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No.11
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西山と一緒にいる間、密かに混乱している。
具体的には、西山という男がわからなくなっている。
「今日はさ、この店で食おうかと思うんだけどどう?」
スマホに表示されている口コミページの店名を見てすぐにピンと来た。
「ここ、おれが前に気にしてた……」
「そう。ネットで調べてみたら、隠れた名店って感じらしいぞ。地元の人は大体知ってるらしい」
「じゃあ、予約しないときついんじゃないか?」
「ばーか。この俺がしてないわけないだろ?」
「……さっすが」
茶化しながらも、内心は変にどきどきして仕方がない。
「一ヶ月、試しに恋人として付き合う」約束を交わしてから、見たことのない西山が顔を出すようになった。
恋人相手だからと言われればそれまでだが、例えば今のように優しい面が目立つようになった。元々そういう性格ではあるものの、頻度が高い。
おまけに、やたらスマートだ。つい自分と比べて落ち込みたくなるくらい、まるで女性側の立場に置かれたかのような錯覚に陥る。押しつけがましくない雰囲気を醸し出すのが原因とわかっているのに、当たり前に享受してしまう。
会社にいる時は相棒関係のままなのに、一歩外を出たらさりげなく変わる。
……正直、やたらベタベタしてきたり、甘い言葉でも囁きまくったりするのかと思っていた。西山からすれば勝負の一ヶ月、何が何でも自分に惚れさせたいはずなのだ。
「お、着いたぞ」
おしゃれ過ぎないカフェのような外観だった。木製の引戸と入口近くにある手書きの看板がいいレトロ感を醸し出している。深緑の外壁に沿って並べられた椅子に、一組のカップルと男性の二人組が腰掛けていた。
「やっぱ予約しといてよかったな」
「うん。ほんとありがとな」
こちらを得意げに振り返る西山に、少しだけほっとした。
+ + + +
店を後にして、身も心もほくほくしながら駅までの道を歩く。頬を撫でる夜風がとても心地いい。
「すっげーうまかったな。値段も手頃で財布に優しいし」
「ほんとほんと。あのハンバーグ! 写真で見てうまそうって思ってたけどその通りすぎてたまらなかった~」
「お前のリアクション見てて、別のやつ注文したのちょっと後悔したわ……」
「まあまあ、また来ればいいじゃん。おれもまた来たいし!」
普段のノリで答えたつもりだった。実際、そんな雰囲気だった。
「……本当に?」
自然と距離を詰められる。
ひゅっと、短く喉が鳴った。
触れ合った手を軽く握り込まれる。大切なものを扱うような、強引さのない力加減。
思わず見上げた先に、相棒でない西山がいた。
「にし、やま」
「俺が誘ったら、また来てくれるのか?」
込められた意味は明らかだった。
来たい気持ちだけは嘘じゃない。でも、意味は違っている。
一度、乾いた喉を動かした。
「……行くよ」
目線を下ろして、呟く。
力加減が変化した。ぬくもりがさらに強まる。
「っな、なに?」
右耳にかすかな吐息を感じた。
「よかった。俺も、同じ気持ちだったんだ」
『西山くんって結構いい声してるよねー』
『あんたもそう思ってた? こう、普段話してる時はそうでもないんだけど、特にプレゼンの時とかいいよねー!』
この間偶然聞いた噂話を思い出してしまった。
低すぎない、通りのいい声だ。こんな時でなければ落ち着くような……。
――何を分析しようとしてるんだ!
「も、離れろよ……!」
身を捩って懇願しても聞き入れる気がないのか、ぬくもりが消えてくれない。
「何でそんなに緊張してんだよ。お前にとって、俺は相棒なんだろ?」
「場所考えろって言ってんだよ……!」
いきなりずるい。油断した。抵抗らしい抵抗もできないままいいように翻弄されている。
ようやく、言うことを聞いてくれた。左右の体温が違いすぎて、うまく歩けているかわからない。
「びくびくしちゃって、小動物みたいで可愛いの」
必死に睨みつけてやったのに、当人は涼しい顔で笑うだけ。思い込みでなければ、どこか上機嫌にも見える。
悔しい。完全に主導権を取られている。
おれもおれだ、何であんな、過剰に反応してしまったのか。
不意打ちのせい、場所をわきまえなかったせいと懸命に言い聞かせた。
こんなのは気の迷いだ。いきなり迫られたから混乱しているだけなんだ。
そう思っていたのに、あれからさらに変なところばかりが目についてしまう。どれもわかりやすすぎるからどうしようもない。
少し例を挙げれば、ちょっといいなと思った芸能人を褒めるとどこか面白くない顔をしたり、会社の人間と談話している姿を見られたら「楽しそうだったじゃないか?」とストレートに探りを入れてきたり、話をしたいからとメッセージではなくわざわざ電話を入れてきて、回数も明らかに多かったり。
まるで周りからじわじわ攻められているようだし、実際そのつもりなのかもしれない。
わかっていながら、避けきれていない自分がいる。
「そういや、最近よく一緒にいるよな。お前と西山」
久しぶりに同じ部署の先輩二人と昼食に出かけて安息を得ていたのもつかの間だった。あさっての方向からストレートを食らった気分になりながらも、何とか口の中の物を飲み込む。
「そうですか? 特に変わらないと思いますけど」
「そうかー? んー、そうなのかな……」
「いやいや、お前と昼久しぶりに食うぞ俺。西山いると先超されてばっかよ」
件の人物は朝から外回りに出ている。急遽予定を入れられてしまったらしく、昨夜軽く愚痴られた。
「仲いいのは知ってるけど、ここんとこさらにって感じじゃん?」
期間限定の恋人同士だからでしょうか、とはもちろん言えない。
「まあ、白石の同期はあいつしかいないもんな。相棒みたいなもんだろ?」
「そう、ですね。あいつがいると頼もしいですし」
素直な気持ちがこぼれて、はっとする。無理に関係が変わっている今でも、彼への尊敬やライバル心は変わることなく存在しているらしい。
「俺からしたら羨ましいよ、お前らの関係。なんか、何があっても不動って感じ」
「わかるわかる。だからペアで仕事回ってくるんだろうし」
ありがたいです、と心持ち小さくなってしまった声で呟くのが精一杯だった。
微妙な味になってしまった昼食を終えて会社に戻る途中、ズボンのポケットから短い振動が来た。
『今会社に着いたんだけど、もう昼って食った?』
半ば予想通りの内容が画面を占領している。
『終わって会社に戻るとこだよ』
『マジかー。もう少し早く戻れれば一緒に食えたのに』
悔しそうな声が脳内で再生できてしまう。別に一日くらい、と呆れる気持ちは確かにあるのに、口元が緩みそうになるのはなんでだろう。
「おー、西山お疲れ。これからメシか?」
エントランスをくぐったところで、リアルタイムで会話している男と鉢合わせになった。
「お疲れ様です。はい、一人寂しく食ってきますよ」
西山がちらりと視線を送ってきた。別に悪いことをしているわけではないのに変に後ろめたい。
「今日はお前がいなかったから久々に白石誘えたよ~。全く、たまには譲れよなー?」
西山の肩に手を置いて、先輩はわざと芝居がかった言い方をする。とりあえずものすごく恥ずかしい。
「ダメですよ~」
隣に並んだ西山に、軽く抱き寄せられた。
「大切な同期同士、いろいろ話すことがあるんですから」
「はいはい、お熱いこって」
肩に置かれた手に、わずかに力が込められる。
冗談ではないと知っているからこそ、乾いた笑いをこぼすしかなかった。