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No.18
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初めての同居生活は、男同士でもどこかくすぐったく感じるらしい。
朝は見送ってくれる。帰ってくると、洗濯は済んでいて夕飯もできている。「気をつけて」「おかえり」という声が絶対にある。
最近は、昼は外食ばかりだというのを気にして、弁当まで用意してくれるようになった。
互いへの緊張感はだいぶ薄れてきたように思うが、朔の表情には未だ悲痛の影が纏わりついている。時折見せてくれるようになった笑顔も心からのものではない。
『っ、う……』
『朔さん、朔さん』
『やめ……も、いや、だ……』
時々、夜中にうなされている姿を知ってから、ますます秘められたままの「自殺したい理由」を知りたくなる。
けれど、無理に聞き出すだけの度胸はなかった。
少しでも口にすれば、この生活が終わってしまいそうな予感がしたのだ。
――何となくの形で続いている朔との日々を、今はなくしたくないと思っている。
* * * *
「そうだ、朔さん。オレ、今日夕方のバイトないんです。どっか食いにいきません?」
弁当箱におかずを詰めていた朔は、不思議そうにこちらを見返してきた。
「……なに、敬語?」
「だって、朔さんオレより年上だから」
昨日の夜に昔好きだった漫画の話になり、世代のズレを感じて年齢を発表しあったら、互いに驚く結果が待っていた。
朔は同い年くらいだと認識していて、自分は年下だと思っていた。
そういえば、彫りの深い顔とよく評されているせいか、昔から年上に見られがちだった。
対する朔はすっきりとした顔立ちをしているが、丸い瞳と、耳まで覆う髪型で若く見える。
「今さらだし、俺は別に気にしないよ」
「……いや。オレが気になっちゃうんで。すいません」
「守田くんって結構真面目だよね」
口元をわずかに緩め、瞳が柔らかな弓形を描く。一際大きく跳ねた心臓の音がどうか伝わらないようにと、つい祈ってしまう。
最近、ふいに見せてくれる自然な表情や仕草のひとつひとつに、余分な反応をしてしまうことが増えた。心臓はおろか顔も熱くなったりすると戸惑いさえ生まれる。
そういった「症状」に心当たりが全くないと言い切れないから、余計に。
「食べに行くのはほんとにいいよ。この間、さんざん出前食いまくったし」
「でも、いつも家事してもらって申し訳ないし」
「守田くんの家に居させてもらってる立場なのに?」
そもそも、無理やりここに引き留めているのは自分だ。だからこそ何か返したい。
その気持ちがにじみ出ていたのか、朔はやれやれというように苦笑した。
「じゃあ、夕飯作り手伝ってくれるか? 買い物とか、意外と大変なんだ」
「わかりました」
共同作業は初めてだ。思ったより浮かれている自分がいた。
+ + + +
梅雨真っ只中でさっぱりしたものが食べたいと、冷やし中華をメインに二、三品作ることにした。
彼の作る料理はシンプルだが味付けはちょうどよく、まさに「家庭の料理」というお手本にふさわしいものばかりで、つい食べすぎてしまう。
それはしっかり把握されていたらしく、二人分にしては買い込む食材が多かった。彼が大変だとこぼしていた理由を改めて理解して、嬉しくも申し訳なく思う。
「包丁使い慣れてたな。もしかして料理得意?」
酢をベースにしたタレは初めてだったが、さっぱりしていてとてもおいしい。
「大学ん時から一人暮らしなんで、慣れてるってだけです。朔さんには敵わないです」
「あれだけ使えれば全然大丈夫だよ。俺は料理好きな方ってだけだから」
料理が好き。また、彼のことをひとつ知れた。
「……なら、これからもずっと朔さんに作ってもらおうかな」
本当に自然に、唇からこぼれ落ちていた。
出会って間もない男に対して言う言葉じゃない。きっと変に思われる。うまく受け流すなりしないと、空気が変わってしまう。
「馬鹿だな、そういうのは彼女にでも言ってやれ」
向かいの朔は冗談だと受け取ったようだった。当然の対応にほっとした……ではなく、残念に感じている事実にまた、動揺する。
――おかしい。これじゃまるで、俺が朔さんを……
「彼女、いないっすよ」
「へえ。守田くん優しくて頼りがいあるし、モテそうなのに」
「見た目が近寄り難いってよく言われるから、そのせいかなと。そう言われてもどうにもできないんで、もういいかなって」
もともとそこまでの欲はなかったが、今は顕著だ。
それは朔がいるから? 朔の存在に、満たされているから?
「朔さんこそ、彼女いそうだけど」
「……俺は、いないよ。ずっとね」
合っているけれど合っていない。そんな続きが、聞こえた気がした。
「大体、いたらここで世話になってないだろー?」
不自然にテンションを上げたとわかる、微妙にうわずった声だった。気づかないふりをして相槌だけをうつ。
「男のために飯作ったり洗濯したりしないで、彼女のもとに行ってますね」
敢えてふざけてみせると、朔は弱々しく笑い返した。
+ + + +
ふいに、まぶたが持ち上がる。
隣から、苦痛に支配された声が聞こえた気がした。上半身を起こして隣を見やると、うつ伏せでもがく姿があった。
「朔さん、朔さん。大丈夫か?」
常夜灯をつけると、朔はシーツを握りしめて激しく顔を歪ませていた。まるで急所を刺され、耐えきれない痛みと戦っているかのような状態だ。
こんな表情は初めて見た。どれだけの恐怖が、彼を飲み込もうとしているのか。
「……や、めろ……」
肩を揺らしていた手が、止まる。
「ちか、よるな……俺は、俺は……もう」
誰かから逃げている? それは、彼がひた隠しにしている事情と関係があるのか?
「いやだ……もう……解放して、くれ……!」
絞り出すようなか細い叫びに、一層強く身体を揺らして名前を呼ぶ。早く現実へ戻すべきだと、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
「……っ、あ?」
一度息を詰めて、朔はうっすらと目を開けた。呼吸を失敗して咳き込む彼に、背中を支えながら水を差し入れる。大きく上下を繰り返す細い肩が、いつにも増して痛々しい。
「ゆっくり、落ち着いて。ここには、オレしかいません」
今までは、うなされていても声をかけてやるか、少し時間が経てば規則正しい寝息を取り戻していた。
一体、どんな夢を見ていたんだ。
何が、あなたを引きずり込もうとしていたんだ。
ようやく落ち着いてきた彼はぼんやりとこちらを捉えて、名前をつぶやいた。
「オレです。大丈夫ですか?」
それがスイッチになったかのように、朔はカップを放り投げると自らを固く抱きしめた。連れ帰った夜のことを思い出す、すべてを拒絶する体勢だ。
「こわ、い……俺は、いやだ……もう」
「朔さん!」
思わず強く抱き寄せた。子供をあやすように背中をゆっくり撫でる。
「大丈夫だから、ここにはオレとあんたしかいない。あんたが見ていたのは夢だ、現実じゃない」
どんな夢かはわからない。でも、何でもいいから解放されてほしかった。自分だけを、感じていてほしかった。
背中に回されたぬくもりが、死ぬほど嬉しかった。震えた手で服を握りしめる感触に、心臓が高鳴った。
ああ、やっぱりこのひとが好きなんだ。
このひとを、どんなものからも守ってやりたいんだ。
抱擁を解くと、朔は涙に濡れた双眸をこちらに向けた。零れ落ちそうなことに気づいて親指で拭うと反射的にまぶたが降りる。
気づくと、唇を重ねていた。
くぐもった短い声が口内に響く。それでも、抵抗はなかった。角度を変えてみても朔はおとなしく、なすがままだ。
もっと、深くつながりたい。
朔の顎に添えた指に力を込めて、吐息の注がれるその箇所に舌を伸ばす。無抵抗なだけかと思った瞬間、先端に触れる感触が確かにあった。
背中に指すべてを滑らせて、返ってきた舌を絡め取る。自分こそ、夢を見ているようだ。
「……っ、俊哉、さん……」
呼吸のついでに、名前をささやく。
つい招いた自惚れが、夢の終わりの合図だった。
「や、めろ……!」
突き飛ばされた。突然のことに呆然としていると、目の前の朔は胸元をぎゅっと握りしめて小さく震えていた。
「す、みませ……」
うまく口が回らない。傷つけた、すでに傷ついているこの人に、さらに傷を負わせてしまった。
謝っても謝りきれない。何をやっても上辺にしかならない。
「オレ、ちょっと、頭冷やしてきます」
歩きながら思わず見上げた夜空は、雲ばかりに支配され輝きが見えない。
照らしてほしかった。つい生まれてしまった邪な感情を、すべて浄化してほしかった。