瞬間、気づいた。すうっとした感触が頬を走っている。堪えていたはずが、つもりでいたらしい。いつの間にか自分も嘘をつくのが下手になっていた。
「俺のこと、嫌いになったんならそう言ってくれよ」
「なっ、なに言ってんですか!」
「だって、言えないくらいの隠し事って言ったら、そういうのしか」
 高史がいきなり立ち上がった。ぼんやりとした視界で背中を追うと、玄関近くでしゃがみこみ、おそらく鞄の中をあさっているようだった。
 全く意図が読めない。こちらに戻ってきた高史の手に小綺麗な包みが握られている意味もわからない。
「これです」
 その包みをテーブルの上に置いた。
「……本当は本番まで取っておきたかったんですけど、俊哉さんにこれ以上誤解されたくないから、今種明かしです」
 再度包みを手に取った高史は、緊張ぎみにそれを差し出した。
「メリークリスマス、俊哉さん。プレゼントです」
 かけられた言葉すべてを、いつもの倍の時間をかけて飲み込む。
「……プレゼント、って、クリスマスの?」
「はい」
 プレゼントと隠し事と、どう繋がるというのだろう。頭の回転が恐ろしく鈍い。
「あと、先月の誕生日プレゼントも兼ねてます」
 短いため息を挟んでから続いた言葉に、もはや驚くだけの力はなかった。
「本当は二つ用意したかったんですけど、さすがにちょっと、厳しくて」
 確かに高史は、金の問題で用意できなかったことを悔やんでいた。祝ってもらえるだけでも嬉しいのに、予約していたレストランでサプライズのケーキまで用意してくれていたから、とても贅沢な一日だったと心のままに伝えたつもりでいたが、納得はしていなかったらしい。
「高崎さんには、いろいろアドバイスもらってたんです。こういうの初めてだったんで、本当に世話になりました」
 それが二人で行動を共にしていた理由だとでも言うつもりか。
「でも、それでどうして彼女なんだよ」
 もはや単なる嫉妬だった。まだ納得できないのだから仕方ない。
 白状し始めてから視線を外さなかった高史だったが、少しだけ天井を仰いだ。なにかを振り切るように改めて姿勢を正す。
「高崎さんにはオレと俊哉さんが恋人同士だって知られてます。バレました」
 この短時間でどれだけ衝撃を与えれば気が済むのか。
「うまい言い訳もできなくて……すみません」
 全身からすべての力が抜け落ちた。テーブルに額をぶつけてしまったが、その痛みさえも今はありがたい。
 女性は変に鋭いところがあるから太刀打ちできないのもわかっているつもりだし、この関係を絶対に口外するなと厳命しているつもりもない。
 高史がクリスマスプレゼントを用意してくれているのはもちろん想定していた。だが、その準備のために彼女に協力を仰いでいたというところまでは考えが及ばなかった。さらに関係がバレてもいたなんて……。
 涼一の忠告が何本もの針に姿を変えて、あらゆる箇所を突き刺していくようだった。記憶を保ったまま、高史と彼女を見かける前まで時間を戻せたら誰もが理想的な未来を迎えられたのに。
「あの、俊哉さん」
 肩に触れられてのろのろと頭を持ち上げると、今にも泣きそうなくらい眉根を下げた高史が映った。
「本当にすみません。こんなことになるなら素直に言うべきでした」
 首を振る。高史の気持ちは理解できるし、否定できない。
 悪い方に考える癖が前面に出すぎて、一人で暴走してしまったせいなんだ。
「いえ、ちょっと考えればわかることだったんです。オレだって、俊哉さんが誰かと仲良さそうに歩いてたら嫉妬します。どんな事情があったって、嫌です」
「……はは。嫉妬してくれるんだ」
「しますよ。相手のこと殴っちゃうかもしれないです」
 高史の眉が一瞬でつり上がった。隣にそんな相手がいたら宣言通りの行動を取りそうな雰囲気さえ纏っている。
 目眩がしそうだった。こんな多幸感は現実だからこそ味わえる。膨れすぎて苦しいなんて感想は浮かばない。
 高史の服を掴んで引き寄せる。どうしようもなくキスがしたかった。貪るようなキスがしたかった。
 唇を重ねると同時に舌を差し込む。驚きで固まっている高史のそれを何度もなぞり、後頭部に回した手に力を込めた。
 こんなキスは久しぶりだ。心臓が壊れかけのようにうるさい。
「っん……ぅ!」
 後頭部に軽く走った衝撃で、初めて押し倒されていることに気づいた。
「しゅんや、さん……もっと、オレ……」
「して……おれも、ほしい……っ」
 互いの口内でねっとりと絡み合う感触がとても気持ちいい。背中のあたりが何度も小さく跳ねてしまう。これ以上続けたらキスでは済まなくなってしまうのに止められない。高史のすべてが、欲しい。
 胸元を掠める感触に自然と腰を持ち上げてしまう。期待で背筋がぶるりと震えた。
「……あ」
 この空気を強制的に断ち切った犯人は、言うなれば人間の性だった。
「ご、ごめんなさい。こんな、ときに」
 息を荒らげながら謝る高史に追い打ちをかけるように、再び腹のあたりから唸り声が響く。知らないふりも、堪えるのももう限界だった。
「っご、ごめんごめん。そうだよね、腹減ってるよね」
「オレ、カッコ悪すぎ……穴があったら入りたいって気持ちすげーわかる……」
 頭を抱えて悶絶している。そういえばこんな姿を見るのは初めてだから、新しい一面を見れたと思えば嬉しい。
「考えてみれば俺だってなにも食べてなかったし、むしろいいタイミングだったよ」
「そう、そうかもしれないですけど……!」
 もし崖際にでもいたら飛び込みかねないほど落ち込んでいる。自分としてはますます可愛くてたまらないのだが、今は必死に押し殺さねばならない時だ。
「俺は、むしろありがたいと思ったよ」
「……腹、減ってるからですか」
 ふらふらと立ち上がり、こちらを見下ろす高史はつい先ほどまでの誰かを彷彿とさせた。
「問題です。今日はどんな日でしょう?」
 意味がわからないと顔全体で示す高史に、もっとわかりやすい問題に変える。
「ある日の二日前ですが、そのある日とは?」
 三回くらい瞬きを繰り返したのちに、短い声が上がった。
「わかってもらえたみたいでよかったよ。だから……プレゼントも、それ以外もとっとこう? ね?」
 耳元にそう囁くとともに小さなキスを贈ると、黙ったまま首が上下した。

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