星空と虹の橋の小説を掲載しています。

更新履歴

No.155

20240113180210-noveladmin.jpg

(画像省略) 朝から、なんだか全身が重だるいとは思っていた。 気のせい。熱も出て…

探偵事務所所長×部下シリーズ

探偵事務所所長×部下シリーズ

こんな日は素直に休みましょう


20240113180210-noveladmin.jpg


 朝から、なんだか全身が重だるいとは思っていた。
 気のせい。熱も出ていない。栄養ドリンクの力があれば一日乗り切れるぐらいの違和感。そう言い聞かせて出勤したものの、時間が経つにつれて重さはどんどん増していき……。
「ちょ、(のぼる)くん!?」
 一休みしようとソファに腰掛けた瞬間、ぐらりと視界が揺れる。身体が傾いていくのを理解しているのに抗えない。
 所長の声にも応えられず、記憶も途切れた。

  * * * *

「あれ、おれ……」
 ふと目を開けると、職場でも自宅でもない壁がぼんやりと映った。ただ、最近は見慣れつつある。
「あ、目が覚めた?」
 声をした方に首を動かすと、所長が手にしたお盆を傍らのテーブルに置きながら腰を下ろした。明らかに安堵した様子で頭を優しく撫でてくれる。
「全く、びっくりしたよ。昇くん、事務所で倒れたの覚えてる?」
「えっと、なんか急に力が抜けたのは……」
「熱が出てたよ? 朝からあったんでしょ」
「いえ、朝は全然。ちょっとだるいなーくらいで」
 所長は溜め息をついて、おれの鼻を軽くつまんだ。
「それは立派な体調不良なんだから休んでください。所長命令です」
「……ごめんなさい。今日は梓さんが有休取ってたんで、お休みするわけにはいかないと思って」
 おれが勤める探偵事務所は、所長である諸見雪孝(もろみゆきたか)さんとおれ、三浦昇(みうらのぼる)、女性で先輩の田野上梓(たのうえあずさ)さんの三人で切り盛りしている。忙しいときはとことん忙しく、暇なときは今日臨時休業にすればよかったと所長が漏らすくらい暇な、たぶん一般的な事務所だ。
 おれは入所して二年くらいしか経っていないが、その間に所長と恋人同士になるとは想像もしていなかった。今では、年上なのに独占欲強めな彼のことが(ときどき呆れつつも)愛おしく、可愛くも思っている。
「今日は来客予定もないし、書類整理と締め切りがずいぶん先の調査ぐらいしかやることないから大丈夫だよ」
 それもわかってはいたが、探偵事務所という性質上、突然仕事が舞い込むことだってある。
「そういえば所長、事務所は?」
「今日はもう閉めたよ。君が心配だし、さすがに一人にしておけないから」
 結局迷惑をかけてしまった。謝るしかできないおれに、所長は布団をぽんぽんと叩く。
「この間まで忙しかったし、疲れが出たのかもね。僕もいい休暇になるよ」
「看病が、ですか?」
「なるよ~? だって恋人を思いっきり甘やかせるんだもん」

 所長――雪孝さんがウインクしながらの笑みを向けてくる。おれを元気づけるための態度だとわかっているから、素直に受け取った。
「いつも君に怒られてばっかりだから、こういうところでポイント稼がないとね」
「それは所長のせいです」
「職場で抱きついたりキスしようとしたりするから?」
「自覚あるならやめてもらいたいもんです」
「うんうん。口はいつもの昇くんだ」
 まるで子ども扱いだが、風邪で弱っているからか変にくすぐったく感じる。
「あ、お粥持ってきたんだけど食べられる? 薬飲んでほしいから、ちょっとでも食べてもらいたいんだけど」
 あまり食欲はないが、相変わらず心配顔の雪孝さんを少しでも安心させたいし、早く治すためにも従うことにする。
 雪孝さんに背中を支えられながら身体を起こすと、予想以上の怠さに驚いてしまった。朝、出勤できたのがとても信じられない。
「こういうとき、お粥手作りしましたーって言えたら格好いいのにね」
 おれも人のことは言えないが、料理はからっきしな雪孝さんだ。
「……雪孝さんが、こうしてそばにいてくれるだけで、嬉しいです」
 熱がもっと上がりそうで顔は見られないが、それだけは伝えたい。仮に休んでいたとしても、一人きりでは心細くて、雪孝さんにわがままを言ってしまっていたかもしれない。
「今日はずいぶん素直だね、昇。風邪引いてなかったらこのままたっぷり可愛がるのに、惜しいなぁ」
 残念なような、体調不良で助かったような……。
「あ、でも」
 頬を包んできた雪孝さんの唇が、きれいな三日月を描く。
「治ったら覚悟しておいてね?」
「……が、がんばり、ます?」
 かなりズレた返事をしてしまった。吹き出した雪孝さんを無視して、お粥の盛られた器に手を伸ばす。
「あ、だめだめ。僕が食べさせたいの」
 言葉を詰まらせるおれに、雪孝さんはレンゲでお粥を掬い、息で冷ましてから笑顔で口元に持ってきた。
「はい、あーん」
 漫画で見たベッタベタのシチュエーションを、まさか自分で体験する羽目になるとは……。
 しかし、無下に断るのも引ける。
「あ、あーん……」
 目をつぶって口を開けると、静かにお粥が流し込まれた。控えめな塩気がちょうどよい。
「どう? 味わかる? まだ食べられそう?」
 頷くと、雪孝さんは再びレンゲを口元に持ってきた。あからさまにわくわくしていてますます羞恥心が募るも、どうにもできないから結局お世話を受け続けるしかない。
「あ、ごめん。ちょっとこぼしちゃったね」
 そろそろお腹いっぱいかも、というタイミングでレンゲが離れたあと、受け止めきれずに口端からわずかにお粥が垂れてしまった。ティッシュが見当たらないので、行儀は悪いが舐め取ってしまおう。と思っていたのに。
「っ、ん!?」
 ぬるりとした感触が、その箇所を拭う。そのまま唇全体をなぞって、離れた。
 呆然と雪孝さんを見つめると、確信犯にしか見えない笑顔が浮かんでいる。
「我慢できなくてやっちゃった」
「……っ、風邪うつりますから!」
「そうしたら昇に看病してもら」
「『仕事増やすな』って梓さんにキレられますよ」
 雪孝さんは一瞬で真顔になる。そのまま軽く咳払いをして、薬を用意してくれた。コップに注がれた水は当然雪孝さんが飲ませてくれた。
「今日は泊まっていって、明日も休むこと。別に忙しくないし、梓くんも来るし。いいね?」
 おれが素直に頷くと、頭をひと撫でしてから部屋を後にした。
 からかう態度も多かったが、たぶん自己嫌悪に陥らないよう気を遣ってくれたのだと思う。そういう面を目にするたび、やっぱり彼は「年上」なのだと実感する。
 ――早く治そう。そして今度はおれが雪孝さんを助けよう。
 目を閉じると、あっという間に意識が途切れた。


 二日後、何とか復活したおれに、梓さんが「私のおすすめ」と評したお菓子をプレゼントしてくれた。
 同時に、ある密告ももらう。
『昨日の所長はずっとそわそわしていて、仕事依頼に来た桐原(きりはら)さんにも呆れられてた。体調悪いときは素直に休みなさい』
 ……無理は禁物。いろんな意味で肝に銘じることにした。