カテゴリ「ワンライ」に属する投稿[36件]
回数の多いサプライズ
深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「③感激」を使いました。
BL小説『ただずっと、隣で笑い合っていたいから、』 の番外編な感じで書きました。
-------
ある日のこと。
「白石、ほら。このシャツ欲しがってたろ? やるよ」
「え、いいの? マジ? ってかそこそこ高いやつだけど」
「お前が絶賛してたの気になって買ってみたからついで」
またある日のデート中。
「じゃーん。これなんだと思う?」
「……え、これアレじゃん! 限定の! な、なんで!?」
「お前がめっちゃ悔しがってたから探しまくって手に入れたんだよ。ちゃんと定価でな」
「よ、よく見つけたな……って、え? おれが、ってことは」
「そ。お前にプレゼント」
「いやいや金払わせろって! 上乗せさせろ!」
「いーのいーの。俺が勝手にやったことだから」
大なり小なり、こんなサプライズが定期的に続いている。
プレゼントだけではない。例えば自分が「ここ行ってみたい」と口にしたが最後、うっすら忘れかけた頃に仕掛けてくる。値段もおかまいなしに、だ。
そりゃあ嬉しくないわけはない。西山がいつも本心からしてくれているのをわかっているから素直に受け取っている。
しかし「なぜ」という疑問が湧いてくるのもまた自然だし、単純に西山の懐も気になってしまう。お返ししたいのにそれもさせてくれないのはもはや苦しくさえ思う。
恋人に喜んでほしいのは、自分だって同じなのに……。
ひとつ思い当たるのは、原因こそ不明なれどなにか悩みがあるのかもしれないこと。
いや、こちらにその原因があると考えた方がいいだろう。
そうとなれば早速行動に移さないと、西山が心配だ。
「ありがとう。ところで話がある」
西山の家で、ずっと食べたかったお菓子をありがたく一つつまんだあと、そう切り出した。
「……白石?」
満足そうな笑顔が瞬時に曇る。深刻な雰囲気を出したつもりはないのだが、気負いすぎたのだろう。軽く肩を上下させる。
「お前、なにか悩んでるんじゃないか?」
敢えて直球勝負に出てみた。あくまで推論に過ぎないものの、こういう時のカンはわりと当たる。
「え、悩みって」
「サプライズしすぎ。そりゃ嬉しいけど、おれが仕掛ける隙もないじゃん」
目の前の顔が明らかに強張った。
「迷惑、だったか? それか退屈か」
「どれもハズレ。だったらとっくに見破ってるだろ?」
負のループにハマりかけている。恋人の関係も加わってから今に至るまで結構順調だと思っていたのは自分だけだったのか? 今になって不安が湧き出てきた。
「おれ、何かやらかした? ならごめん、情けないけど教えてもらえると」
「違う。……ごめん、やっぱりあからさま過ぎたな」
誤ると、西山は両肘を立てた腕の中に頭をしまい込んで短く呻いた。
「絶対、笑うなよ」
少しして聞こえてきた言葉は、予想外の内容だった。気が抜けた、というより先が読めなさすぎて身構え方がわからない。
「俺たち、付き合ってもうすぐ一年経つよな」
「あ、ああ……そういえば」
「お前ってほんと、そういうの気にしないね」
「ご、ごめんって。で、それが関係してるのか?」
よほどためらっているのか、なかなか返答がない。ここは下手にフォローしない方がいいと判断して我慢して待ち続ける。
「……マンネリ、するかもって」
ひどくか細い声だった。
「まんねり?」
さっきのを上回る予想外っぷりだった。
「わかってる。俺がネットの記事なんか簡単に信じたのがバカだったんだ。ほんのちょっと不安だった時にそんなの読んじゃったから。そうじゃなくても一年って相手のいいとこも悪いとこも大体わかってきて落ち着いてくる頃だろ。友達でも恋人でもそう変わらないって告白した時は言ったけどちょっとは違う部分もあるからさ」
必死に弁明を続ける西山に、だんだん約束を反故してしまいそうになってきた。単純に可笑しくて、というよりも可愛くて、だ。多分口元はもう緩んでいると思う。
「マンネリを少しでもなくしたいから、いろいろサプライズしてくれたんだ?」
言葉が途切れたタイミングで、尋ねる。頭が小さく動いた。
「サプライズしてくれる前のおれ、そんな感じしてた?」
「……それは」
「もちろん、おれは全然そんなこと思ってなかったよ。なのに勝手に心配してたんだ〜」
ほんのちょっぴり意地悪したくなってしまった。それだけ西山に愛されている証でもあるが、疑われてしまった証明でもある。
ようやく頭を持ち上げた西山は、羞恥とショックを雑にかき混ぜたような表情をしていた。ドラマで恋人にしょうもない理由で捨てられた相手の姿を思い出す。
「笑わないって、言ったじゃないか」
「え、おれ、笑ってる?」
「茶化すなよ。そりゃ自分でもどうしようもないって言ったけど、本気で不安だったんだからな」
「でも、ただの取り越し苦労だったろ?」
わかりやすく押し黙る西山がますます可愛い。普段そう言われるのは自分だから、言いたくなる気持ちが初めてわかった。
それでもいい加減腕を引いてやらないと、デリケートな男はますます袋小路に迷い込んでしまう。この役目は出会った頃から変わらない。
身を乗り出して、テーブル越しにそっとキスを送る。
「おれの気持ちは、恋人同士になってから確かに変わったよ」
明らかにマイナスな捉え方をしている西山を優しく小突く。
「ばか。ますます好きになってるってこと。お前とこういう関係にもなれて、よかったって本当に思ってる」
付き合いしだしてしばらくは、不安がなかったわけではない。
今は違う。一日一日を過ごしていくうちに、友人だけだった関係の時とはいい意味で違う空気を得て、素直に受け入れられていた自分がいた。それが何日、何ヶ月も続いて、ようやくお互いの言葉が間違っていなかったと飲み込めるようになった。
この関係を失うなんて、もう考えられない。
「……俺も、同じだ。同じだよ、白石」
隣に来た西山に、固く抱きしめられる。あやすように背中をぽんぽんと叩くと、肩口に頭をすり寄せてきた。
「勝手に不安になって、本当にごめん。白石のことちゃんと見てるつもりだったのに、全然だ」
「全くだよ。普段のお前なら余裕なのに」
「やっぱり白石がいてくれないと、俺はダメだな。絶対離してやれないから、改めて覚悟してくれよ?」
「言われなくたって」
そして向けられた笑顔は、同じ男としてちょっぴり腹立つも見惚れるいつもの格好いいものだった。
#[BL小説] 畳む
深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「③感激」を使いました。
BL小説『ただずっと、隣で笑い合っていたいから、』 の番外編な感じで書きました。
-------
ある日のこと。
「白石、ほら。このシャツ欲しがってたろ? やるよ」
「え、いいの? マジ? ってかそこそこ高いやつだけど」
「お前が絶賛してたの気になって買ってみたからついで」
またある日のデート中。
「じゃーん。これなんだと思う?」
「……え、これアレじゃん! 限定の! な、なんで!?」
「お前がめっちゃ悔しがってたから探しまくって手に入れたんだよ。ちゃんと定価でな」
「よ、よく見つけたな……って、え? おれが、ってことは」
「そ。お前にプレゼント」
「いやいや金払わせろって! 上乗せさせろ!」
「いーのいーの。俺が勝手にやったことだから」
大なり小なり、こんなサプライズが定期的に続いている。
プレゼントだけではない。例えば自分が「ここ行ってみたい」と口にしたが最後、うっすら忘れかけた頃に仕掛けてくる。値段もおかまいなしに、だ。
そりゃあ嬉しくないわけはない。西山がいつも本心からしてくれているのをわかっているから素直に受け取っている。
しかし「なぜ」という疑問が湧いてくるのもまた自然だし、単純に西山の懐も気になってしまう。お返ししたいのにそれもさせてくれないのはもはや苦しくさえ思う。
恋人に喜んでほしいのは、自分だって同じなのに……。
ひとつ思い当たるのは、原因こそ不明なれどなにか悩みがあるのかもしれないこと。
いや、こちらにその原因があると考えた方がいいだろう。
そうとなれば早速行動に移さないと、西山が心配だ。
「ありがとう。ところで話がある」
西山の家で、ずっと食べたかったお菓子をありがたく一つつまんだあと、そう切り出した。
「……白石?」
満足そうな笑顔が瞬時に曇る。深刻な雰囲気を出したつもりはないのだが、気負いすぎたのだろう。軽く肩を上下させる。
「お前、なにか悩んでるんじゃないか?」
敢えて直球勝負に出てみた。あくまで推論に過ぎないものの、こういう時のカンはわりと当たる。
「え、悩みって」
「サプライズしすぎ。そりゃ嬉しいけど、おれが仕掛ける隙もないじゃん」
目の前の顔が明らかに強張った。
「迷惑、だったか? それか退屈か」
「どれもハズレ。だったらとっくに見破ってるだろ?」
負のループにハマりかけている。恋人の関係も加わってから今に至るまで結構順調だと思っていたのは自分だけだったのか? 今になって不安が湧き出てきた。
「おれ、何かやらかした? ならごめん、情けないけど教えてもらえると」
「違う。……ごめん、やっぱりあからさま過ぎたな」
誤ると、西山は両肘を立てた腕の中に頭をしまい込んで短く呻いた。
「絶対、笑うなよ」
少しして聞こえてきた言葉は、予想外の内容だった。気が抜けた、というより先が読めなさすぎて身構え方がわからない。
「俺たち、付き合ってもうすぐ一年経つよな」
「あ、ああ……そういえば」
「お前ってほんと、そういうの気にしないね」
「ご、ごめんって。で、それが関係してるのか?」
よほどためらっているのか、なかなか返答がない。ここは下手にフォローしない方がいいと判断して我慢して待ち続ける。
「……マンネリ、するかもって」
ひどくか細い声だった。
「まんねり?」
さっきのを上回る予想外っぷりだった。
「わかってる。俺がネットの記事なんか簡単に信じたのがバカだったんだ。ほんのちょっと不安だった時にそんなの読んじゃったから。そうじゃなくても一年って相手のいいとこも悪いとこも大体わかってきて落ち着いてくる頃だろ。友達でも恋人でもそう変わらないって告白した時は言ったけどちょっとは違う部分もあるからさ」
必死に弁明を続ける西山に、だんだん約束を反故してしまいそうになってきた。単純に可笑しくて、というよりも可愛くて、だ。多分口元はもう緩んでいると思う。
「マンネリを少しでもなくしたいから、いろいろサプライズしてくれたんだ?」
言葉が途切れたタイミングで、尋ねる。頭が小さく動いた。
「サプライズしてくれる前のおれ、そんな感じしてた?」
「……それは」
「もちろん、おれは全然そんなこと思ってなかったよ。なのに勝手に心配してたんだ〜」
ほんのちょっぴり意地悪したくなってしまった。それだけ西山に愛されている証でもあるが、疑われてしまった証明でもある。
ようやく頭を持ち上げた西山は、羞恥とショックを雑にかき混ぜたような表情をしていた。ドラマで恋人にしょうもない理由で捨てられた相手の姿を思い出す。
「笑わないって、言ったじゃないか」
「え、おれ、笑ってる?」
「茶化すなよ。そりゃ自分でもどうしようもないって言ったけど、本気で不安だったんだからな」
「でも、ただの取り越し苦労だったろ?」
わかりやすく押し黙る西山がますます可愛い。普段そう言われるのは自分だから、言いたくなる気持ちが初めてわかった。
それでもいい加減腕を引いてやらないと、デリケートな男はますます袋小路に迷い込んでしまう。この役目は出会った頃から変わらない。
身を乗り出して、テーブル越しにそっとキスを送る。
「おれの気持ちは、恋人同士になってから確かに変わったよ」
明らかにマイナスな捉え方をしている西山を優しく小突く。
「ばか。ますます好きになってるってこと。お前とこういう関係にもなれて、よかったって本当に思ってる」
付き合いしだしてしばらくは、不安がなかったわけではない。
今は違う。一日一日を過ごしていくうちに、友人だけだった関係の時とはいい意味で違う空気を得て、素直に受け入れられていた自分がいた。それが何日、何ヶ月も続いて、ようやくお互いの言葉が間違っていなかったと飲み込めるようになった。
この関係を失うなんて、もう考えられない。
「……俺も、同じだ。同じだよ、白石」
隣に来た西山に、固く抱きしめられる。あやすように背中をぽんぽんと叩くと、肩口に頭をすり寄せてきた。
「勝手に不安になって、本当にごめん。白石のことちゃんと見てるつもりだったのに、全然だ」
「全くだよ。普段のお前なら余裕なのに」
「やっぱり白石がいてくれないと、俺はダメだな。絶対離してやれないから、改めて覚悟してくれよ?」
「言われなくたって」
そして向けられた笑顔は、同じ男としてちょっぴり腹立つも見惚れるいつもの格好いいものだった。
#[BL小説] 畳む
小さな地獄と大きな宝物

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「②洗い物」を使いました。
BL小説『俺はエメラルドのご主人様じゃない!』 の番外編な感じで書きました。
-------
おかしい。
気づけば、翠の姿を見ていない。
「翠ー?」
呼びかけに返る声は、部屋にも頭の中にもない。
恋人兼、従者(と言って譲らない)のエメラルドの化身である翠(すい)は、断りなく主の前から姿を消す男では決してない。……いや、ケンカをした場合は除く、だったか。
至って普通の、休日の朝を迎えていた。翠のキスで起こされ、のろのろと部屋着に着替え終わる頃には朝食がテーブルに並べられていた。この後はのんびり遠出しながら買い物をすませよう、なんて会話を交わしていたはず。お互い、不機嫌になるような要素はひとつもなかった。
「……藍くーん。っていないか」
双子の弟である、アクアマリンの化身である藍(あい)の名前を呼んでみるが反応はない。主である天谷千晶(あまやちあき)のお店に出勤しているのかもしれない。
双子が会っているという線が消えた、ということは……。
「翠、いるんだろ?」
それでも反応はない。全く理由がわからず、次第に変な苛立ちと不安がない交ぜになっていく。
「……主人を、意味もなく放っておくのか?」
なるべく対等の立場でいたい自分にとってあまり使いたくない手だったが、忠誠心の高い彼なら百パーセント効果があるに違いない。そう信じていたのだが……。
——最終手段もダメとか、よっぽどのことが起きたらしい。
たまに翠は、「大げさすぎだ」と突っ込みたくなることでひどく思い詰める癖がある。理由を尋ねると知らぬところで自分が原因の元であるパターンが多いのだが、今回もそうなのだろうか。
張本人から探れないのなら、自らが探っていくしかない。
改めて、起床してからの流れを思い返してみる。朝食を終えて、翠はいつも通り洗い物に、自分はテレビを観ながら出かける準備をしていた。
——翠が消えたのは、洗い物が終わった後ぐらいか。
わずかな望みをかけて台所に向かう。翠と暮らし始めてからあまり立たなくなってしまった自分でもわかるほど、いつでもゴミひとつない……
「あれ?」
違う。今回はたったひとつだけ、違和感がある。
その違和感に手を伸ばして、なんとはなしに観察してみる。
「……あ、欠けてる?」
数ヶ月前、いつも頑張ってくれている翠にお礼がしたくて、透き通るエメラルド色で飾られたガラスのコップをプレゼントした。彼と一定の距離以上は離れられない生活でサプライズを仕掛けるのは至難の業だったが、通販に大いに助けられた。
『毎日水を飲ませていただきます! ……本当に、本当にありがとうございます、文秋』
涙を浮かべるほどに喜んでいた翠。
宣言通り、ほんの少量だとしても毎日欠かさず使っていた翠。
そういえば朝もニコニコとコップを使っていた。
「間違いなく原因はコレだな」
「申し訳ございませえええぇぇぇん!!」
これから切腹でもされそうなほどの悲壮感を込めた声が、部屋中に響いた。
視線を床に移動させれば、燕尾服姿の男が綺麗な土下座を披露している。
「わた、私は大罪を、犯しました……主であり、恋人でもある文秋(ふみあき)さんからいただいたプレゼントを、こ、壊してしまうなどと……!」
「あの、翠」
「大事に大事に扱ってまいりましたのにまさか、気づかぬうちに破損していたなんて……いえ、そんな言い訳など通用しません! 傷物にしてしまったのは事実!」
「いや、あのさ」
「どうぞ罰をお与えください。今回こそ情けは不要です。恋人の感情も殺して、あくまで従者として」
「翠」
あくまで静かに呼びかけると、縮こまっていた身体が小さく震えて、止まった。
しゃがみ込んで肩を二、三度労るように叩く。
「俺は怒ってないよ。お前が大事に使ってくれてたの毎日見てたんだから、ちゃんとわかってる」
「……しかし、私の気が収まりません。あの時、私は本当に嬉しかったんですよ」
声が震えている。さすがに自分も胸が痛い。
「わかってるって。俺も軽々しく『だから気にするな』なんて言わないよ」
飲み口の一部がわずかに欠けたコップを翠の隣に、静かに置く。
「俺はさ、このコップが翠に起こりそうだった災いを肩代わりしてくれたんじゃないかなって思ってるんだよ」
ようやく、翠が顔をこちらに向けてくれた。
頬に、明らかな筋が描かれている。数ヶ月前とは全く違う意味合いになってしまった涙の痕を両方拭って、敢えて声のトーンを上げてみた。
「ほら、パワーストーンもそういうのあるだろ? 欠けた時は、役目を全うした証だって。あんなに大事にしてもらったから、お礼したいって思ってくれたんだよ」
大の大人が、絵本にでも出てきそうな物語を口走っている。
けれど買ったブレスレットに飾られたエメラルドから「化身です。よろしく」と登場した翠と恋人同士となっている現実を見れば、あながち嘘でもないと思うのだ。
「……文秋さんも、すっかり私達の世界にも馴染みましたね」
「まだまだ、藍くんに怒られてばっかりだけどね」
翠が、わずかにだが笑ってくれた。それだけでこんなにも胸があたたかくなる。
欠けたコップを手に取った翠は、何度か側面を優しく撫でた。愛おしくにも、今までの働きを労るようにも見える。
「このコップは、後でベランダにある鉢植えに埋めましょう」
訊き返そうとして、つぐむ。
役目を終えたパワーストーンは、土に還す。そういうことだ。
「重ね重ね、お騒がせして申し訳ございませんでした」
「黙って消えた時はさすがに焦ったけどね。理由知って納得したっていうか」
変なタイミングで言葉を切ったのが気になったのだろう、どこか心配そうに翠が見下ろしてくる。
「……俺も、エメラルドが欠けた時は、この世の終わりって感じだったから」
言い終えると同時に、全身を包まれる。
力強くとも、ぬくもりを感じなくとも、世界一気を落ち着けてくれる場所だ。
「大丈夫です。二度と、私は文秋から離れません」
「わかってる。嫌だって言っても、絶対無理だからな」
「望むところです」
目が合った次の瞬間には、唇が重なっていた。ただ触れ合わせているだけなのに、やけに心臓が高鳴る。
「……そうだ」
このままベッドになだれ込んでもいいかも、と思いかけた頭にある考えが浮かんだ。
おそらく同じ気持ちになりかけていたのだろう、翠の双眸が若干残念そうに曇っている。
「これから、新しいカップを買いに行こう」
「新しい、ですか?」
「そんで、今度は翠が気に入ったデザインのカップにしよう。どう? 妙案だと思わないか?」
だんだんと、エメラルドの瞳がきれいな光を帯び始める。
「でしたら、ひとつだけわがままを申し上げてもよろしいでしょうか」
「おお、許す」
「文秋も同じカップを購入なさってください。いわゆる『おそろ』ってやつですね」
頷いた瞬間、視界に映ったふたつの瞳はどんな宝石もかなわない、自分にしか見ることのできない輝きを放っていた。
#[BL小説] 畳む

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「②洗い物」を使いました。
BL小説『俺はエメラルドのご主人様じゃない!』 の番外編な感じで書きました。
-------
おかしい。
気づけば、翠の姿を見ていない。
「翠ー?」
呼びかけに返る声は、部屋にも頭の中にもない。
恋人兼、従者(と言って譲らない)のエメラルドの化身である翠(すい)は、断りなく主の前から姿を消す男では決してない。……いや、ケンカをした場合は除く、だったか。
至って普通の、休日の朝を迎えていた。翠のキスで起こされ、のろのろと部屋着に着替え終わる頃には朝食がテーブルに並べられていた。この後はのんびり遠出しながら買い物をすませよう、なんて会話を交わしていたはず。お互い、不機嫌になるような要素はひとつもなかった。
「……藍くーん。っていないか」
双子の弟である、アクアマリンの化身である藍(あい)の名前を呼んでみるが反応はない。主である天谷千晶(あまやちあき)のお店に出勤しているのかもしれない。
双子が会っているという線が消えた、ということは……。
「翠、いるんだろ?」
それでも反応はない。全く理由がわからず、次第に変な苛立ちと不安がない交ぜになっていく。
「……主人を、意味もなく放っておくのか?」
なるべく対等の立場でいたい自分にとってあまり使いたくない手だったが、忠誠心の高い彼なら百パーセント効果があるに違いない。そう信じていたのだが……。
——最終手段もダメとか、よっぽどのことが起きたらしい。
たまに翠は、「大げさすぎだ」と突っ込みたくなることでひどく思い詰める癖がある。理由を尋ねると知らぬところで自分が原因の元であるパターンが多いのだが、今回もそうなのだろうか。
張本人から探れないのなら、自らが探っていくしかない。
改めて、起床してからの流れを思い返してみる。朝食を終えて、翠はいつも通り洗い物に、自分はテレビを観ながら出かける準備をしていた。
——翠が消えたのは、洗い物が終わった後ぐらいか。
わずかな望みをかけて台所に向かう。翠と暮らし始めてからあまり立たなくなってしまった自分でもわかるほど、いつでもゴミひとつない……
「あれ?」
違う。今回はたったひとつだけ、違和感がある。
その違和感に手を伸ばして、なんとはなしに観察してみる。
「……あ、欠けてる?」
数ヶ月前、いつも頑張ってくれている翠にお礼がしたくて、透き通るエメラルド色で飾られたガラスのコップをプレゼントした。彼と一定の距離以上は離れられない生活でサプライズを仕掛けるのは至難の業だったが、通販に大いに助けられた。
『毎日水を飲ませていただきます! ……本当に、本当にありがとうございます、文秋』
涙を浮かべるほどに喜んでいた翠。
宣言通り、ほんの少量だとしても毎日欠かさず使っていた翠。
そういえば朝もニコニコとコップを使っていた。
「間違いなく原因はコレだな」
「申し訳ございませえええぇぇぇん!!」
これから切腹でもされそうなほどの悲壮感を込めた声が、部屋中に響いた。
視線を床に移動させれば、燕尾服姿の男が綺麗な土下座を披露している。
「わた、私は大罪を、犯しました……主であり、恋人でもある文秋(ふみあき)さんからいただいたプレゼントを、こ、壊してしまうなどと……!」
「あの、翠」
「大事に大事に扱ってまいりましたのにまさか、気づかぬうちに破損していたなんて……いえ、そんな言い訳など通用しません! 傷物にしてしまったのは事実!」
「いや、あのさ」
「どうぞ罰をお与えください。今回こそ情けは不要です。恋人の感情も殺して、あくまで従者として」
「翠」
あくまで静かに呼びかけると、縮こまっていた身体が小さく震えて、止まった。
しゃがみ込んで肩を二、三度労るように叩く。
「俺は怒ってないよ。お前が大事に使ってくれてたの毎日見てたんだから、ちゃんとわかってる」
「……しかし、私の気が収まりません。あの時、私は本当に嬉しかったんですよ」
声が震えている。さすがに自分も胸が痛い。
「わかってるって。俺も軽々しく『だから気にするな』なんて言わないよ」
飲み口の一部がわずかに欠けたコップを翠の隣に、静かに置く。
「俺はさ、このコップが翠に起こりそうだった災いを肩代わりしてくれたんじゃないかなって思ってるんだよ」
ようやく、翠が顔をこちらに向けてくれた。
頬に、明らかな筋が描かれている。数ヶ月前とは全く違う意味合いになってしまった涙の痕を両方拭って、敢えて声のトーンを上げてみた。
「ほら、パワーストーンもそういうのあるだろ? 欠けた時は、役目を全うした証だって。あんなに大事にしてもらったから、お礼したいって思ってくれたんだよ」
大の大人が、絵本にでも出てきそうな物語を口走っている。
けれど買ったブレスレットに飾られたエメラルドから「化身です。よろしく」と登場した翠と恋人同士となっている現実を見れば、あながち嘘でもないと思うのだ。
「……文秋さんも、すっかり私達の世界にも馴染みましたね」
「まだまだ、藍くんに怒られてばっかりだけどね」
翠が、わずかにだが笑ってくれた。それだけでこんなにも胸があたたかくなる。
欠けたコップを手に取った翠は、何度か側面を優しく撫でた。愛おしくにも、今までの働きを労るようにも見える。
「このコップは、後でベランダにある鉢植えに埋めましょう」
訊き返そうとして、つぐむ。
役目を終えたパワーストーンは、土に還す。そういうことだ。
「重ね重ね、お騒がせして申し訳ございませんでした」
「黙って消えた時はさすがに焦ったけどね。理由知って納得したっていうか」
変なタイミングで言葉を切ったのが気になったのだろう、どこか心配そうに翠が見下ろしてくる。
「……俺も、エメラルドが欠けた時は、この世の終わりって感じだったから」
言い終えると同時に、全身を包まれる。
力強くとも、ぬくもりを感じなくとも、世界一気を落ち着けてくれる場所だ。
「大丈夫です。二度と、私は文秋から離れません」
「わかってる。嫌だって言っても、絶対無理だからな」
「望むところです」
目が合った次の瞬間には、唇が重なっていた。ただ触れ合わせているだけなのに、やけに心臓が高鳴る。
「……そうだ」
このままベッドになだれ込んでもいいかも、と思いかけた頭にある考えが浮かんだ。
おそらく同じ気持ちになりかけていたのだろう、翠の双眸が若干残念そうに曇っている。
「これから、新しいカップを買いに行こう」
「新しい、ですか?」
「そんで、今度は翠が気に入ったデザインのカップにしよう。どう? 妙案だと思わないか?」
だんだんと、エメラルドの瞳がきれいな光を帯び始める。
「でしたら、ひとつだけわがままを申し上げてもよろしいでしょうか」
「おお、許す」
「文秋も同じカップを購入なさってください。いわゆる『おそろ』ってやつですね」
頷いた瞬間、視界に映ったふたつの瞳はどんな宝石もかなわない、自分にしか見ることのできない輝きを放っていた。
#[BL小説] 畳む
そこまで触れないで

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦したのですが、時間内に間に合わなかった代物です😅
途中まで書いていたので、もったいない精神で完成させました。
お題は「①確信 ②核心」を使いました。
だいぶむかーしに、ふと浮かんだシーンを殴り書きしたまま放置していたものだったりします。
珍しく、ファンタジーものです。
-------
――ようやく、ここまで来たのよ。
懸命に息を殺して、視線の少し先で俯いたまま座る男を見やる。以前は少しでも動いたら目を覚ましていたのに、最近はよほどのことがない限りなくなった。
回復術兼攻撃魔術も少し操れる術士を探しているという噂を聞きつけた時は、幼い頃から身につけていた教養と元々の素質に感謝した。
偶然を装い、男の仲間に加われたのは我ながらうまく演じられたと思う。
警戒心が強い性格ゆえに、仲間を増やしたがらないということはわかっていた。敢えて「そこそこ使える術士」を演じていたのも、無駄に警戒させないため。意外に面倒見のいいところがあったおかげで解雇されずに済んだのは幸運だと言えよう。
そう、幸運ばかりだった。きっと神は、何もかも失った私を哀れんでくださったに違いない。
髪留めに偽装した、針のように細いナイフをそっと抜き取る。男が目覚める気配は全くない。聞こえてくるのは規則正しい寝息と、木々のかすかなざわめきだけ。
――国の滅亡と同等の苦しみを、あの世で存分に味わうがいいわ。
首筋を掠めそうなぎりぎりの位置にナイフを構え、一息に突き刺した。
「そろそろ、やってくるんじゃねえかと思ってたよ」
皮膚を貫く感触は、味わう前になくなった。
薄い月明かりの下で、二つの鋭い光がこちらをまっすぐに捉えている。
「っと、これはさっさと片付けるかね」
目的を果たせなかったナイフはあっけなく奪われた。これ見よがしに振り子のように目の前でちらつかせた後、懐にしまう。
「……どうして……」
口の奥が痛い。どうやらかみ砕く勢いで食いしばっているようだ。そうでもしないと耐えられない。やっと、やっと数年超しの復讐が終わると思っていたのに。
「マデューラ国の第一王女。そこに攻め入ったのが、俺がとうに捨てた国。だったか」
正体はとうに見破られていたのか、つい最近なのか。男の表情からは読み取れない。
「復讐するのは結構だがな。俺にすんのはお門違いってもんだぜ」
戦争を仕掛けられた頃には、男はとうに国を捨てていた。仲間に加わる前には知っていた情報だったが、国家相手に喧嘩を仕掛けられるほどの実力も人材もない絶望的な状態だった。
自分にとっては捨てていようがいまいがどうでもいい。あの国の人間であることに、かわりはない。
「ま、俺にとってもあの国は滅んでもらいたいからちょうどいいかもな。どう?」
軽々しい態度で、こいつは一体何を言い出すつもりなのか。
「あの国、今相当フラついてるんだってさ。アンタと俺、あと何人か雇えばボコボコにできると思わない?」
「ふざけるな!」
氷の魔法を放つ。小さくとも鋭い刃は男の頬を掠め、薄闇に吸い込まれた。
「私が……私がどんな思いで、今まで生きてきたと思ってる……!」
「へえ、ほんとはそんな喋り方なんだ。『わああ、すみませんまた失敗しちゃいました~』とか、よくできてたじゃん」
「貴様ぁぁ!!」
どう行動したのか覚えていない。気づけば首元に手をかけて地面に押し倒していた。逃げられないよう、魔術で男の全身を縛り付ける。
「ずいぶんと立派な殺気じゃん。さっきとは比べものにならないね」
なぜ、平然と笑っていられる。自力で解けない拘束具をつけられているようなものなのに、どうして命乞いさえもしない。強がっているようにも見えないから、なおさら。
「ほら、早く殺しなよ。さっきみたいな力入れりゃ復讐達成できるぜ?」
そうだ。この男が何を考えているのかわからないが、隙だらけなのは確かだ。早く終わらせるんだ、両親達の仇をとって、国を復興させるんだ。
余裕だらけの顔がわずかに歪み始める。そういえば自らの手で人の命を奪うのは初めてだった。討伐依頼の最後を飾る悪党が人間の時、必ず彼がとどめを刺していた。
視界が闇に覆われていた。いつのまにか、自ら蓋をしていたらしい。
「……お前は、本当に、甘いねぇ」
不意に違和感を覚えて視界を開く。
見なくてもわかる。喉元に得物を突きつけられている。両腕を魔術の有効範囲に含め忘れるなんて、致命的ではすまないミスを犯してしまった。
だが、男は一向に得物を動かそうとしない。どこか愉快そうにも見える。
「わかってたさ。お前が途中から、俺のこと本気で殺そうとしていなかったこと」
「ふ、ざけたことを」
「さっきのナイフ。あのまま振り下ろしても急所は外れてた」
「私が、勉強不足なだけで……!」
「そんな言い訳で、本気で誤魔化せると思ってるのか?」
頭の中では否定の単語が絶え間なく流れているのに、表に吐き出すことができない。
――彼の仕事ぶりを、一番近くで見ていたのは一体、だれ?
この森に入る前は肌寒ささえ感じていたほどだったのに、汗がにじんで仕方ない。気温の変化がわからない。わかるのは、劣勢に置かれていることだけ。
「まあ、俺もお前をどうこうしようとは思ってないさ」
「なに……?」
「これでも、お前のことは結構気に入ってんだよ」
理解できない。「ごっこ遊び」だったとしても、仲良く肩を並べて歩く生活はもうできない。
あるいは、奴隷にでもなれと言っているのかもしれない。
「……殺せ」
一瞬、男の双眸が揺らいだ気がした。
「お前にいいように使われるくらいなら、ここで果てた方がましよ」
今度ははっきりと目を見開くと、可笑しそうに小さく笑った。
「何がおかしい!」
「そんな未練ありありの顔で言われても、ねぇ」
そんなことはない。
まぎれもない本心をぶつける猶予は、与えられなかった。
おまけに受け入れがたい現実に襲われている。なぜ、どうしてこんなことに。抵抗らしい抵抗もできていない。
「言っただろ? 俺はわかってた、って」
唇を解放した彼は、今度は満足そうに目を細めた。
「お前も俺のこと、意外に気に入ってるんだよな?」
国を滅ぼされた後のこと。
彼の仲間に加わった後のこと。
様々な記憶が脳裏を走り抜ける。同時に説明できない感情がぐるぐるにかき回されて、胸の中を圧迫していく。
私は復讐しなければならない。でなければひとり生き延びた意味がなくなる。こんな痴れ言に構っている暇などない、ないのに。
気色悪いほどの微笑みから目が逸らせない。
頬をすべる、ありえないほどに優しい手を払い落とせない。
命を奪われるものも、奪うのを邪魔するものも、ない。そのチャンスを活かそうとする動きを、取れそうになかった。畳む

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦したのですが、時間内に間に合わなかった代物です😅
途中まで書いていたので、もったいない精神で完成させました。
お題は「①確信 ②核心」を使いました。
だいぶむかーしに、ふと浮かんだシーンを殴り書きしたまま放置していたものだったりします。
珍しく、ファンタジーものです。
-------
――ようやく、ここまで来たのよ。
懸命に息を殺して、視線の少し先で俯いたまま座る男を見やる。以前は少しでも動いたら目を覚ましていたのに、最近はよほどのことがない限りなくなった。
回復術兼攻撃魔術も少し操れる術士を探しているという噂を聞きつけた時は、幼い頃から身につけていた教養と元々の素質に感謝した。
偶然を装い、男の仲間に加われたのは我ながらうまく演じられたと思う。
警戒心が強い性格ゆえに、仲間を増やしたがらないということはわかっていた。敢えて「そこそこ使える術士」を演じていたのも、無駄に警戒させないため。意外に面倒見のいいところがあったおかげで解雇されずに済んだのは幸運だと言えよう。
そう、幸運ばかりだった。きっと神は、何もかも失った私を哀れんでくださったに違いない。
髪留めに偽装した、針のように細いナイフをそっと抜き取る。男が目覚める気配は全くない。聞こえてくるのは規則正しい寝息と、木々のかすかなざわめきだけ。
――国の滅亡と同等の苦しみを、あの世で存分に味わうがいいわ。
首筋を掠めそうなぎりぎりの位置にナイフを構え、一息に突き刺した。
「そろそろ、やってくるんじゃねえかと思ってたよ」
皮膚を貫く感触は、味わう前になくなった。
薄い月明かりの下で、二つの鋭い光がこちらをまっすぐに捉えている。
「っと、これはさっさと片付けるかね」
目的を果たせなかったナイフはあっけなく奪われた。これ見よがしに振り子のように目の前でちらつかせた後、懐にしまう。
「……どうして……」
口の奥が痛い。どうやらかみ砕く勢いで食いしばっているようだ。そうでもしないと耐えられない。やっと、やっと数年超しの復讐が終わると思っていたのに。
「マデューラ国の第一王女。そこに攻め入ったのが、俺がとうに捨てた国。だったか」
正体はとうに見破られていたのか、つい最近なのか。男の表情からは読み取れない。
「復讐するのは結構だがな。俺にすんのはお門違いってもんだぜ」
戦争を仕掛けられた頃には、男はとうに国を捨てていた。仲間に加わる前には知っていた情報だったが、国家相手に喧嘩を仕掛けられるほどの実力も人材もない絶望的な状態だった。
自分にとっては捨てていようがいまいがどうでもいい。あの国の人間であることに、かわりはない。
「ま、俺にとってもあの国は滅んでもらいたいからちょうどいいかもな。どう?」
軽々しい態度で、こいつは一体何を言い出すつもりなのか。
「あの国、今相当フラついてるんだってさ。アンタと俺、あと何人か雇えばボコボコにできると思わない?」
「ふざけるな!」
氷の魔法を放つ。小さくとも鋭い刃は男の頬を掠め、薄闇に吸い込まれた。
「私が……私がどんな思いで、今まで生きてきたと思ってる……!」
「へえ、ほんとはそんな喋り方なんだ。『わああ、すみませんまた失敗しちゃいました~』とか、よくできてたじゃん」
「貴様ぁぁ!!」
どう行動したのか覚えていない。気づけば首元に手をかけて地面に押し倒していた。逃げられないよう、魔術で男の全身を縛り付ける。
「ずいぶんと立派な殺気じゃん。さっきとは比べものにならないね」
なぜ、平然と笑っていられる。自力で解けない拘束具をつけられているようなものなのに、どうして命乞いさえもしない。強がっているようにも見えないから、なおさら。
「ほら、早く殺しなよ。さっきみたいな力入れりゃ復讐達成できるぜ?」
そうだ。この男が何を考えているのかわからないが、隙だらけなのは確かだ。早く終わらせるんだ、両親達の仇をとって、国を復興させるんだ。
余裕だらけの顔がわずかに歪み始める。そういえば自らの手で人の命を奪うのは初めてだった。討伐依頼の最後を飾る悪党が人間の時、必ず彼がとどめを刺していた。
視界が闇に覆われていた。いつのまにか、自ら蓋をしていたらしい。
「……お前は、本当に、甘いねぇ」
不意に違和感を覚えて視界を開く。
見なくてもわかる。喉元に得物を突きつけられている。両腕を魔術の有効範囲に含め忘れるなんて、致命的ではすまないミスを犯してしまった。
だが、男は一向に得物を動かそうとしない。どこか愉快そうにも見える。
「わかってたさ。お前が途中から、俺のこと本気で殺そうとしていなかったこと」
「ふ、ざけたことを」
「さっきのナイフ。あのまま振り下ろしても急所は外れてた」
「私が、勉強不足なだけで……!」
「そんな言い訳で、本気で誤魔化せると思ってるのか?」
頭の中では否定の単語が絶え間なく流れているのに、表に吐き出すことができない。
――彼の仕事ぶりを、一番近くで見ていたのは一体、だれ?
この森に入る前は肌寒ささえ感じていたほどだったのに、汗がにじんで仕方ない。気温の変化がわからない。わかるのは、劣勢に置かれていることだけ。
「まあ、俺もお前をどうこうしようとは思ってないさ」
「なに……?」
「これでも、お前のことは結構気に入ってんだよ」
理解できない。「ごっこ遊び」だったとしても、仲良く肩を並べて歩く生活はもうできない。
あるいは、奴隷にでもなれと言っているのかもしれない。
「……殺せ」
一瞬、男の双眸が揺らいだ気がした。
「お前にいいように使われるくらいなら、ここで果てた方がましよ」
今度ははっきりと目を見開くと、可笑しそうに小さく笑った。
「何がおかしい!」
「そんな未練ありありの顔で言われても、ねぇ」
そんなことはない。
まぎれもない本心をぶつける猶予は、与えられなかった。
おまけに受け入れがたい現実に襲われている。なぜ、どうしてこんなことに。抵抗らしい抵抗もできていない。
「言っただろ? 俺はわかってた、って」
唇を解放した彼は、今度は満足そうに目を細めた。
「お前も俺のこと、意外に気に入ってるんだよな?」
国を滅ぼされた後のこと。
彼の仲間に加わった後のこと。
様々な記憶が脳裏を走り抜ける。同時に説明できない感情がぐるぐるにかき回されて、胸の中を圧迫していく。
私は復讐しなければならない。でなければひとり生き延びた意味がなくなる。こんな痴れ言に構っている暇などない、ないのに。
気色悪いほどの微笑みから目が逸らせない。
頬をすべる、ありえないほどに優しい手を払い落とせない。
命を奪われるものも、奪うのを邪魔するものも、ない。そのチャンスを活かそうとする動きを、取れそうになかった。畳む
営業時間は「いつまでも」希望

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「③利用可能時間」を使いました。
本の読めるカフェ店長と常連客の話です。
-------
喫茶店に置かれた本の数々は、店長自ら選定したものらしい。まるで小さな図書館のようだ。
私の嗜好とぴったり合致すると、抱いていた予想が確信に変わったのは、ある日閉店時間間近で交わした会話からだった。
「やっとこの新作読み終えたんですけど、やっぱり感情が忙しくなる作家ですよね。すごく悲しくなったりほんわかしたり……すごいなぁ」
「おや、作家の卵としてはやっぱり気になりますか」
「だから違いますって。私のはあくまで趣味ですよ」
店長は、ふと何かを思いついたようにカップを磨く手を止めた。「スタッフオンリー」と英語で書かれた扉をくぐり、少しして戻ってくる。
「この本、ご存じですか?」
一般的な文庫本よりも厚みがある。
「うー、ん? 知らない、かも。作者もちょっと」
「推理ものなんですけど、登場人物がみんな濃くて、関係性も面白いんです。ちょっとこの作者を彷彿とさせるんですよ」
「へえ……推理小説は苦手な方なんですけど、大丈夫かな」
「そこまで複雑なトリックはないので大丈夫かと。よかったらお貸ししますよ」
「嬉しい! ありがとうございます」
今では、閉店時間後もこうしてお喋りする仲にまでなった。ちなみに、私がわがままを言ったわけじゃない。
『他のお客様がいるとゆっくりお話できませんし、僕がお願いしたいんです』
私も同じ気持ちだったし、そう頭を下げられたら頷くしかできない。
最初こそ遠慮がちだったものの、楽しくも穏やかな空気に負けて、ずるずると居着いてしまっている。
今更ながら、いくら何でも図々しすぎじゃないかしら、私。
「どうされました?」
私とあまり歳が変わらないとこの間知った店長は、柔らかい印象の瞳をわずかに細めた。
「あ、いえ。私、店長のお言葉に甘えて長居しすぎだよなって。今更ですよね」
「そうですよ。そのまま気にされないでよかったのに」
心外だとでも言いたげな口調だった。いや、さすがに心が広すぎやしないか?
スマホの画面を点けて、思わず短い悲鳴が漏れた。最長記録を更新してしまうとは!
「いやいや、もうすぐ三時間経とうとしてますし! 店長、お店の片付けもあるのに」
「片付けならほら、してますよ。キッチンの方は料理長がしてくれてますし」
たった一人の店員は店長の古い友人らしい。コーヒーなどの飲み物を入れるのは得意だけど料理の腕はからっきしだから頼み込んだと、恥ずかしそうに教えてくれた。
「じゃ、じゃあ……せめて、手伝わせてください」
「そんなに広い店ではありませんし、大丈夫ですから」
暖簾に腕押し状態に近い。「いただいてばかりじゃ申し訳が立たないんです」的なことを告げたら、多分困らせてしまうだろう。それも本意じゃない。
「あなたがいたいだけ、いてくれていいんです」
まっすぐに見つめられて、ぐるぐるしていた思考が止まる。
気のせいだろうか、「店長」という仮面が少しずれたような印象を受ける。
「僕は、それが一番嬉しい」
カウンターが間にあるのに、ものすごく近くに感じる。目がそらせない。心臓が大げさにどきどきしてきた。
胸中でかたちになりつつあるものに、明確な名前を付けていいのか迷う。
単なる自惚れかもしれない。けれど、そう言い切れない空気を、店長は醸し出している。
例えばこれが恋愛小説なら、受け身側は鈍い場合が多いのに。
「……ごめんなさい。変なことを口走ってしまいましたね」
本当にそう思ったのか、あるいは私の反応を不安に感じたのか、店長は本棚と飲食席が並ぶ空間へ足早に向かった。片付けに戻ろうという誤魔化しなのだろう。
「変なことじゃないです」
椅子から立ち上がって、借りた本を胸元に抱き込む。
こちらを振り返った店長が、わずかに目を見開いた。
「ありがとうございます」
賭けてみることにした。……いいや。きっと、勝ちは「見えている」。
「……前から、気になっていたんです。お仕事帰りだけじゃなくて、休日にも定期的に立ち寄ってくれて、持参した本だけでなく、僕が選んだ本も読んでくださるようになって」
最初は、手持ちのストックがなくなってしまったから試しに読んでみようというだけだった。
読んだことのない本はどれも、その日中に読み終えてしまうくらい面白くて、こんなに私のツボを刺激する選書をしているのは誰なんだろうと気になったのが、すべての始まりだったのかもしれない。
「あなたから話しかけてくださった時は、お恥ずかしながら舞い上がってました。それが本選びにも影響していたんでしょうね、常連さんに『本棚の雰囲気変わったね』と突っ込まれてしまいました」
つられて、頬が熱くなる。こんなにストレートな人だとは思わなかった。
店長が歩み寄ってきた。半分でも腕を伸ばせば触れられるほどの距離を残して、意を決したように眉間に軽く皺を作る。
「あなたと読んだ本の感想を言い合いたいし、おすすめも教え合いたいし、あなたが書いた小説も読みたい。……あなたに叶えてほしいことがたくさん、あるんです。ですから、これからもお店にいらしてください。何時間でも構いませんから」
「……会うのは、お店だけでいいんですか?」
全くつまらない返しだとわかっていても、ほんの少しだけ悪戯心が芽生えてしまった。
「……意外と、意地悪な方なんですね」
言葉とは裏腹に若干うわずった声に、内心が手に取るようにわかってしまって口元がな緩みそうになる。ほぼ同い年だとようやく実感できて何だか嬉しい。
答える代わりに、腕を伸ばして店長に触れる。
「小説はまだお約束できませんけど……喜んで、お付き合いさせてください。よろしくお願いします」
時間が許すのなら、ずっと一緒にいたって構わない。
店長だけじゃないのだと告げたら、どういう風に喜んでくれるだろう?
#男女もの畳む

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「③利用可能時間」を使いました。
本の読めるカフェ店長と常連客の話です。
-------
喫茶店に置かれた本の数々は、店長自ら選定したものらしい。まるで小さな図書館のようだ。
私の嗜好とぴったり合致すると、抱いていた予想が確信に変わったのは、ある日閉店時間間近で交わした会話からだった。
「やっとこの新作読み終えたんですけど、やっぱり感情が忙しくなる作家ですよね。すごく悲しくなったりほんわかしたり……すごいなぁ」
「おや、作家の卵としてはやっぱり気になりますか」
「だから違いますって。私のはあくまで趣味ですよ」
店長は、ふと何かを思いついたようにカップを磨く手を止めた。「スタッフオンリー」と英語で書かれた扉をくぐり、少しして戻ってくる。
「この本、ご存じですか?」
一般的な文庫本よりも厚みがある。
「うー、ん? 知らない、かも。作者もちょっと」
「推理ものなんですけど、登場人物がみんな濃くて、関係性も面白いんです。ちょっとこの作者を彷彿とさせるんですよ」
「へえ……推理小説は苦手な方なんですけど、大丈夫かな」
「そこまで複雑なトリックはないので大丈夫かと。よかったらお貸ししますよ」
「嬉しい! ありがとうございます」
今では、閉店時間後もこうしてお喋りする仲にまでなった。ちなみに、私がわがままを言ったわけじゃない。
『他のお客様がいるとゆっくりお話できませんし、僕がお願いしたいんです』
私も同じ気持ちだったし、そう頭を下げられたら頷くしかできない。
最初こそ遠慮がちだったものの、楽しくも穏やかな空気に負けて、ずるずると居着いてしまっている。
今更ながら、いくら何でも図々しすぎじゃないかしら、私。
「どうされました?」
私とあまり歳が変わらないとこの間知った店長は、柔らかい印象の瞳をわずかに細めた。
「あ、いえ。私、店長のお言葉に甘えて長居しすぎだよなって。今更ですよね」
「そうですよ。そのまま気にされないでよかったのに」
心外だとでも言いたげな口調だった。いや、さすがに心が広すぎやしないか?
スマホの画面を点けて、思わず短い悲鳴が漏れた。最長記録を更新してしまうとは!
「いやいや、もうすぐ三時間経とうとしてますし! 店長、お店の片付けもあるのに」
「片付けならほら、してますよ。キッチンの方は料理長がしてくれてますし」
たった一人の店員は店長の古い友人らしい。コーヒーなどの飲み物を入れるのは得意だけど料理の腕はからっきしだから頼み込んだと、恥ずかしそうに教えてくれた。
「じゃ、じゃあ……せめて、手伝わせてください」
「そんなに広い店ではありませんし、大丈夫ですから」
暖簾に腕押し状態に近い。「いただいてばかりじゃ申し訳が立たないんです」的なことを告げたら、多分困らせてしまうだろう。それも本意じゃない。
「あなたがいたいだけ、いてくれていいんです」
まっすぐに見つめられて、ぐるぐるしていた思考が止まる。
気のせいだろうか、「店長」という仮面が少しずれたような印象を受ける。
「僕は、それが一番嬉しい」
カウンターが間にあるのに、ものすごく近くに感じる。目がそらせない。心臓が大げさにどきどきしてきた。
胸中でかたちになりつつあるものに、明確な名前を付けていいのか迷う。
単なる自惚れかもしれない。けれど、そう言い切れない空気を、店長は醸し出している。
例えばこれが恋愛小説なら、受け身側は鈍い場合が多いのに。
「……ごめんなさい。変なことを口走ってしまいましたね」
本当にそう思ったのか、あるいは私の反応を不安に感じたのか、店長は本棚と飲食席が並ぶ空間へ足早に向かった。片付けに戻ろうという誤魔化しなのだろう。
「変なことじゃないです」
椅子から立ち上がって、借りた本を胸元に抱き込む。
こちらを振り返った店長が、わずかに目を見開いた。
「ありがとうございます」
賭けてみることにした。……いいや。きっと、勝ちは「見えている」。
「……前から、気になっていたんです。お仕事帰りだけじゃなくて、休日にも定期的に立ち寄ってくれて、持参した本だけでなく、僕が選んだ本も読んでくださるようになって」
最初は、手持ちのストックがなくなってしまったから試しに読んでみようというだけだった。
読んだことのない本はどれも、その日中に読み終えてしまうくらい面白くて、こんなに私のツボを刺激する選書をしているのは誰なんだろうと気になったのが、すべての始まりだったのかもしれない。
「あなたから話しかけてくださった時は、お恥ずかしながら舞い上がってました。それが本選びにも影響していたんでしょうね、常連さんに『本棚の雰囲気変わったね』と突っ込まれてしまいました」
つられて、頬が熱くなる。こんなにストレートな人だとは思わなかった。
店長が歩み寄ってきた。半分でも腕を伸ばせば触れられるほどの距離を残して、意を決したように眉間に軽く皺を作る。
「あなたと読んだ本の感想を言い合いたいし、おすすめも教え合いたいし、あなたが書いた小説も読みたい。……あなたに叶えてほしいことがたくさん、あるんです。ですから、これからもお店にいらしてください。何時間でも構いませんから」
「……会うのは、お店だけでいいんですか?」
全くつまらない返しだとわかっていても、ほんの少しだけ悪戯心が芽生えてしまった。
「……意外と、意地悪な方なんですね」
言葉とは裏腹に若干うわずった声に、内心が手に取るようにわかってしまって口元がな緩みそうになる。ほぼ同い年だとようやく実感できて何だか嬉しい。
答える代わりに、腕を伸ばして店長に触れる。
「小説はまだお約束できませんけど……喜んで、お付き合いさせてください。よろしくお願いします」
時間が許すのなら、ずっと一緒にいたって構わない。
店長だけじゃないのだと告げたら、どういう風に喜んでくれるだろう?
#男女もの畳む
最後の嘘と願って

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「③西日が差す窓」を使いました。お題要素は軽く触った程度です😅
どうしてもユーミンの曲『最後の嘘』が頭から離れなくなってしまいました……該当の歌詞は「朝日が差し込む〜」なんですけどね。。
-------
彼は嘘つきだった。
といっても呆れ果てるほどくだらないものや、こっちが本気で怒るほど洒落にならないものなど、無駄にバリエーション豊かだった。
いつだって振り回されてきたけれど、嘘だとわかるのは最後に白旗を揚げるのは必ず彼だったからだ。きっかけを作るのが自分にあったとしても「降参」するのは彼だった。
多分、甘えていたのだと思う。
自分が原因なこともあるけれど、回数は圧倒的に彼が多いし、そういう性格でもあるのだろうと納得していた。
朝から変わらない光景の部屋を、改めて見つめる。
昨日の夜はいつもと同じようでいて、主に自分自身の勝手が少し違っていた。
だから「きっかけ」を作ったのは間違いなく、自分。
「どうしたの、なんからしくないじゃん?」
軽口を叩き合う延長上のような口調だったのは、多分気遣ってくれていたのだと思う。それに真面目な空気にしたところで、素直に吐き出すわけもなかった。
「……うるさいな。ほっといてよ」
離れている間どういうことがあったのか察せなんて傲慢でしかないのに、そう願ってしまった。
仕事で嫌なことがあっただけ。いつもなら鼻で笑って流せるレベルが、今日はなぜか胸につかえてしまっているだけ。疲れが溜まっているせいかもしれない。
ここまでわかっていながら、彼には伝えなかった。悪い癖だ。
「あ、もしかして冷蔵庫にあったショートケーキ食べたのバレた? ごめん、どうしても食べたくって」
ショートケーキは確かに買ってあった。まだ確認していないが、たとえ嘘だとしても「甘いもの好きな自分のために、明日にでももっと美味しいケーキを買ってくる」という意味だったのだと思う。
そこまで推察できたのは、数時間後の未来でだった。
「嘘でも本当でも、ケーキくらい別にいいよ。……いいから、そういうくだらないの」
放っておいてほしかった。一晩すれば元通りになって、こんなやり取りにも苛ついたりしなくなる。
彼は何も知らないのに、あまりにも感情的になりすぎていた。
「……ごめん。何かあったんだね」
「そう思うなら、ほっといて」
それからどんなやり取りをしていたのか、細かいところは思い出せない。
ひたすらに、せっかく伸ばしてくれていた手を振り払い続けていた。ひどい態度だと頭のどこかで鳴っていた警報も無視して、気づけば部屋を包む空気はかつてないほどの重苦しさに溢れていた。
「……あのさ。俺と付き合ったこと、やっぱり後悔してるんじゃない?」
一言一句、声の調子も、表情も忘れられない。
笑っていた。雰囲気に似つかわしくないはっきりとした声だった。やせ我慢のようなものだったと今ならわかる。
反論できなかったのは、彼の問いかけが頭の中でぐるぐると回り出し、まるで必死に材料をかき集めているようだったから。
「……ごめん、嘘。だけど悪い、言い過ぎた」
ちょっと頭冷やしてくるよ。
それが、三日前に聞いた彼の最後の台詞だった。
「こんなに落ち込んでるのに、後悔なんてしてるわけないでしょ……」
今さらな返答だった。わずかでも口ごもった時点で、あの時の彼にとっては肯定されたも同然だ。
異性と付き合うのをやめて、初めてできた同性の恋人だった。好きという気持ちにあれから揺るぎはないものの、半年ほど経って同性なりの難しさや悩みが出てきていたのも事実だった。
隠していたつもりでもあんな言葉が飛び出すのだ、きっと見透かされていた。だから「頭を冷やす」と嘘をついて、出て行ってしまったのでは……。
「ほんと馬鹿だな、僕」
後になって後悔する癖は直る兆しが全くない。今日はまともに食事すら取れなかった。お出かけ日和の天気なのに身体は全く動かず、部屋の中は薄暗い。
そういえば、ベランダのカーテンを閉めたままだった。
『ここ、日当たりがすごいいいんだってさ。日当たり大事!』
その一声で借りることを決めた部屋だったのを思い出しながら、ベージュ色のカーテンを開ける。
「まぶし……」
真正面から浴びているような感覚に陥る。やたら目に沁みる気がして、ぎりぎりまで目蓋を下ろす。
窓を突き抜ける光の大元は朝も夕方も一緒なのに、どうして後者はやたらもの悲しい気分にさせられるのだろう。……違う。きっとひとりきりだからだ。二人でいる時の空気はもっと、穏やかだった。
――このまま終わりだなんて思いたくない。頭を冷やすが嘘だなんて、思いたくない。
目元を窓に押しつけた。光の強さとは裏腹にひんやりとした温度が、少しずつ熱を奪っていく。
「……まだ、決まったわけじゃない、よな」
近所を探しに行ってもいなかったのは、たまたますれ違っただけだと信じたい。
そもそも、仕事から帰ってきても部屋の様子に変化はなかった。何より、彼の荷物は全くの手つかず状態にある。スマホすら、未だテーブルに置かれたままなのだ。
今日は気力が底まで落ちてしまったけれど、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
今度は自分が「降参」する番。
そして、こんな嘘はもう最後にしてとお願いしなければ。
#[BL小説] 畳む

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「③西日が差す窓」を使いました。お題要素は軽く触った程度です😅
どうしてもユーミンの曲『最後の嘘』が頭から離れなくなってしまいました……該当の歌詞は「朝日が差し込む〜」なんですけどね。。
-------
彼は嘘つきだった。
といっても呆れ果てるほどくだらないものや、こっちが本気で怒るほど洒落にならないものなど、無駄にバリエーション豊かだった。
いつだって振り回されてきたけれど、嘘だとわかるのは最後に白旗を揚げるのは必ず彼だったからだ。きっかけを作るのが自分にあったとしても「降参」するのは彼だった。
多分、甘えていたのだと思う。
自分が原因なこともあるけれど、回数は圧倒的に彼が多いし、そういう性格でもあるのだろうと納得していた。
朝から変わらない光景の部屋を、改めて見つめる。
昨日の夜はいつもと同じようでいて、主に自分自身の勝手が少し違っていた。
だから「きっかけ」を作ったのは間違いなく、自分。
「どうしたの、なんからしくないじゃん?」
軽口を叩き合う延長上のような口調だったのは、多分気遣ってくれていたのだと思う。それに真面目な空気にしたところで、素直に吐き出すわけもなかった。
「……うるさいな。ほっといてよ」
離れている間どういうことがあったのか察せなんて傲慢でしかないのに、そう願ってしまった。
仕事で嫌なことがあっただけ。いつもなら鼻で笑って流せるレベルが、今日はなぜか胸につかえてしまっているだけ。疲れが溜まっているせいかもしれない。
ここまでわかっていながら、彼には伝えなかった。悪い癖だ。
「あ、もしかして冷蔵庫にあったショートケーキ食べたのバレた? ごめん、どうしても食べたくって」
ショートケーキは確かに買ってあった。まだ確認していないが、たとえ嘘だとしても「甘いもの好きな自分のために、明日にでももっと美味しいケーキを買ってくる」という意味だったのだと思う。
そこまで推察できたのは、数時間後の未来でだった。
「嘘でも本当でも、ケーキくらい別にいいよ。……いいから、そういうくだらないの」
放っておいてほしかった。一晩すれば元通りになって、こんなやり取りにも苛ついたりしなくなる。
彼は何も知らないのに、あまりにも感情的になりすぎていた。
「……ごめん。何かあったんだね」
「そう思うなら、ほっといて」
それからどんなやり取りをしていたのか、細かいところは思い出せない。
ひたすらに、せっかく伸ばしてくれていた手を振り払い続けていた。ひどい態度だと頭のどこかで鳴っていた警報も無視して、気づけば部屋を包む空気はかつてないほどの重苦しさに溢れていた。
「……あのさ。俺と付き合ったこと、やっぱり後悔してるんじゃない?」
一言一句、声の調子も、表情も忘れられない。
笑っていた。雰囲気に似つかわしくないはっきりとした声だった。やせ我慢のようなものだったと今ならわかる。
反論できなかったのは、彼の問いかけが頭の中でぐるぐると回り出し、まるで必死に材料をかき集めているようだったから。
「……ごめん、嘘。だけど悪い、言い過ぎた」
ちょっと頭冷やしてくるよ。
それが、三日前に聞いた彼の最後の台詞だった。
「こんなに落ち込んでるのに、後悔なんてしてるわけないでしょ……」
今さらな返答だった。わずかでも口ごもった時点で、あの時の彼にとっては肯定されたも同然だ。
異性と付き合うのをやめて、初めてできた同性の恋人だった。好きという気持ちにあれから揺るぎはないものの、半年ほど経って同性なりの難しさや悩みが出てきていたのも事実だった。
隠していたつもりでもあんな言葉が飛び出すのだ、きっと見透かされていた。だから「頭を冷やす」と嘘をついて、出て行ってしまったのでは……。
「ほんと馬鹿だな、僕」
後になって後悔する癖は直る兆しが全くない。今日はまともに食事すら取れなかった。お出かけ日和の天気なのに身体は全く動かず、部屋の中は薄暗い。
そういえば、ベランダのカーテンを閉めたままだった。
『ここ、日当たりがすごいいいんだってさ。日当たり大事!』
その一声で借りることを決めた部屋だったのを思い出しながら、ベージュ色のカーテンを開ける。
「まぶし……」
真正面から浴びているような感覚に陥る。やたら目に沁みる気がして、ぎりぎりまで目蓋を下ろす。
窓を突き抜ける光の大元は朝も夕方も一緒なのに、どうして後者はやたらもの悲しい気分にさせられるのだろう。……違う。きっとひとりきりだからだ。二人でいる時の空気はもっと、穏やかだった。
――このまま終わりだなんて思いたくない。頭を冷やすが嘘だなんて、思いたくない。
目元を窓に押しつけた。光の強さとは裏腹にひんやりとした温度が、少しずつ熱を奪っていく。
「……まだ、決まったわけじゃない、よな」
近所を探しに行ってもいなかったのは、たまたますれ違っただけだと信じたい。
そもそも、仕事から帰ってきても部屋の様子に変化はなかった。何より、彼の荷物は全くの手つかず状態にある。スマホすら、未だテーブルに置かれたままなのだ。
今日は気力が底まで落ちてしまったけれど、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
今度は自分が「降参」する番。
そして、こんな嘘はもう最後にしてとお願いしなければ。
#[BL小説] 畳む
死神のようで天使

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「①やらかした」を使いました。子どもの一人称って難しいです💦
-------
きらきら光る、きれいな花が落ちていた。
拾って先に進むと、また花。今度は黄色に光っている。
赤い色、緑色、青色。
いくつあるんだろう。もう、六つも拾った。
両手で大事に抱えながら、すでに見えている七つ目の花に向かう。
あれは……黒色?
「お願い……」
伸ばしかけた手が止まる。誰の声かなんて、間違えるわけがない。
「頼む……目を……」
目?
不思議に思うまま、花に向けていた目を上に上げた。
――青い。とってもきれいな、青空がある。まるでさっきまでいたところみたい。パパとママと一緒にいた時、こんな空だった。わたしは楽しくて楽しくて、それで……どうしたんだっけ。ママが確か、大声でわたしの名前を呼んで……それから、それから。
どうしてわたし、ひとりぼっちなの?
パパとママは、どこ?
帰りたい。
パパとママのいるところに、帰りたい!
「……しろ、い」
いつの間にか青空がなくなって、白い色だけがぼんやりと見えていた。家の天井みたいな色をしている。
なぜか身体が動かない。それに、すごく眠い。
「目が……覚めたの……!?」
隣で、ママが泣いていた。ちらっと見えたのはパパ? なんだかとても慌てているみたいだった。どこに行ったんだろう?
でも、戻ってこられたんだ。
「……お花……」
ママ、わたしがはぐれたから泣いてるのかな。いつも怒られているのに、本当に悪いことをしちゃった。
拾った花をあげたら、ママは笑ってくれるかな?
それなのに、眠いせいか腕が持ち上がらない。
「どうしたの? どこか痛い?」
「わたし……お花、拾ったの……ママ、お花、好きでしょ?」
だから、泣き止んでね。笑ってね。
ふわふわとした気分のまま、今度目に映ったのは黒い色だった。
でもどうしてかな、怖くはなかったんだ。
「お前、どうしてあそこで帰しちまったんだよ。久々の食事にありつけそうだったのに」
隣でじとりと睨み付けてくる相棒に苦笑を返して、白いベッドに横たわる少女を天井から見下ろす。再び意識を失ったようだが、人間にとっての最悪な事態にはもうならない。
死を関知できる存在だからこそ、わかる。
「ああいうピュアっピュアな魂はごちそうなのになぁー。だからあの子の気を頑張って引いてやったのになぁー」
「ごめんって。……だって、あまりにも不憫すぎるから」
「スマホいじって運転してた車に撥ねられたのが、か? それはご愁傷様だけど、俺らには関係ないだろ? むしろ面倒が増えるだけっていうかさー」
彼の言うことはもっともだし、迷惑をかけているのも自覚している。
それでも、撥ねられる瞬間の絶望にまみれた顔がどうしても頭から離れてくれなかった。ひたすらに泣きじゃくる母親と、懸命に正気を保とうとぎりぎりの場所に立っている父親の姿を見ていられなかった。
「……ほんと、君には迷惑ばかりかけてるよ」
「全くだよ。もはややらかしちゃった、じゃ言い訳にならないくらいの常習犯だからな」
魂を喰らう存在「らしからぬ」意味で有名人になってからずいぶんと久しい。それでも相棒として居続けてくれる彼に心の底から感謝をしているのに、全く態度に示せていないのがまた申し訳ない。
「……んな顔すんなって。ま、あんなチビッコじゃ一人で喰ってもハラいっぱいにはならねぇし、どうせ探しに行くのは変わんねえよ」
肩をぽんと叩いて消えた背中に小さく礼を告げて、改めて少女を見やる。
医師から説明を続けている両親の横で、とても穏やかな表情で眠っている。やっぱり、喰らわなくてよかった。
「今度は、勢い余って飛び出したらダメだよ」
そして、相棒の後を追いかけた。畳む

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「①やらかした」を使いました。子どもの一人称って難しいです💦
-------
きらきら光る、きれいな花が落ちていた。
拾って先に進むと、また花。今度は黄色に光っている。
赤い色、緑色、青色。
いくつあるんだろう。もう、六つも拾った。
両手で大事に抱えながら、すでに見えている七つ目の花に向かう。
あれは……黒色?
「お願い……」
伸ばしかけた手が止まる。誰の声かなんて、間違えるわけがない。
「頼む……目を……」
目?
不思議に思うまま、花に向けていた目を上に上げた。
――青い。とってもきれいな、青空がある。まるでさっきまでいたところみたい。パパとママと一緒にいた時、こんな空だった。わたしは楽しくて楽しくて、それで……どうしたんだっけ。ママが確か、大声でわたしの名前を呼んで……それから、それから。
どうしてわたし、ひとりぼっちなの?
パパとママは、どこ?
帰りたい。
パパとママのいるところに、帰りたい!
「……しろ、い」
いつの間にか青空がなくなって、白い色だけがぼんやりと見えていた。家の天井みたいな色をしている。
なぜか身体が動かない。それに、すごく眠い。
「目が……覚めたの……!?」
隣で、ママが泣いていた。ちらっと見えたのはパパ? なんだかとても慌てているみたいだった。どこに行ったんだろう?
でも、戻ってこられたんだ。
「……お花……」
ママ、わたしがはぐれたから泣いてるのかな。いつも怒られているのに、本当に悪いことをしちゃった。
拾った花をあげたら、ママは笑ってくれるかな?
それなのに、眠いせいか腕が持ち上がらない。
「どうしたの? どこか痛い?」
「わたし……お花、拾ったの……ママ、お花、好きでしょ?」
だから、泣き止んでね。笑ってね。
ふわふわとした気分のまま、今度目に映ったのは黒い色だった。
でもどうしてかな、怖くはなかったんだ。
「お前、どうしてあそこで帰しちまったんだよ。久々の食事にありつけそうだったのに」
隣でじとりと睨み付けてくる相棒に苦笑を返して、白いベッドに横たわる少女を天井から見下ろす。再び意識を失ったようだが、人間にとっての最悪な事態にはもうならない。
死を関知できる存在だからこそ、わかる。
「ああいうピュアっピュアな魂はごちそうなのになぁー。だからあの子の気を頑張って引いてやったのになぁー」
「ごめんって。……だって、あまりにも不憫すぎるから」
「スマホいじって運転してた車に撥ねられたのが、か? それはご愁傷様だけど、俺らには関係ないだろ? むしろ面倒が増えるだけっていうかさー」
彼の言うことはもっともだし、迷惑をかけているのも自覚している。
それでも、撥ねられる瞬間の絶望にまみれた顔がどうしても頭から離れてくれなかった。ひたすらに泣きじゃくる母親と、懸命に正気を保とうとぎりぎりの場所に立っている父親の姿を見ていられなかった。
「……ほんと、君には迷惑ばかりかけてるよ」
「全くだよ。もはややらかしちゃった、じゃ言い訳にならないくらいの常習犯だからな」
魂を喰らう存在「らしからぬ」意味で有名人になってからずいぶんと久しい。それでも相棒として居続けてくれる彼に心の底から感謝をしているのに、全く態度に示せていないのがまた申し訳ない。
「……んな顔すんなって。ま、あんなチビッコじゃ一人で喰ってもハラいっぱいにはならねぇし、どうせ探しに行くのは変わんねえよ」
肩をぽんと叩いて消えた背中に小さく礼を告げて、改めて少女を見やる。
医師から説明を続けている両親の横で、とても穏やかな表情で眠っている。やっぱり、喰らわなくてよかった。
「今度は、勢い余って飛び出したらダメだよ」
そして、相棒の後を追いかけた。畳む
それぞれの不機嫌の理由

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「②不機嫌」を使いました。こういう少女マンガ的展開が大好きですw
-------
「そのマンガ面白いの?」
急に物語の世界から追い出されて、変にうわずった声が出てしまった。
「びっくりしたー。すごい集中力だね」
どうやら声の主は正面にいるらしい。慌てて視線を直すと、一方的にだが見慣れた顔があった。
「じ、神宮寺、くん?」
「うん。佐原さん」
相変わらず人当たりのいい笑顔をしている。ふいに目に留まる時はいつもこの表情だ……って、そんな感想はどうでもいい。
なんで接点のまるでない神宮司くんが目の前にいるの?
「な、なんで? ここに?」
「なんでって、ここ俺らの教室じゃん」
きょうしつ?
「ど、どしたん?」
非常に覚えのある状況だ。つまりちょっとパラ読みするだけのつもりが、あっという間に漫画の世界に取り込まれてしまったという……
「ま、またやったよもう……!」
漫画の厚さは一般的な単行本より多分二倍はある。しかも腰を据えて読まないといけないタイプだったりするから、短時間でも読みたい誘惑に駆られるのは御法度なのだ、たとえ通学時間が一時間近くあろうとも駄目なのだ、そうとわかっていたつもりなのに!
「やっぱり持ってこなきゃよかった……」
「え、面白いから夢中で読んでたんじゃないの?」
「だからこそなの……やっぱり家で集中して一気に読むべきだったの! 隙間時間で読むべき本じゃないってわかってたのに私のバカ!」
って、ちょっと待って。
私は今、誰と会話してるんだっけ?
「あはは、佐原さんって面白いなー! 相当面白いんだね、それ」
逃げたい。
黙ったまま背中を向けて、一気に走り去りたい。
全然話したこともない、しかも人気のある男子相手にあんな醜態をさらすなんて、ますます気味悪いって思われる。
というか神宮司くんはどうして普通に笑っていられるの? そもそもどうして声なんてかけたの? まあ、ある意味ありがたいと思ってはいるけれど……。
「ねえ、それなんて本なの? こーんな顔して読んでたから気になっちゃってさ」
世間話のノリで、神宮司くんは胸元を指差した。視線を落としてようやく、楽しみにしていた新刊をがっちり抱き込んでいたことを知る。
落ち着きはまだ戻りそうにないものの、とりあえず本のタイトルを告げようとして、気づく。
「こんな顔、って……それでよく声、かけたね」
神宮司くんは眉間に皺を寄せた顔を作っていた。
面白いと感じれば感じるほど、まるで不機嫌そのものな表情ができあがってしまう。
ほんの少しの面白さなら笑えるのに。
「ごめん、からかったりとかするつもりじゃなくて……前から気になってたんだ。佐原さん、本読んでる時だいたいさっきみたいな顔してるから」
誰も気にしていないと思っていた。端から見れば近寄りがたい女子そのものだからか、入学してからだいぶ経った今でも友達は全然いない。
そんな私とは真逆にいるタイプの神宮司くんが、私を気にしていた?
「佐原さんって、好きなものの前だとああいう顔になる性格なんでしょ? なんつーか、我慢しちゃうような感じになるっていうか」
素直に驚いた。
その結論に辿り着くなんて、奇跡としか言えない。
「なんで、わかって……」
「……俺もそうなんだよ。俺の場合は無表情に近い感じになるらしいんだけど、とにかく似てるでしょ?」
全く想像できない。それが顔に出ていたのか、神宮司くんは苦笑いを浮かべた。
「学校とかだと無理やり笑うようにしてるだけだよ。正直、かっこ悪いなぁって思ってる」
「そんなこと……ないよ。すごいと思う。私はどうしても、無理だから」
「別にすごくないって。だって顔に出さないようにしてるの、自分の中でじっくり味わいたいからってだけだし。あと素直になりすぎるのもなんか悔しいなって。ほんと、しょうがない理由だよね」
ちょっと可愛いと思ったが、どんな理由であれあまのじゃくみたいな行動を取ってしまう人が近くにいたとわかっただけで、心がすっと軽くなる。
「佐原さんもじっくり味わいたいからだったりする?」
仲間ができた嬉しさが伝わってくる。その喜びに水を差したくなくて、私だけがわかる嘘をついた。
「私も、そうかな。読んでる本が本だし」
タイトルを見せると、神宮司くんの眉がぴくりと揺れた。
「なに、『諸葛亮のすべて』? えっと……確か、三国志だっけ」
「うん。私、偉人のマンガが大好きなの。作者によって解釈も違うから、読み比べてみると面白いよ」
「へー。じゃあ織田信長もそうなんだ?」
「探してみるとわかるよ。いっぱいタイトル出てくるから」
「そう聞くと確かに面白いかもなー。しっかし、こんなしっぶいの読んでたとは……いや、ある意味イメージ通りかも?」
小さく笑い合う。これでも引かないなんて、神宮司くんが人気者の理由がわかる。
……仲間ができて嬉しいのは、私も同じ。たとえ理由は違っても、その気持ちだけは嘘じゃない。嘘じゃないから。
その時、教室を見回りに来た先生に軽く叱られてしまった。慌てて帰り支度を整える。
「じゃあ、神宮司くん、またね。話かけてくれて、ありがとう」
今日はとても素晴らしい日になった。「ありがとう」にたっぷりの感謝を込めて、頭も下げる。
「え、待ってよ。俺、一緒に帰ろうと思ってたんだけど」
「……いいの?」
せっかくの縁を、この場限りにしたくないとは思っていた。でも、元来のネガティブさが顔を覗かせたばかりに、避けようとしてしまっていた。
「もちろん! だって『仲間』でしょ? 俺たち」
いつか、神宮司くんに本当の理由を告げられるだろうか。
それだけの勇気を、私は持てているのだろうか。
でも今は、この喜びに浸っていたい。
#男女もの 畳む

深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題に挑戦しました。
お題は「②不機嫌」を使いました。こういう少女マンガ的展開が大好きですw
-------
「そのマンガ面白いの?」
急に物語の世界から追い出されて、変にうわずった声が出てしまった。
「びっくりしたー。すごい集中力だね」
どうやら声の主は正面にいるらしい。慌てて視線を直すと、一方的にだが見慣れた顔があった。
「じ、神宮寺、くん?」
「うん。佐原さん」
相変わらず人当たりのいい笑顔をしている。ふいに目に留まる時はいつもこの表情だ……って、そんな感想はどうでもいい。
なんで接点のまるでない神宮司くんが目の前にいるの?
「な、なんで? ここに?」
「なんでって、ここ俺らの教室じゃん」
きょうしつ?
「ど、どしたん?」
非常に覚えのある状況だ。つまりちょっとパラ読みするだけのつもりが、あっという間に漫画の世界に取り込まれてしまったという……
「ま、またやったよもう……!」
漫画の厚さは一般的な単行本より多分二倍はある。しかも腰を据えて読まないといけないタイプだったりするから、短時間でも読みたい誘惑に駆られるのは御法度なのだ、たとえ通学時間が一時間近くあろうとも駄目なのだ、そうとわかっていたつもりなのに!
「やっぱり持ってこなきゃよかった……」
「え、面白いから夢中で読んでたんじゃないの?」
「だからこそなの……やっぱり家で集中して一気に読むべきだったの! 隙間時間で読むべき本じゃないってわかってたのに私のバカ!」
って、ちょっと待って。
私は今、誰と会話してるんだっけ?
「あはは、佐原さんって面白いなー! 相当面白いんだね、それ」
逃げたい。
黙ったまま背中を向けて、一気に走り去りたい。
全然話したこともない、しかも人気のある男子相手にあんな醜態をさらすなんて、ますます気味悪いって思われる。
というか神宮司くんはどうして普通に笑っていられるの? そもそもどうして声なんてかけたの? まあ、ある意味ありがたいと思ってはいるけれど……。
「ねえ、それなんて本なの? こーんな顔して読んでたから気になっちゃってさ」
世間話のノリで、神宮司くんは胸元を指差した。視線を落としてようやく、楽しみにしていた新刊をがっちり抱き込んでいたことを知る。
落ち着きはまだ戻りそうにないものの、とりあえず本のタイトルを告げようとして、気づく。
「こんな顔、って……それでよく声、かけたね」
神宮司くんは眉間に皺を寄せた顔を作っていた。
面白いと感じれば感じるほど、まるで不機嫌そのものな表情ができあがってしまう。
ほんの少しの面白さなら笑えるのに。
「ごめん、からかったりとかするつもりじゃなくて……前から気になってたんだ。佐原さん、本読んでる時だいたいさっきみたいな顔してるから」
誰も気にしていないと思っていた。端から見れば近寄りがたい女子そのものだからか、入学してからだいぶ経った今でも友達は全然いない。
そんな私とは真逆にいるタイプの神宮司くんが、私を気にしていた?
「佐原さんって、好きなものの前だとああいう顔になる性格なんでしょ? なんつーか、我慢しちゃうような感じになるっていうか」
素直に驚いた。
その結論に辿り着くなんて、奇跡としか言えない。
「なんで、わかって……」
「……俺もそうなんだよ。俺の場合は無表情に近い感じになるらしいんだけど、とにかく似てるでしょ?」
全く想像できない。それが顔に出ていたのか、神宮司くんは苦笑いを浮かべた。
「学校とかだと無理やり笑うようにしてるだけだよ。正直、かっこ悪いなぁって思ってる」
「そんなこと……ないよ。すごいと思う。私はどうしても、無理だから」
「別にすごくないって。だって顔に出さないようにしてるの、自分の中でじっくり味わいたいからってだけだし。あと素直になりすぎるのもなんか悔しいなって。ほんと、しょうがない理由だよね」
ちょっと可愛いと思ったが、どんな理由であれあまのじゃくみたいな行動を取ってしまう人が近くにいたとわかっただけで、心がすっと軽くなる。
「佐原さんもじっくり味わいたいからだったりする?」
仲間ができた嬉しさが伝わってくる。その喜びに水を差したくなくて、私だけがわかる嘘をついた。
「私も、そうかな。読んでる本が本だし」
タイトルを見せると、神宮司くんの眉がぴくりと揺れた。
「なに、『諸葛亮のすべて』? えっと……確か、三国志だっけ」
「うん。私、偉人のマンガが大好きなの。作者によって解釈も違うから、読み比べてみると面白いよ」
「へー。じゃあ織田信長もそうなんだ?」
「探してみるとわかるよ。いっぱいタイトル出てくるから」
「そう聞くと確かに面白いかもなー。しっかし、こんなしっぶいの読んでたとは……いや、ある意味イメージ通りかも?」
小さく笑い合う。これでも引かないなんて、神宮司くんが人気者の理由がわかる。
……仲間ができて嬉しいのは、私も同じ。たとえ理由は違っても、その気持ちだけは嘘じゃない。嘘じゃないから。
その時、教室を見回りに来た先生に軽く叱られてしまった。慌てて帰り支度を整える。
「じゃあ、神宮司くん、またね。話かけてくれて、ありがとう」
今日はとても素晴らしい日になった。「ありがとう」にたっぷりの感謝を込めて、頭も下げる。
「え、待ってよ。俺、一緒に帰ろうと思ってたんだけど」
「……いいの?」
せっかくの縁を、この場限りにしたくないとは思っていた。でも、元来のネガティブさが顔を覗かせたばかりに、避けようとしてしまっていた。
「もちろん! だって『仲間』でしょ? 俺たち」
いつか、神宮司くんに本当の理由を告げられるだろうか。
それだけの勇気を、私は持てているのだろうか。
でも今は、この喜びに浸っていたい。
#男女もの 畳む
ダーリンはすでにおみとおし

創作BLワンライ&ワンドロ! のお題に挑戦しました。
お題は「ハニー」です。そのまんま? 使いましたw
-------
「今回も助かったよ~さっすが俺のハニーだね!」
「お前、何でもかんでもハニーって言っとけば済むと思うな……って待て!」
突っ込みが終わる前に彼は走り去ってしまった。周りの生徒が小さな笑い声をあげていて、慣れてしまったとはいえ自然と眉間に力が入る。
……人の気も知らないで、気軽に肩を組んできて、ハニーだなんて。
無視すればいいのにできない理由があるからこそ、表面上は「仲のいいお友達」の彼――国枝(くにえだ)をただ、恨めしく思った。
そんな自身の感情にはおかまいなしに、国枝の過多なスキンシップと「ハニー」呼びは容赦なく続く。
「あ、いたいたハニー! あのさ、これから暇? 部活なかったよね?」
満面の笑みがいつも以上にまぶしく映るのは己の理性が限界を迎えつつあるせいなのだろうか。いや、違う。認めたら多分いろいろと終わる。
「……部活はないけど、用はある」
不自然にならないよう視線を机にある鞄に逸らして、呟く。
「うそつき。ほんと、そらちゃんってわかりやすいよね」
「お調子者」の色が抜けた声音に、思わず国枝を見上げ直してしまう。
普段は丸みの目立つ瞳が、今は鋭さを増してこちらを射抜いている。
だが、それもわずかな時間の出来事だった。
「ハニーにとってもすっごく大事な用事なんだよー! だから、ね? 付き合ってよ、お願い!」
まるでお参りする時のようにお願いされてしまった。はっきり言って大げさすぎる。目立つためにわざとそういう振る舞いをしているんじゃないかと邪推してしまうくらいだ。
「わかったわかった、だからやめろ今すぐにだ。じゃないと付き合ってやらんからな!」
言い終わる前に、鞄を掴んで教室を出ていく。
国枝がやたら構うようになってきたのは去年の春――同じクラスになってからだが、我ながらうまく受け流してきたと思っていた。なのに最近はやたら苛立って仕方ない。国枝の無邪気すぎるパフォーマンスがここまで恐ろしいとは。
ああ、早く一人になりたい。
「おい、用事があるんじゃなかったのか」
「ん、そうだよ? だからおれん家に来たんじゃん」
何を言ってるんだ、とはっきり書いてある顔で、国枝はお茶の入ったコップを持ってやってきた。
「へへ、そらちゃんが部屋に来るのすっごい久しぶりだね。ここんとこ全然来てくれないからさ~」
「……帰る」
反射的に立ち上がった。理由は探りたくもないが、このままこの空間にいたらまずい気がする。
「ま、待って待って! まだ用件言ってないじゃん!」
「どうせくだらない理由だろ」
「違うよ!」
「全く、ちょっとでもお前を信じた俺がバカだったよ。いいから」
「……だって。あれくらいしないと来てくれなかったでしょ、空(そら)は」
声音と空気の変化に気を取られて、動きを止めてしまった。
「う、わっ」
肩を押された。思った以上の衝撃に足がもつれ、その場にみっともなく尻餅をついてしまう。
「な、んだよ……いったい、なんだってんだよ……」
立ち上がれない。視線の先の国枝は立ったままこちらを見下ろしているだけで、妨害されているわけでもないのに、なぜか力が入らない。
「いい加減、受け入れてほしいんだよね。おれも限界だから」
受け入れてほしい? 限界?
脈絡なく告げられた言葉に当然疑問を持つが……「限界」の二文字に妙に同調してしまいたくなるのは、自分も似た状態にあるから?
訊けるわけなどない。それは、自らの手の内も晒すことになる。
「どういう意味だって訊かないの? 空ならこういう意味わかんないとこは絶対突っ込んでくるじゃん」
こいつ、もしかして「わかってる」のか?
ありえない。完璧に押し隠してきたはずだ。たまに「ダーリン」と返してみても冗談で流れて終わっていた。周りの認識が「仲のいいお友達」止まりなのが何よりの証拠だった。
「相変わらず空は鈍いね。まあ、おれもあからさま過ぎたけど」
国枝の苦笑がまるで馬鹿にしたように見えて、思わずテーブルに手を伸ばしていた。
「ふざ、けるな……」
コップの中身を顔面にぶちまけられたくせに、国枝は拭いもせず平然としていた。ますます腹立たしい。惨めにさえ思えてくる。
「お前はいいよな? 毎日毎日ノーテンキに絡んでくるだけでいいんだもんな? 俺がどんな気持ちでいたか知らないで、本当にいい気なもんだ……!」
もう堪えきれない。少し先の未来の不安より、気持ちが楽になっていく欲望を止められない。
「空は、おれが悪いって言いたいんだ?」
前髪を軽く払って問いかける姿はまるで世間話のノリだった。ここまで内心が読めない国枝は初めてで戸惑いもあるが、もうどうでもいい。
「そ、そうだ。お前にどれだけ俺が振り回されてきたか、気づいてもいなかっただろ?」
「ふうん……」
国枝の双眸がすっと細められ、胸の奥が嫌な音を立てる。
本当はこっちが悪くてわがままなだけだとわかっている。余計なものを生んでしまったばかりに、一人で勝手に空回っているだけに過ぎない。
最初は自他共に認める「仲のいい友達」だった。いつから綻び始めたかなんてわからない。気づけば容赦なく膨れ上がる想いを押し込む方に躍起になり、国枝との普段の接し方さえわからなくなり、「友達」のままの彼がありがたくもありうっとうしくもある、複雑な感情を向けるまでになった。
国枝と、離れたくなかった。
必死だった理由はただ、それだけ。
「……っくに、えだ」
目線を合わせてきた男はなぜか、笑っていた。理由のわからない笑みを刻んでいる。
「じゃあさ。実はおれも空と同じ理由で振り回されてましたって言ったら、どうする?」
心臓が耳元で動いているような、変な錯覚を覚える。
国枝が、自分と同じ理由で、振り回されていた?
あんなことを言ったのは、いつの間にか生まれていた、友情以上の気持ちのせいだ。知られるわけにはいかないと頑なだったせいだ。
それと同じだと、目の前の男は告げている。
息が詰まる。両手で顔全体を塞ぐ。全身があっという間に熱くなってきた。
うそだ。だっていきなり、そんなことを告白されても飲み込めるわけが――
「ハニー」
ある時から幾度となく呼ばれた、もう一つの呼称が鼓膜をゆるく震わせる。
「ねえ、ハニー。おれはいつだって、冗談で言ったつもりはなかったよ」
顔を隠す壁はあっけなく破壊され、そのまま国枝の腕の中に閉じ込められる。
「ああ言ってれば、空はおれのものだって知らしめることができるでしょ?」
「ば……」
「馬鹿なことじゃない。だって、空は誰にも渡すつもりないもの」
こんな、とんでもない爆弾を隠し持っていたなんて。
完全に、してやられた。
想像以上に、こいつはぶっ飛んだ奴だった。
「あれ、なんで笑ってるの」
「笑うしかないだろ。あれだけ悩んでたのに、なんだよこの展開はって」
「ハッピーエンドでよかったでしょ?」
確かによかった。が、腹立つ。一発殴ってやりたい。
だが、その企みは国枝の派手なくしゃみで立ち消えた。
「ご、ごめん。さっきぶっかけたせいだな」
「これくらい大丈夫。……と言いたいとこだけど」
国枝の口元がいやに弧を描く。
すぐさま違和感を覚えたのに、次の瞬間にはベッドの感触が背中を覆っていた。
「せっかくだから、ハニーにあっためてほしいな」
見上げた先の、太陽のように眩しい笑顔がたまらなく、憎らしい。もちろん、言葉通りの意味でないと悟っているからだ。
「当然、断るなんて真似しないよね?」
「お、親が帰ってくるんじゃ……」
「残念でした。今朝から旅行中でーす」
「な、だ、だから俺を呼んだのか!」
「当たりー。それにいいの? 風邪引いたらそらちゃんのせいになるんだよ?」
最終兵器を突きつけられたら……もう、何も返せない。
「……わか、ったよ」
「そこは『わかったダーリン』って言ってほしいなー。……いや、待てよ。最中の時のがもっと萌えるか」
「調子に乗るな!」
せっかくだ、国枝の気が逸れている間にこっそり呼んでやる。
それくらいの反抗なら許されるだろう?
#[BL小説] 畳む

創作BLワンライ&ワンドロ! のお題に挑戦しました。
お題は「ハニー」です。そのまんま? 使いましたw
-------
「今回も助かったよ~さっすが俺のハニーだね!」
「お前、何でもかんでもハニーって言っとけば済むと思うな……って待て!」
突っ込みが終わる前に彼は走り去ってしまった。周りの生徒が小さな笑い声をあげていて、慣れてしまったとはいえ自然と眉間に力が入る。
……人の気も知らないで、気軽に肩を組んできて、ハニーだなんて。
無視すればいいのにできない理由があるからこそ、表面上は「仲のいいお友達」の彼――国枝(くにえだ)をただ、恨めしく思った。
そんな自身の感情にはおかまいなしに、国枝の過多なスキンシップと「ハニー」呼びは容赦なく続く。
「あ、いたいたハニー! あのさ、これから暇? 部活なかったよね?」
満面の笑みがいつも以上にまぶしく映るのは己の理性が限界を迎えつつあるせいなのだろうか。いや、違う。認めたら多分いろいろと終わる。
「……部活はないけど、用はある」
不自然にならないよう視線を机にある鞄に逸らして、呟く。
「うそつき。ほんと、そらちゃんってわかりやすいよね」
「お調子者」の色が抜けた声音に、思わず国枝を見上げ直してしまう。
普段は丸みの目立つ瞳が、今は鋭さを増してこちらを射抜いている。
だが、それもわずかな時間の出来事だった。
「ハニーにとってもすっごく大事な用事なんだよー! だから、ね? 付き合ってよ、お願い!」
まるでお参りする時のようにお願いされてしまった。はっきり言って大げさすぎる。目立つためにわざとそういう振る舞いをしているんじゃないかと邪推してしまうくらいだ。
「わかったわかった、だからやめろ今すぐにだ。じゃないと付き合ってやらんからな!」
言い終わる前に、鞄を掴んで教室を出ていく。
国枝がやたら構うようになってきたのは去年の春――同じクラスになってからだが、我ながらうまく受け流してきたと思っていた。なのに最近はやたら苛立って仕方ない。国枝の無邪気すぎるパフォーマンスがここまで恐ろしいとは。
ああ、早く一人になりたい。
「おい、用事があるんじゃなかったのか」
「ん、そうだよ? だからおれん家に来たんじゃん」
何を言ってるんだ、とはっきり書いてある顔で、国枝はお茶の入ったコップを持ってやってきた。
「へへ、そらちゃんが部屋に来るのすっごい久しぶりだね。ここんとこ全然来てくれないからさ~」
「……帰る」
反射的に立ち上がった。理由は探りたくもないが、このままこの空間にいたらまずい気がする。
「ま、待って待って! まだ用件言ってないじゃん!」
「どうせくだらない理由だろ」
「違うよ!」
「全く、ちょっとでもお前を信じた俺がバカだったよ。いいから」
「……だって。あれくらいしないと来てくれなかったでしょ、空(そら)は」
声音と空気の変化に気を取られて、動きを止めてしまった。
「う、わっ」
肩を押された。思った以上の衝撃に足がもつれ、その場にみっともなく尻餅をついてしまう。
「な、んだよ……いったい、なんだってんだよ……」
立ち上がれない。視線の先の国枝は立ったままこちらを見下ろしているだけで、妨害されているわけでもないのに、なぜか力が入らない。
「いい加減、受け入れてほしいんだよね。おれも限界だから」
受け入れてほしい? 限界?
脈絡なく告げられた言葉に当然疑問を持つが……「限界」の二文字に妙に同調してしまいたくなるのは、自分も似た状態にあるから?
訊けるわけなどない。それは、自らの手の内も晒すことになる。
「どういう意味だって訊かないの? 空ならこういう意味わかんないとこは絶対突っ込んでくるじゃん」
こいつ、もしかして「わかってる」のか?
ありえない。完璧に押し隠してきたはずだ。たまに「ダーリン」と返してみても冗談で流れて終わっていた。周りの認識が「仲のいいお友達」止まりなのが何よりの証拠だった。
「相変わらず空は鈍いね。まあ、おれもあからさま過ぎたけど」
国枝の苦笑がまるで馬鹿にしたように見えて、思わずテーブルに手を伸ばしていた。
「ふざ、けるな……」
コップの中身を顔面にぶちまけられたくせに、国枝は拭いもせず平然としていた。ますます腹立たしい。惨めにさえ思えてくる。
「お前はいいよな? 毎日毎日ノーテンキに絡んでくるだけでいいんだもんな? 俺がどんな気持ちでいたか知らないで、本当にいい気なもんだ……!」
もう堪えきれない。少し先の未来の不安より、気持ちが楽になっていく欲望を止められない。
「空は、おれが悪いって言いたいんだ?」
前髪を軽く払って問いかける姿はまるで世間話のノリだった。ここまで内心が読めない国枝は初めてで戸惑いもあるが、もうどうでもいい。
「そ、そうだ。お前にどれだけ俺が振り回されてきたか、気づいてもいなかっただろ?」
「ふうん……」
国枝の双眸がすっと細められ、胸の奥が嫌な音を立てる。
本当はこっちが悪くてわがままなだけだとわかっている。余計なものを生んでしまったばかりに、一人で勝手に空回っているだけに過ぎない。
最初は自他共に認める「仲のいい友達」だった。いつから綻び始めたかなんてわからない。気づけば容赦なく膨れ上がる想いを押し込む方に躍起になり、国枝との普段の接し方さえわからなくなり、「友達」のままの彼がありがたくもありうっとうしくもある、複雑な感情を向けるまでになった。
国枝と、離れたくなかった。
必死だった理由はただ、それだけ。
「……っくに、えだ」
目線を合わせてきた男はなぜか、笑っていた。理由のわからない笑みを刻んでいる。
「じゃあさ。実はおれも空と同じ理由で振り回されてましたって言ったら、どうする?」
心臓が耳元で動いているような、変な錯覚を覚える。
国枝が、自分と同じ理由で、振り回されていた?
あんなことを言ったのは、いつの間にか生まれていた、友情以上の気持ちのせいだ。知られるわけにはいかないと頑なだったせいだ。
それと同じだと、目の前の男は告げている。
息が詰まる。両手で顔全体を塞ぐ。全身があっという間に熱くなってきた。
うそだ。だっていきなり、そんなことを告白されても飲み込めるわけが――
「ハニー」
ある時から幾度となく呼ばれた、もう一つの呼称が鼓膜をゆるく震わせる。
「ねえ、ハニー。おれはいつだって、冗談で言ったつもりはなかったよ」
顔を隠す壁はあっけなく破壊され、そのまま国枝の腕の中に閉じ込められる。
「ああ言ってれば、空はおれのものだって知らしめることができるでしょ?」
「ば……」
「馬鹿なことじゃない。だって、空は誰にも渡すつもりないもの」
こんな、とんでもない爆弾を隠し持っていたなんて。
完全に、してやられた。
想像以上に、こいつはぶっ飛んだ奴だった。
「あれ、なんで笑ってるの」
「笑うしかないだろ。あれだけ悩んでたのに、なんだよこの展開はって」
「ハッピーエンドでよかったでしょ?」
確かによかった。が、腹立つ。一発殴ってやりたい。
だが、その企みは国枝の派手なくしゃみで立ち消えた。
「ご、ごめん。さっきぶっかけたせいだな」
「これくらい大丈夫。……と言いたいとこだけど」
国枝の口元がいやに弧を描く。
すぐさま違和感を覚えたのに、次の瞬間にはベッドの感触が背中を覆っていた。
「せっかくだから、ハニーにあっためてほしいな」
見上げた先の、太陽のように眩しい笑顔がたまらなく、憎らしい。もちろん、言葉通りの意味でないと悟っているからだ。
「当然、断るなんて真似しないよね?」
「お、親が帰ってくるんじゃ……」
「残念でした。今朝から旅行中でーす」
「な、だ、だから俺を呼んだのか!」
「当たりー。それにいいの? 風邪引いたらそらちゃんのせいになるんだよ?」
最終兵器を突きつけられたら……もう、何も返せない。
「……わか、ったよ」
「そこは『わかったダーリン』って言ってほしいなー。……いや、待てよ。最中の時のがもっと萌えるか」
「調子に乗るな!」
せっかくだ、国枝の気が逸れている間にこっそり呼んでやる。
それくらいの反抗なら許されるだろう?
#[BL小説] 畳む
結局、負けは確定

一次創作BL版深夜の真剣60分一本勝負 に挑戦しました。
・「どうしてもって言うならば」
のお題を使用しました。大学生ぐらいの2人がキャッキャしてるような感じですw
----------
「……どうしても?」
「どうしても。これは罰ゲームだ、お前に拒否権はないはずだけど?」
それを言われたら何も返せない。目の前のニヤニヤ顔を恨めしげに睨み返す。
どうしてこんな展開になったのか、もはやきっかけも思い出せないが、「負けた方は勝った方の願い事をひとつ叶える」という条件だけはしっかり頭に焼き付いていた。条件が条件だ、当たり前だろう。
そして自分は見事に敗者となってしまった。冷静に考えれば彼にゲームの腕で勝てるわけがないのに、さっきはどうかしていた。熱くなりすぎてしまった。
「で、でもさ? いくら恋人だからって普通に引くだろ? 女装してデートとかありえないって。しかも絶対スカートとか嫌すぎるわ!」
まさかの条件に、最初は空耳かと疑った。二回目で冗談だと思い込みたかったのに、許してもらえなかった。
「だから大丈夫だって。お前結構可愛い顔してるじゃん? ばれないばれない」
何て脳天気な恋人なのか。いや、これは違う。意地悪スイッチが全力でオンになっているんだ。
「そんなん理由になるか! あのな、周りって見てないようで見てたりするんだぞ? それに顔が可愛いって言ったって身長170以上あるしゴツめだし」
「俺と身長差そんなにないし、ぶかぶかした服着れば目立たないっしょ。姉貴、確か緩めの服いっぱい持ってたから大丈夫」
爽やかな笑顔を向けられても絶望しかない。お姉さんにどう説明する気なんだ。彼のことだからきっとうまく口が回るのだろう。ああ、お姉さんの身長が170近くあることが今は恨めしい……。
「あのさ。俺にとっては嬉しくもあるんだぞ?」
急に真面目な声で距離を詰められて、口ごもってしまう。
「何も気にしないで普通にデートできるんだぞ? 俺、密かに夢だったんだよ。その夢、叶えてくれないのか?」
眉尻まで下がっている。どこか気弱にも見える仕草がらしくなくて、柄にもなく戸惑いかけた。
「……そうなんだ。ごめん気づかないで……ってそんな手に引っかかるか!」
「あら。ダメ?」
「口の端っこがびみょーに震えてたぞ」
「顔に出てたか……しまったなぁ」
「大体、今までだって何回も堂々とデートしてるだろ。おれが嫌だっていってもお構いなしにベタベタしてくるじゃないか」
「俺はいつでもそういう気持ちで楽しみたいからね」
今の言い方はずるい。無駄に反応してしまったのは死んでも隠し通してやるけれど。
「じゃあ、誰よりも可愛い恋人を堂々と連れて悦に浸りたいっていうのじゃダメ?」
さっきの理由より信頼できる物言いだった。だったが。
「お前、そういう奴だったのか……若干引くわー」
「そうか? 俺はたまらなく嬉しいけどね」
頬に触れられたかと思った瞬間、唇を柔らかい感触が走る。
「だって、人目を引く奴の一番近くを占領してるんだぞ。どんな表情も独り占めできるし、こういうことだってできる。ものすごい優越感だと思わないか?」
また、何も返せなくなってしまった。
彼もそうだ。街中を歩けば、すれ違った異性が絶対反応する。時には声さえかけてくる。
そんな彼の「一番」に君臨しているのは、紛れもない自分。自分だけが、いろんな姿の彼を知っている。時には本当の心に遠慮なく触れることだってできる。
ああ、納得してしまったじゃないか。反論の材料がなくなってしまった。
「理解してくれたんだ?」
狙い通りとも取れる笑みが腹立たしい。何でお前は見た目がいいんだと、理不尽な言い訳を叩きつけたくなってしまう。
「わかったよ、わかりました。お前がどうしても、って言って聞かないからな」
これぐらいの負け惜しみは許してもらいたい。彼には全く効いていないみたいだが。
「ただし、一時間な。家を出てから一時間」
「短い。二時間、いや、四時間は欲しい。これは厳命だ」
彼の目が本気すぎて、受け入れざるを得なかった。
「……待てよ。悦に浸るって、別に女装してる必要なくね?」
「今さら気づいたのか?」
「……またお前にいいように乗せられたああああ!」
「どうも、ゴチソウサマデシタ。可愛い可愛い恋人さん?」
#[BL小説] 畳む

一次創作BL版深夜の真剣60分一本勝負 に挑戦しました。
・「どうしてもって言うならば」
のお題を使用しました。大学生ぐらいの2人がキャッキャしてるような感じですw
----------
「……どうしても?」
「どうしても。これは罰ゲームだ、お前に拒否権はないはずだけど?」
それを言われたら何も返せない。目の前のニヤニヤ顔を恨めしげに睨み返す。
どうしてこんな展開になったのか、もはやきっかけも思い出せないが、「負けた方は勝った方の願い事をひとつ叶える」という条件だけはしっかり頭に焼き付いていた。条件が条件だ、当たり前だろう。
そして自分は見事に敗者となってしまった。冷静に考えれば彼にゲームの腕で勝てるわけがないのに、さっきはどうかしていた。熱くなりすぎてしまった。
「で、でもさ? いくら恋人だからって普通に引くだろ? 女装してデートとかありえないって。しかも絶対スカートとか嫌すぎるわ!」
まさかの条件に、最初は空耳かと疑った。二回目で冗談だと思い込みたかったのに、許してもらえなかった。
「だから大丈夫だって。お前結構可愛い顔してるじゃん? ばれないばれない」
何て脳天気な恋人なのか。いや、これは違う。意地悪スイッチが全力でオンになっているんだ。
「そんなん理由になるか! あのな、周りって見てないようで見てたりするんだぞ? それに顔が可愛いって言ったって身長170以上あるしゴツめだし」
「俺と身長差そんなにないし、ぶかぶかした服着れば目立たないっしょ。姉貴、確か緩めの服いっぱい持ってたから大丈夫」
爽やかな笑顔を向けられても絶望しかない。お姉さんにどう説明する気なんだ。彼のことだからきっとうまく口が回るのだろう。ああ、お姉さんの身長が170近くあることが今は恨めしい……。
「あのさ。俺にとっては嬉しくもあるんだぞ?」
急に真面目な声で距離を詰められて、口ごもってしまう。
「何も気にしないで普通にデートできるんだぞ? 俺、密かに夢だったんだよ。その夢、叶えてくれないのか?」
眉尻まで下がっている。どこか気弱にも見える仕草がらしくなくて、柄にもなく戸惑いかけた。
「……そうなんだ。ごめん気づかないで……ってそんな手に引っかかるか!」
「あら。ダメ?」
「口の端っこがびみょーに震えてたぞ」
「顔に出てたか……しまったなぁ」
「大体、今までだって何回も堂々とデートしてるだろ。おれが嫌だっていってもお構いなしにベタベタしてくるじゃないか」
「俺はいつでもそういう気持ちで楽しみたいからね」
今の言い方はずるい。無駄に反応してしまったのは死んでも隠し通してやるけれど。
「じゃあ、誰よりも可愛い恋人を堂々と連れて悦に浸りたいっていうのじゃダメ?」
さっきの理由より信頼できる物言いだった。だったが。
「お前、そういう奴だったのか……若干引くわー」
「そうか? 俺はたまらなく嬉しいけどね」
頬に触れられたかと思った瞬間、唇を柔らかい感触が走る。
「だって、人目を引く奴の一番近くを占領してるんだぞ。どんな表情も独り占めできるし、こういうことだってできる。ものすごい優越感だと思わないか?」
また、何も返せなくなってしまった。
彼もそうだ。街中を歩けば、すれ違った異性が絶対反応する。時には声さえかけてくる。
そんな彼の「一番」に君臨しているのは、紛れもない自分。自分だけが、いろんな姿の彼を知っている。時には本当の心に遠慮なく触れることだってできる。
ああ、納得してしまったじゃないか。反論の材料がなくなってしまった。
「理解してくれたんだ?」
狙い通りとも取れる笑みが腹立たしい。何でお前は見た目がいいんだと、理不尽な言い訳を叩きつけたくなってしまう。
「わかったよ、わかりました。お前がどうしても、って言って聞かないからな」
これぐらいの負け惜しみは許してもらいたい。彼には全く効いていないみたいだが。
「ただし、一時間な。家を出てから一時間」
「短い。二時間、いや、四時間は欲しい。これは厳命だ」
彼の目が本気すぎて、受け入れざるを得なかった。
「……待てよ。悦に浸るって、別に女装してる必要なくね?」
「今さら気づいたのか?」
「……またお前にいいように乗せられたああああ!」
「どうも、ゴチソウサマデシタ。可愛い可愛い恋人さん?」
#[BL小説] 畳む
息抜きの場所は恋人の隣だけ

一次創作BL版深夜の真剣120分一本勝負 に挑戦しました。
・お前にとっての俺の姿
のお題を使用しました。探偵事務所なイメージの所長×助手です。
-------
「もう、所長! お願いですから片付け手伝ってくださいよ!」
たまらず一喝した僕の声で、仕事机で突っ伏していた所長がのそりと顔を上げた。お客さんと対峙する時だけ精悍になる顔はだらしない姿へと変貌している。
「えー、それは助手の仕事だろー?」
「ええそうですね。でもお客さんが来るまであと一時間しかないんですよ? それまでにこの小汚い部屋を綺麗にしないといけないんですよ? わかってます? わかってないでしょ!」
打ち合わせに使う机の上を整えるくらいならもちろん何も言わない。だが足元は調べ物や探し物のために無造作に投げ出されたバインダーやら本やらでぐちゃぐちゃのごたごた状態だし、ちょっと息苦しいから埃も舞っている気がする。足元と空気を整えないと、おもてなし用の飲み物お茶菓子の用意まではとてもできない。
「昇くん、そうは言ってもだね、ぼくは朝方まで資料をまとめていたんだよ。ものすっごく疲弊してるんだよね」
「じゃあ来てくれたお客さんをドン引きさせてこの事務所の悪評を垂れ流されてもいいって言うんですね。仕事がなくなって潰れてもいいんだ」
口も手も動かさないといけないなんて、はっきり言って効率が下がるだけだ。早く「わかりました手伝います」って白旗を揚げてくれないかな……。
「でもまだ一時間もあるよ? 馬鹿でかい事務所じゃないんだから、そんな急がなくても間に合うと思うけどなぁ」
「そうやって余裕かまして、お客さんの約束時間に遅れます連絡に救われたことがあったの、忘れたとは言わせませんよ」
全く、仕事のスイッチが入ると何回も惚れ直してしまうほど完璧で無駄がない男に変身するのに、オフだとどうしてひたすらだらけてしまうんだろう。いつも完璧でいろ、だなんてもちろん思ってはいないけど、時と場合を考えてほしい。少なくとも今は半分くらいスイッチを入れてほしい。
「いいから、ほら立って! バインダーと本を棚に戻すくらいはせめてやってください。それは所長の方が片付けしやすいでしょ? それだけでも僕は助かりますから」
所長の机の後ろの窓を開けると、涼しい風が優しく吹き込んだ。一度だけ深く呼吸をしたら、気持ちが少しだけ落ち着いた。
よし、続きを頑張ろう。さっきは「潰れてもいいんだ」なんて口走ってしまったけど、本当にそうなってほしいわけじゃない。何だかんだで僕は自分のポジションが気に入っているし、所長のことも誰よりも好きなんだから。
「昇」
踵を返したところで、一言名前を呼ばれた。反応する暇もなく、僕の身体は所長の膝の上に乗せられていた。
「ちょ、ちょっと! こんなことしてる暇ないでしょ!」
「ファイルの片付け以外も頑張って手伝うから、元気ちょうだい」
力の抜けた笑みを向けたかと思うと、猫のように頭を胸元にすり寄せてきた。背中にがっつり両腕を回されているので身動きが全然取れず、なすがまま状態になっている。諦めて覚醒した所長に賭けるしかなかった。
……仕事モードの所長しか知らない女の人が見たら、どう思うんだろう。まあ、まず幻滅はされるだろうな。でもこうやって甘えてくるところは可愛いってなるかも。ギャップ萌えとかいうやつ。僕も時々感じることあるし……。
「呆れてるでしょ」
すっかり全身の力が抜けてしまって、ぬいぐるみになったような気持ちでいたら、いつの間にか所長が僕を見つめていた。
「……所長の言葉を信じてるだけですよ」
「ぼくはね、君につい甘えちゃうんだよ」
頭を優しく撫でてくれる。つい目を閉じたくなる気持ちよさだった。
「とってもしっかり者だし、いろいろお小言言うけど、ぼくへの気持ちが全然変わってないっていうのもわかるから、ついね。すっごく頼りにしてるんだ」
思わず息が詰まった。完全プライベートじゃない時にそんなことをはっきり言わないでほしい。
「そうやって素直なところも甘えたくなるんだよなぁ。二人きりになると未だに落ち着けなくてせわしなくしてるのも可愛いし」
変な声が出そうになった口を、ぎりぎり手のひらで覆った。何もかも見破られている。急激に顔が熱くなってきた。
目の前の所長が、なぜか困ったように笑っている。また、僕が自覚ないまま欲に繋がるスイッチ的なものを押してしまったらしい。そのたびに気をつけないと、と思うけどどうすればいいのか未だにわからない。
口元の覆いをそっと外して、所長の顔が近づいてくる。自然と瞼を下ろした。少しかさついた感触と、ほんのりとしたコーヒーの香りで包まれる。
触れるだけのキスが何度も降ってくる。お互いに物足りないのはわかっていた。それでも多分、ほんの数センチ距離を詰めても所長はそっと押し戻すだろう。根は真面目でちゃんと大人なのだ。
「……あーあ。全く、惜しいなぁ。今の昇、本当に可愛くてすごく色っぽいのに」
「何ですか、それ……」
軽いキスでも、何度もされたら身体が熱くなるんだな……。
仕事があるのに、早くしゃんとしないと。
「ねえ、急遽休みになりました、ってしたらダメ?」
「ダメに決まってるでしょう」
「そこは普通、特別ですよっていうところじゃない?」
「寝ぼけたこと言わないでください!」
……大人、はやっぱり撤回しよう。
「そういう冗談を言えるってことは、もう元気になった証ですね。ほら、片付け再開しますよ!」
勢いをつけて立ち上がる。事務所の出入口近くに置いてある時計を見たら、タイムリミットまで四十分を切っていた。いよいよ焦らないとまずい。
「本当、憎たらしいほどしっかりしてるよね。助手に相応しくて助かりますよ」
ふてくされている。片付けはしてくれるようだが、明らかにテンションが低い。これはしつこく引っ張るタイプの方だ。
こうなったら、一肌脱いでやるしかない。
のろのろとバインダーを拾い始めた所長の隣にしゃがみ込んで、強引に顎を持ち上げる。
「……さっきの続きも、仕事終わったら付き合いますから」
最終的に僕がこうして折れるから、所長の甘え癖も直らないんだろうなぁ。
そう自覚していても弱いから、僕もどうしようもない。
#[BL小説] 畳む

一次創作BL版深夜の真剣120分一本勝負 に挑戦しました。
・お前にとっての俺の姿
のお題を使用しました。探偵事務所なイメージの所長×助手です。
-------
「もう、所長! お願いですから片付け手伝ってくださいよ!」
たまらず一喝した僕の声で、仕事机で突っ伏していた所長がのそりと顔を上げた。お客さんと対峙する時だけ精悍になる顔はだらしない姿へと変貌している。
「えー、それは助手の仕事だろー?」
「ええそうですね。でもお客さんが来るまであと一時間しかないんですよ? それまでにこの小汚い部屋を綺麗にしないといけないんですよ? わかってます? わかってないでしょ!」
打ち合わせに使う机の上を整えるくらいならもちろん何も言わない。だが足元は調べ物や探し物のために無造作に投げ出されたバインダーやら本やらでぐちゃぐちゃのごたごた状態だし、ちょっと息苦しいから埃も舞っている気がする。足元と空気を整えないと、おもてなし用の飲み物お茶菓子の用意まではとてもできない。
「昇くん、そうは言ってもだね、ぼくは朝方まで資料をまとめていたんだよ。ものすっごく疲弊してるんだよね」
「じゃあ来てくれたお客さんをドン引きさせてこの事務所の悪評を垂れ流されてもいいって言うんですね。仕事がなくなって潰れてもいいんだ」
口も手も動かさないといけないなんて、はっきり言って効率が下がるだけだ。早く「わかりました手伝います」って白旗を揚げてくれないかな……。
「でもまだ一時間もあるよ? 馬鹿でかい事務所じゃないんだから、そんな急がなくても間に合うと思うけどなぁ」
「そうやって余裕かまして、お客さんの約束時間に遅れます連絡に救われたことがあったの、忘れたとは言わせませんよ」
全く、仕事のスイッチが入ると何回も惚れ直してしまうほど完璧で無駄がない男に変身するのに、オフだとどうしてひたすらだらけてしまうんだろう。いつも完璧でいろ、だなんてもちろん思ってはいないけど、時と場合を考えてほしい。少なくとも今は半分くらいスイッチを入れてほしい。
「いいから、ほら立って! バインダーと本を棚に戻すくらいはせめてやってください。それは所長の方が片付けしやすいでしょ? それだけでも僕は助かりますから」
所長の机の後ろの窓を開けると、涼しい風が優しく吹き込んだ。一度だけ深く呼吸をしたら、気持ちが少しだけ落ち着いた。
よし、続きを頑張ろう。さっきは「潰れてもいいんだ」なんて口走ってしまったけど、本当にそうなってほしいわけじゃない。何だかんだで僕は自分のポジションが気に入っているし、所長のことも誰よりも好きなんだから。
「昇」
踵を返したところで、一言名前を呼ばれた。反応する暇もなく、僕の身体は所長の膝の上に乗せられていた。
「ちょ、ちょっと! こんなことしてる暇ないでしょ!」
「ファイルの片付け以外も頑張って手伝うから、元気ちょうだい」
力の抜けた笑みを向けたかと思うと、猫のように頭を胸元にすり寄せてきた。背中にがっつり両腕を回されているので身動きが全然取れず、なすがまま状態になっている。諦めて覚醒した所長に賭けるしかなかった。
……仕事モードの所長しか知らない女の人が見たら、どう思うんだろう。まあ、まず幻滅はされるだろうな。でもこうやって甘えてくるところは可愛いってなるかも。ギャップ萌えとかいうやつ。僕も時々感じることあるし……。
「呆れてるでしょ」
すっかり全身の力が抜けてしまって、ぬいぐるみになったような気持ちでいたら、いつの間にか所長が僕を見つめていた。
「……所長の言葉を信じてるだけですよ」
「ぼくはね、君につい甘えちゃうんだよ」
頭を優しく撫でてくれる。つい目を閉じたくなる気持ちよさだった。
「とってもしっかり者だし、いろいろお小言言うけど、ぼくへの気持ちが全然変わってないっていうのもわかるから、ついね。すっごく頼りにしてるんだ」
思わず息が詰まった。完全プライベートじゃない時にそんなことをはっきり言わないでほしい。
「そうやって素直なところも甘えたくなるんだよなぁ。二人きりになると未だに落ち着けなくてせわしなくしてるのも可愛いし」
変な声が出そうになった口を、ぎりぎり手のひらで覆った。何もかも見破られている。急激に顔が熱くなってきた。
目の前の所長が、なぜか困ったように笑っている。また、僕が自覚ないまま欲に繋がるスイッチ的なものを押してしまったらしい。そのたびに気をつけないと、と思うけどどうすればいいのか未だにわからない。
口元の覆いをそっと外して、所長の顔が近づいてくる。自然と瞼を下ろした。少しかさついた感触と、ほんのりとしたコーヒーの香りで包まれる。
触れるだけのキスが何度も降ってくる。お互いに物足りないのはわかっていた。それでも多分、ほんの数センチ距離を詰めても所長はそっと押し戻すだろう。根は真面目でちゃんと大人なのだ。
「……あーあ。全く、惜しいなぁ。今の昇、本当に可愛くてすごく色っぽいのに」
「何ですか、それ……」
軽いキスでも、何度もされたら身体が熱くなるんだな……。
仕事があるのに、早くしゃんとしないと。
「ねえ、急遽休みになりました、ってしたらダメ?」
「ダメに決まってるでしょう」
「そこは普通、特別ですよっていうところじゃない?」
「寝ぼけたこと言わないでください!」
……大人、はやっぱり撤回しよう。
「そういう冗談を言えるってことは、もう元気になった証ですね。ほら、片付け再開しますよ!」
勢いをつけて立ち上がる。事務所の出入口近くに置いてある時計を見たら、タイムリミットまで四十分を切っていた。いよいよ焦らないとまずい。
「本当、憎たらしいほどしっかりしてるよね。助手に相応しくて助かりますよ」
ふてくされている。片付けはしてくれるようだが、明らかにテンションが低い。これはしつこく引っ張るタイプの方だ。
こうなったら、一肌脱いでやるしかない。
のろのろとバインダーを拾い始めた所長の隣にしゃがみ込んで、強引に顎を持ち上げる。
「……さっきの続きも、仕事終わったら付き合いますから」
最終的に僕がこうして折れるから、所長の甘え癖も直らないんだろうなぁ。
そう自覚していても弱いから、僕もどうしようもない。
#[BL小説] 畳む