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No.29

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(画像省略)「今日は先輩の機嫌いいですねー! 先週はほんとどよーんとしてたから、…

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

俺はエメラルドのご主人様じゃない!

第3話

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「今日は先輩の機嫌いいですねー! 先週はほんとどよーんとしてたから、オレどうやって励まそうかと必死に考えて考えて」
「そんなこと考える暇があったら仕事しなさい」
「してますよー。むしろ、先輩のほうがあんまり仕事手につかなかったんじゃないすか?」
 全くその通りすぎて、何も反論が出ない。ここまで遠慮がないと不快を抱く人もいるだろうが、仲良くしている影響もあるのかそこまで気にはならない。彼の人徳のおかげもあるだろう。
 本当に、先週の気分が一新された。昼にローテーションしている店で、頼んだメニューも過去と変わらないのに、おいしく感じるほどだ。
 コップの水を飲み干した後藤は、左腕に視線を向けた。
「やっぱり、そのブレスレットは先輩のお護りなんですね」
 ブレスレットを装着した瞬間、思わず腕を抱き寄せていた。
 本体からもたらされる、包み込むような安心感はふさわしい言葉も出てこない。翠が与えてくれていた力はあくまで一部だったのだと実感する。
「……うん。改めて、そう思ってるよ」
『後藤様の理解力、素晴らしいですね……』
 頭の中で、どこか悔しそうな翠の独り言が響く。
 正直、姿が見えないのをいいことに浮かれ放題になるのではないかと予想していたのだが、意外と静かに(おそらく背後に)佇んでいた。命令もきっちり守っている。
 ただ、後藤に対しては対抗心のようなものを向けているのだ。昼時だけでなく、仕事中もやり取りをするたびに何かしら反応を示していた。
 いつも柔和な翠にしては珍しい。


「後藤様は、あの会社では文秋さんの相棒のような方ですね」
 それとなく振ってみようと思っていた話題を、翠のほうから口にしてくれた。
「まあ、そうなの……かな? 後藤が入社してから一番の付き合いだし」
 料理をもっと覚えたいという、翠のリクエストに応えて購入したレシピ本の成果を口にしながら頷く。味はなかなかだ。
 納得したいけれどしたくない。眉根を寄せた翠の表情は、そう語っているように見えた。
「確かに、お二人の波長は綺麗に重なり合っておられました。後藤様も、文秋さんと同様のお気持ちでいらっしゃるはずです」
「……そう言ってるわりに、今日、ずっと対抗意識燃やしてたのはなんで?」
 一瞬目を大きくするも、満面の笑顔に変わる。
「そんなことはありませんよ。文秋さんに相応しい相棒が職場におられて、喜ばしく頼もしく感じておりますとも」
 もしかして、はぐらかされた?
 翠の意識はテレビに向いてしまった。食べている最中ずっと背後で控えているのが気になって、座って自由にテレビを観ても構わないと促したのがきっかけだったのだが、すっかり気に入ったらしい。
 追求は諦めて、再び料理を口に運び始めた。

  + + + +

 今週は、関わっているプロジェクトが佳境を迎えているのもあって何かと慌ただしい。
 手すりに腕をかけて、ビルや建物の立ち並ぶビジネス街をぼんやり眺める。曇り空の下の建造物は、より無機質に映る。
 本来は喫煙所なのだが、自分のような非喫煙者も休憩所としてよく利用していた。
『文秋さん、本当にお疲れ様です』
 誰もいないからか、翠が労るように話しかけてくる。顔の横でひらひらと手を振ってみせた。
(この分だと、オーナーの店に行けるのは土曜日かな……)
 本当はすぐにでもお礼に行くつもりでいたのだが、この調子だと、寄り道する余裕は今週いっぱいなさそうだった。
「あっ、先輩! ここにいたんですね」
 重いものを引きずるような音に振り返ると、後藤だった。
「悪い、用事だった?」
「俺じゃないですけど。急ぎじゃないって言ってたので、机の上にメモ置いときました」
 どのみち席に戻る予定だったのでちょうどいい。
「先輩、だいぶお疲れみたいですけど大丈夫ですか?」
 すれ違いざまに、後藤の肩をぽんぽんと叩く。
「後藤も無理するなよ? 倒れるなら来週以降でよろしく」
「ひどっ! オレの持久力を甘く見ないでくださいよー?」
 笑いながら喫煙所を後にして、自動販売機に向かう。愛飲しているメーカーのブラックコーヒーを常備してくれているから、いつも本当に助かっている。
『……文秋さん。今、少しだけでいいのでお時間をください。すぐ、済みますので』
 缶を取り出したところで、どこか必死な翠の声が響いた。
 命令を無視するほどの事態が翠に起きているのかと想像したら――思い起こされるのは、あの三日間だった。
 距離的に一番近い給湯室に向かう。シンクで作業をする振りをして、小声で詳細を促した。
『申し訳ありません。手短に質問させていただきます』
 ……質問?
『文秋さんは、後藤様のことを好いておられるのでしょうか?』
 ……違和感が激しく渦巻いている。が、答える。
「そりゃ、好きだよ。仲いいし」
『……質問の仕方を間違えました。ずばり、恋愛感情を抱いておられますか?』
 思わず声を張り上げそうになって、慌てて口元を押さえた。一度肩を上下してから小声で応戦する。
「何言ってるんだよお前は! そんなわけないだろ!」
「しかし……!」
 翠が姿を現してしまった。声にならない悲鳴が漏れる。
「出てる! 身体出てるから!」
 不満げな翠の身体は再び解ける。さりげなさを装って給湯室を出てみたが、幸いなことに目撃者はいなかった。
 ――心配して損した。それ以上に大事でなくてよかった。と思う。
「とにかく、そういう目では一切見てません。わかったらおとなしくしてるように」
 小声で改めて突っ込んで自席に戻る。後藤もすでに戻っていた。……が、動きが止まっている。心配して声をかけると、大げさに反応された。
「あ、す、すいません。ちょっと考え事してただけなんで、気にしないでください」
 珍しいなと思いつつも、仕事モードが進むにつれて頭の片隅に追いやられていく。
 意味不明な翠の質問も脇に置いておきたかったが、家に帰っても口調が若干刺々しかったり、名前を呼ぶたび変にまぶしい笑顔を向けられれば黙って流す真似もできなかった。


「後藤が好きだのどうのってまだ気にしてるのか?」
 ビールを持ってきてくれた翠に前置きなく問いかける。
「何でそんなにこだわってんのか謎だけど、本当にないから。後藤は彼女ほしいーってよく言ってるし」
 翠は無言のまま隣にゆっくり腰掛けた。テレビのリモコンには手を伸ばさない。
「……後藤様と文秋さんの仲がよろしいのは承知しておりました。ですが、実際この目で見たら……その」
 言葉を切った先が気になるのだが、語らずに頭を下げてくる。
「差し出がましいことをいたしました。もう、忘れてください」
 いまいちすっきりしない。今度は自分の眉間に皺ができそうだ。
「俺の好きな人でも聞き出したかったわけ?」
「いえ、そういうわけでは……」
「後藤にも定期的に訊かれるんだけど、いないんだよ。そこまで興味持てないっていうか」
 女性が嫌いなわけじゃない。何人かと付き合った経験もあるが、いずれも長続きはしなかった。敢えて気になる女性を挙げるならあのオーナーとなるが、化身の主同士としての仲間意識が強いのと、男女関係なく普通に仲良くさせてもらいたいという気持ちが大きい。
 基本的に、他人相手に心を揺さぶられることがほとんどない。振られる時の「私を好きかどうかわからない」という台詞にすべてが込められていると思う。
 そういう意味では、翠は初めての相手だった。振り回される日々もすっかり定着してしまった。
「……なんで、ちょっと嬉しそうにしてんの」
 やっぱり、答えてはもらえなかった。

  + + + +

 結局、オーナーの店に行けるのは予想通りの土曜日になってしまった。
 用意してくれた昼食を食べながら、隣で興味深そうに昼の情報番組を眺めている翠に告げる。
「文秋さんが私をお迎えくださったお店ですか?」
「いろいろ世話にもなってるからね」
 翠の目元に力が入ったように見えた。自身が売られていた店だから、やはり気になるのだろう。
「店に行くなら事前に教えてよね。そうしたら連れてってもらうようにチアキに言ったのに」
 ちゃっかり遊びに来ていた、というより自分の主ぶりチェックに来ていた藍が軽く睨んでくる。
「チアキ?」
「あんたがオーナーって言ってる僕の主の名前だよ。何か書く物ある?」
 鞄から常備しているメモ帳を取り出して渡す。西洋の服を身につけた青年が現代の道具をいじっている光景がどこかミスマッチで面白い。
 返ってきた紙面には、「天谷千晶(あまやちあき)」という文字が書かれていた。
「ついでに言うと、千晶もこのマンションの住人だよ。この上の部屋に住んでるの」
 さらっと、とんでもない爆弾を落とされた。
 藍は呆れたように溜め息をついている。
「本体が近くになかったら、こうしてここに来れるわけないでしょ? 僕らは、隣の部屋までの距離くらいなら移動できるんだよ。ここで言ったら、隣の四〇二号室までね」
 ブレスレットを持たなければ翠が移動できないのは本体から遠く離れられないせいだと、翠との買い物を拒否した時に何となく把握していたのをすっかり忘れていた。それでなくとも、改めて考えれば容易にわかることだった。
「お伝えしそびれていました! 大変申し訳ありません、文秋さん」
 弟に突っ込む隙を与えないためか、素早く立ち上がって素早く頭を下げてくる。
「いいって。ありがとう、藍くん」
 まだまだ勉強が足りない。時間を見つけて、少しずつ知識をつけていかなければ……。
 藍はそのまま、用事があるからと姿を消した。
「全く、藍は相変わらずですね……重ね重ね、失礼で申し訳ありません」
「別に気にしてないし、むしろありがたいよ。翠もいろいろ教えてくれよ?」
「……はい。ですが、文秋さんは何も気になさらないでいいのです。これは、私の夢だったのですから」
 向けられたエメラルドの光は、木漏れ日のようにとても優しい。けれど、ただ浴びてばかりいるわけにもいかない。
「主が怠慢でいいって? また倒れたらどうするんだよ」
「怠慢ではございませんし、二度と失態も犯しません。文秋さんのためなら、私はいくらでも頑張れます」
 翠をうまく制御する側に回らないといけないことを、徐々に把握してきた。主としての自覚がようやく生まれてきた気がする。
 しかし、相変わらず一途すぎるくらいに一途な男だ。どことなく恥ずかしさを覚えて、さりげなく目を逸らしてしまう。
「ええと、買い物にでも行くか。店には夜行こうと思ってるから、天谷さんに伝えておかないと」
「かしこまりました。今回は、お供させていただけますよね?」
「……いいけど、姿は消したままだぞ」
「ええ! 今日こそは荷物持ちをと思いましたのに!」
「そんな目立つ格好でさせられるわけないだろ!」
 渋る翠を、違和感なく外出できるよう服を購入してあげるという約束で丸め込むことに成功する。黒髪のせいか双子の藍とは違って東洋寄りの印象が強いために、ジーンズとシャツというシンプルなスタイルも問題なく着こなしていた。
「文秋さんが私のために選んでくださった服……ずっと、大切にしますね」
 試着室で心から嬉しそうな笑顔を向けられて、ちょっと可愛いと思ってしまったのは絶対に言えない。


「あら、あらあら……そうなの、あなたがエメラルドに宿っていたのね」
「翠と申します。文秋さんのもとへお導きいただいて、大変感謝しております」
「藍と全然タイプが違うのね。興味深いわ」
 頭のてっぺんから足の先までをまじまじと観察する天谷の視線をにこにこと受け止めている翠の図は、彼が復活した時の自分を思い起こさせた。
 閉店後の店内は、元々の店の雰囲気と混ざって本当に落ち着く。
 観察し終えた天谷は、カウンターの裏に腰掛けて優雅に微笑んだ。
「無事に回復されたようで、本当によかったわ。藍も私も、ずっと心配していたから」
「いえ、こちらこそ。藍くんには浄化の道具も用意してもらって、本当に助かりました」
 バッグから財布を取り出すが、なぜか緩く首を左右に振られた。
「お代は結構よ。翠さんを紹介してくださったから、それで帳消し」
「で、でも」
「またお話を聞かせてくださったり、新しい石をお迎えくださればいいから。気にしないで」
 一段と深い笑みを見せられれば、これ以上強気には出られなかった。素晴らしい人だと、つくづく感心してしまう。
「あと、できたらIDを交換しても? 私や浅黄さんのような人って他にいないから、いろいろお話させていただけると嬉しいわ」
 スマートフォンを片手に微笑む天谷に全力で頷いた。とても心強い味方を得られて、自分こそ願ったり叶ったりだ。
 画面から視線を上げた天谷は、後ろに控えている翠と目が合ったようだった。どこか訝しげだったのが、まるで子どもを連想させる無邪気な表情に変わる。
「ねえ、浅黄さん。本当に、翠さんが戻ってきてよかったわね」
「え? あ、はい。そう、ですね」
「この間と表情が全然違うわ。とても落ち着いてる。翠さんが近くにいると自然体でいられるんじゃないかしら?」
 素直に頷いていいのかわからない。
「浅黄さんが思ってる以上に、心を許している証拠なのかもしれないわね」
「や、やだなー。いきなりそういうこと言わないでくださいよ」
 背後を振り向けない。絶対、喜んでいる。気配がものすごく伝わってくる。
 同居状態にもすっかり慣れたし、翠の存在に助けられている部分も多々あるが、許すは飛躍しすぎている。まるで彼がいないと何もできないみたいじゃないか。
「そ、それなら天谷さんだって藍くんに心を許してるってことですよね?」
「もちろんよ。私にとっては……そうね。仕事をする上では、特に大事なパートナーよ」
 我ながらよくわからない突っ込みになってしまったが、天谷はあっさりと頷いた。
「アクアマリンって、コミュニケーション能力を高めてくれるお守りでもあるの。地元の人がたくさん来てくれてるのは、藍のおかげね」
 想像できなかった。あんなにストレートすぎる物言いの藍に、コミュニケーション能力を高めてくれる力があると?
「ときどきお客様から『どういう石がいいのかわからない』って質問をされることがあるんだけど、必ずお話を伺ってから石を選ぶようにしているの」
 どういう効力を一番に求めているか、を見極めるための話だという。一見簡単そうだが、表面だけをなぞるような内容ではもちろん意味がないし、踏み込みすぎるのもプライバシーにかかわる。絶妙な距離感での会話は、確かに難しい。
「浅黄さんも、ブレスレットを見た時はピンと来たでしょう?」
「……そうですね。こういうお店自体初めてだったのに、不思議と」
「他のお客様もそういう反応をしてくださることが多くて、そのたびに藍の力を実感するの。石の知識も豊富だし、本当にいい先生でもあるのよ」
 天谷は心から嬉しそうに笑う。素直に、素敵な関係だと微笑ましくなった。
「……でも、今も浅黄さんの家にときどきお邪魔しているんでしょう? それは本当に申し訳ないわ。私も勝手に上がるなと言ってはいるのだけど聞いてくれなくて」
 肩まで落とす天谷に、苦笑しながら首を振る。
「藍くんは、俺が主として頼りないから心配で仕方ないんですよ」
 二人のような関係を築けていけるか自信はないし、翠は無意識に甘やかしてくるけれど、もう少し主らしくしたい。そういう意味でも、藍と天谷という助っ人はとても心強かった。
「藍くんに認められるように、ってわけじゃないですけど、これからも翠にふさわしい主でいられるように頑張るつもりです」
「文秋さん……!」
 翠が両手を握りしめて、自らの額に持っていく。若干伝わってくる震えに泣いているのかと焦ったが、こちらを映した翠の瞳は高価な宝石のように輝いていた。
「もっと、私を頼ってください。エメラルドの力でお護りするのも、家事も、その他何でもやらせていただきたいです!」
「それ、もう化身のやる範疇を超えてるんじゃ……」
「そんなのは関係ございません!」
「……翠さんと藍は、確かに兄弟ね」
 天谷のつぶやきが、静かにその場を満たした。


 羽織ったパーカーの上から感じる夜風は、昨日に比べると涼しい。つい数日前もそう感じる日があったのを思い出して、秋の訪れを少しずつ示唆しているかのように思えた。
 近くのコンビニで買い物をした帰りだった。帰宅してから買い忘れに気づき、お供しますと主張する翠を懸命に宥めてきたので若干疲れている。
 天谷の「二人は兄弟」という言葉が心の片隅に引っかかっていた。愛情があふれているという意味なら、翠はあくまで忠実に使命を果たしているだけに過ぎない。
 むしろ、そのほうがありがたい。男にあんな熱い想いを向けられたら逆に困ってしまう。
 頭の中のもやもやを解消したくて、エレベーターではなく階段を使って四階まで移動する。ふと、ポケットの中身が震えて踊り場で足を止めた。
 通知欄には、「天谷千晶」の文字が浮かび上がっている。
『今日は本当にありがとう。翠さんは、浅黄さんのことがとても大事みたいなので、頑張りすぎてエネルギーが切れないように、気をつけてあげてください』
『こちらこそ、いろいろとありがとうございます。翠は自分の使命にとても誇りを持っているみたいですよ。確かにまた無理をさせたら藍くんにも怒られますし、ちゃんと見ておきます』
 すぐ実行に移せそうなのは、翠が力を使いすぎてしまっても充分な回復を行うようにすることだった。あるいは、致し方ないが一週間のうち一日だけブレスレットを「留守番」させておくのもよさそうだ。
『確かに、翠さんはとてもお仕事熱心な方たけど、本当にそれだけでしょうか? 私には、愛情が感じられましたよ』
 一体、何を言っているのかわからない。
 愛情と言われても困ってしまう。とりあえず当たり障りのない返事を送っておく。
「ただいまー……」
「文秋さん! ご無事でよかった……!」
 翠がすっ飛んできた。誇張ではなく、本当にリビングからダッシュでやってきたのだ。
「な、なんかあったのか?」
「それはこちらの台詞です! 近くのコンビニとは徒歩五分ほどの距離にあるコンビニですよね? もう三十分も経っております!」
 身体中をぺたぺた触る手つきがくすぐったい。考えごとをしながらのんびり買い物をしていたら、だいぶ時間を消費していたらしい。
「大丈夫、大丈夫だって! どこも怪我したりしてないよ」
「本当ですか? もう、あの時無理を通してでもご同行するべきだったと後悔しきりで」
「女の子ならともかく、俺は男だよ?」
「そういう油断はいけません!」
 真剣な口調で言い切られてしまった。
「文秋さんはご自分の魅力に全く気づいておられない。それに、男でも関係なく物騒な事件に巻き込まれる可能性は大いにあります。もっと危機感をお持ちください」
 形のいい眉をつり上げて怒る翠を呆然と見つめて、思わず漏れたのは笑い声だった。
「な、なぜ笑われるのですか! 私は真剣に」
「真剣だから、なんだか親みたいだなって思っちゃって。もし父親が生きてたらこんな感じなのかも? とかさ」
 まるで風船がしぼんだように、翠から勢いが消える。気を遣わせたくなくて、努めて声を張り上げた。
「俺と姉さんが小さい時に病気で死んでるから、あんまり覚えてないんだよ。お袋が母親兼父親みたいなパワフルな人でさ。寂しいとかは意外とないんだ」
 そんな人だったから、もしかしたら父親はとても穏やかな性格だったのかもしれない。母親が「あんたの雰囲気はお父さんにそっくり」と教えてくれたことがあったのを思い出した。翠も同じような空気を纏っているし、やはりさっきの感想は間違いではない気がしてきた。
「文秋さん……!」
 ふわりと、包み込まれた。このタイミングでエメラルドの力かと思ったが、あの感覚はやってこない。
「私は本当に、文秋さんにお仕えしてよかった」
 さらに抱き寄せられた。呼吸が苦しいのは、力のせいか、乱れた吐息のせいか。
 まぶしいほどに一途な気持ちが、触れた箇所から流れ込んでくる。
「私の判断は間違っていなかったと、改めて思えました」
「……てことは、迷ってたんだ?」
 否定しながら抱擁を解いた翠の眉は、きれいな八の字を描いていた。
 本当に吐露していいのかと悩んでいる。今さら何を言われても驚かないが、翠の判断に従うことにしてただ、見つめ返す。
「実は……文秋さんがエメラルドをお迎えしてくださってから一ヶ月ほどで、実体化が可能な状態にありました」
 言葉の内容を理解するまでにおそらく三十秒は時間を要して……何度も何度も、喉を鳴らした。後出しジャンケンにしては強烈すぎる真実だった。
 タイミングを、図っていたというのか。
 内心を悟ったのか、力なく首を左右に振る。
「ずっと、臆病だったのです。いきなり姿を現して、主と仰いでいいのかと。文秋さんのご迷惑にしかならないのではないかと」
「……あの時は、とてもそんな風には見えなかったけど」
 実体化が叶って嬉しいと、素直に喜んでいたようにしか見えなかった。
「我慢が、できませんでした」
 まっすぐに見つめてくる双眸は、木々の隙間から漏れる光を想像させた。
「文秋さんのことを知れば知るほど、力で癒やすだけでなく直接支えたいと、願望が募ってどうしようもなくて……実体化を、選びました」
 どこまで忠誠心が高いんだ。高すぎて、あふれて、なおも満たそうとしてくる。
 白い手袋に覆われた手が、頬に辿り着く。つうっとなぞられて嫌悪感を抱くべきなのに、鼓動が速さを増していく。
「これからも、私を頼ってください。お疲れになったら遠慮なく、私に寄りかかってください。どんな文秋さんも、私は受け止めます」
 満面の笑顔が残像のように焼きついて、いくら瞬きをしても消えそうにない。
 変に浮き立つ気持ちを悟られたくなくて、何とか言葉をつなぐ。
「ありがとう。でも、無理だけはしないでくれよ。藍くんにも怒られるしな」
「……藍は、関係ありません」
 自らつぶやいた内容に驚いたのか、すぐにいつもの柔和さを取り戻してリビングへと促される。
 それでも、顔を逸らした時に一瞬浮かび上がった「無」の表情が、やけに印象に残った。

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