星空と虹の橋

【後日談】夜の太陽はさかさまで輝く・番外編

「俊哉さん、まだ寝てなかったんですか?」
 バスルームから戻ってきた高史は家と同じように軽く髪の毛を拭いて、静かにベッドに上がった。
 明日、いや今日があるのはわかっている。全身に確かな気だるさも残っているし、目を閉じたらすぐに意識を手放せる自信もある。
 特別な一日を、まだ過ごしていたかった。じんわりと満たされた気分に浸っていたかった。
 こんな感覚は初めてで、少しの戸惑いと可笑しさが広がる。以前なら贅沢すぎると変に萎縮してしまっていただろう。
「……それ、また見てたんですね」
「恋人からもらった、初めてのプレゼントだからね」
 気持ちがするりとこぼれ落ちた。
 やっぱり、ずいぶん気が緩んでいる。でも、今日くらいはかまわない。誤魔化そうとしてもきっと失敗に終わっていた。
 彼女に相談してはいたものの、最終的に「これ」と選んだのは高史だったという。あれこれ眺めた中で一番納得できて、最後まで高史の頭に引っかかっていたらしい。
「そんなに喜んでもらえて、なんていうかすげえホッとしました」
「そこは彼氏冥利につきるって言ってほしいな」
「そ、そう、か……そう、ですよね」
 今、自分は誰よりも幸せな人間なんじゃないかと自惚れてしまう。いや、きっとそれでいいんだ。咎めるものはいないし、いたとしても関係ない。
「ね、高史。これ、つけてほしいな」
 身体を起こし、隣で腰掛けたままの高史にもたれかかりながら、プレゼントを目線の高さまで持ち上げた。
「え、今ですか?」
「うん。今、お前につけてほしい」
 恋人が選んでくれたプレゼントを恋人につけてもらう――そんな最高の贅沢を味わいたかった。羞恥はとうに捨てている。
 一回り大きな手が、プレゼントをゆっくりと掴んだ。まるで大役を任されたような緊張が伝わってくる。
「その、どっちにつけたいですか?」
 少し悩んで、左腕を高史の前に掲げた。
 改めて体勢を整えた高史は、チェーンを繋ぐ留め具を外した。左腕に通して再び輪にしようとするが、微妙に震えているせいかなかなかうまくいかない。
「す、すみません。こういうの慣れてなくて、不器用で」
「大丈夫。ずっと待ってるよ」
 だって、この時間すら愛おしくて仕方ない。
 頬を慈しむように撫でるとさらに震えが増して、高史に窘められてしまった。迫力はもちろんない。
「できました……!」
 今度は頭にしようかな、とつい悪戯心が成長しかけたところで安堵に包まれた声が響いた。緊張の抜けた手が離れると、確かな重みが加わる。
「ありがとう。どう? 似合ってる?」
「はい。やっぱりシルバ-にして正解でした」
 手首を左右に動かすと、向かい合わせに繋がれた二つの馬蹄が落ち着いた輝きを放つ。主張しすぎない、けれど確かな存在感がある。
 故意か偶然か、今の自分にこれほど相応しいプレゼントはない。
「……ありがとう。本当に」
「そんな、大げさですよ」
 言葉がいくつあっても足りない、なんて場面が実際にあるなんて想像もしなかった。
 高史の胸元に顔を寄せる。触れ合った箇所から余すところなく伝わればいいのにと、柄にもないことを望んでしまう。
「そうだ。高史にもつけてあげようか? 俺のプレゼント」
 怪訝そうに訊き返す高史に、左手の薬指を指差してみせる。
「つっ、つけたいですけど、衛生上の問題が」
 絵に描いたような狼狽ぶりに笑わないでいるのは無理だった。
「冗談だよ。……あ、じゃあネックレスにするっていうのはどう?」
 初めてのプレゼントで指輪は重いだろうかと考えもしたが、自分にとって高史はもう離れられない唯一のひとだ。
 だからこそ、他の選択肢はなかった。
 それでもファッション感覚で身につけられる、いわゆる結婚指輪のようなデザインではない。簡単な彫刻が表面をぐるりと彩っている。
「全然、考えつかなかったです……」
「チェーンを長いのにすれば服の下にも隠しやすいよ。今度一緒に見に行こう?」
 安堵と嬉々の混じった笑みを浮かべて頷く高史の左手をそっと取る。
 いつかは、本来の場所に身につけてほしいと今願ってしまうのは早計か、単なるわがままか。口にしたら困らせてしまうだろうか。
 ――いや、考えるのはよそう。感情のままに動いてみるんだ。
 目の前の薬指に唇を寄せて軽く吸い上げる。視線を持ち上げると、こちらを凝視する瞳とぶつかり、一瞬ゆらいだ。
「いつかは、ここにもつけてくれると嬉しい」
 左手が熱くなった。高史の顔が吸い込まれるように近づいていくのをぼうっと見つめる。指輪交換でもしているようだ……なんて、相当浮かれている。
「……そのときは、俊哉さんに指輪、プレゼントしますね」
 腕につけられた幸運のお守りが、一瞬強く光ったように見えた。

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